実用の学と説明の学

連載「公共を創る」で、社会を変えるために社会学への期待を書きました。第127回
政治学・行政学や経済学・財政学が、社会の現象を分析するとともに、政治や経済を良くするように提言もします。ところが、社会学の多くは分析にとどまっていて、提言が少ないように思います。

この背景には、マックス・ウエーバーが提唱した、学問の「価値中立性」「価値自由」の考えがあると思います。学問において、価値判断を避け、事実判断に徹すべきだという主張です。マルクス経済学のように、価値が先にあって学問はそれに従属するといった態度は論外ですが、現実には価値判断から自由な研究は難しいです。

哲学や遠い昔の歴史を研究する場合は、私たちの現実生活とは少々離れた研究ができるでしょう。現在日本の不安である格差や孤立の研究などは、現実を分析するとともに、対策も提言するものが多く、またそれを期待したいです。「孤独に悩む人がたくさんいるが、私は関係ない」と言えないでしょう。

現実問題と取り組む学問を「実用の学」とするなら、分析だけにとどまる学問を「説明の学」「理解の学」「批評の学」と言ってよいでしょう(この表現は、ある社会学者に教えてもらいました)。「長谷川公一先生
これまでの社会学は、出来事の説明にとどまるものが多かったようです。もちろん、実用の学として提言するためには、分析と説明が必要です。