カテゴリー別アーカイブ: 政治の役割

行政-政治の役割

政治の理想と現実

ようやく、E.H.カー著『危機の二十年』(邦訳2011年、岩波文庫)を、読み終えました。布団の中で読むには、難しい本ですが、文庫本なので挑戦しました。とはいえ、500ページを超えます。読みやすい訳ですが、寝転がって読む本ではありません。
原著は、1939年に出版されました。国際政治学の基本文献です。第1次大戦と第2次大戦の戦間期の国際政治(ヨーロッパ政治)を対象としつつ、ユートピアニズム(アイデアリズム、理想主義)とリアリズム(現実主義)のせめぎ合いを分析したものです。国際連盟などの理想主義の限界を指摘した本として有名です。
私の本棚には、1952年に岩波書店から出た、井上茂訳が並んでいます。久しぶりに取り出したら、変色したパラフィン紙(グラシン紙。若い人は知らないでしょうね。かつて岩波新書をはじめ、多くの本に被さっていました)がかかり、箱に入っています。買った日付が奥書に、1975年10月と記入されています。定価は、800円です。20歳の時に買ったのですね。内容は、ほぼ忘れていました(反省)。
ところで、新訳では、解説にもあとがきにも、旧訳について言及がありません。どうしてでしょうね。

今回読んでみて、改めてその分析の鋭さに、感心しました。訳者による解説もわかりやすいです。世間を知らない学生時代に読むのと、官僚として政治と付き合ってみてから読むのとでは、得るところが違いますね。
カーは、イギリスの政治学者で、『歴史とは何か』(岩波新書)が、有名です。

国会による事件や政策の検証

日経新聞10月30日「風見鶏」、坂本英二編集委員の「検証なき国家は変わるか」から。
・・いま開かれている臨時国会は、2つの点で歴史に刻まれる。衆参両院の憲法審査会の始動、そして原発事故を受けた独立した調査委員会の設置である・・
この20年を振り返っただけでも、日本は難しい決断をいくつも迫られた。重要な政策判断について、国会が一度も第三者機関で検証したことがないという事実に、まず驚かされる。
1991年の湾岸戦争は、国際貢献のあり方をめぐる転換点となった。日本は130億ドル(当時で約1.7兆円)もの巨費を拠出しながら「カネだけを出して汗をかかない国」との厳しい批判を浴びた・・
93年のウルグアイ・ラウンド合意では、コメ市場の部分開放と引きかえに約6兆円の農業対策を決めた。90年代以降、バブル経済の後始末で金融機関に投入された公的資金は50兆円規模(うち現時点の損失確定は10兆円強)に上る・・
専門家からなる民間委員は、衆参両院の合同協議会が決める。参考人の招致や資料提出を国政調査権でサポートし、半年後の報告書の提出までを法で規定している。事件や事故を受けた国会の報告書自体が「薬害エイズなどを除きほとんど例がない」という・・

このページではかつて、イギリスの、イラク戦争を検証する独立調査委員会を紹介しました(2010年2月20日の記事)。

自衛隊・海上保安庁の国際貢献

9月11日の朝日新聞オピニオン欄に、大野博人記者の「もう一つの3.11。国籍のない犯罪の時代」が載っていました。東日本大震災が起きた2011年3月11日に、ソマリア沖の自衛艦で、米軍から引き渡された海賊4人を、海上保安官が逮捕したことを、解説しています。公海上の事件でも、日本の司法手続にかけることができるという「海賊対処法」での、初の事例です。
海賊といってもTシャツに短パンという、普通の若者4人です。彼らが襲ったタンカーを運航していたのは、日本の商船三井です。現場は公海上。船籍はバハマ、積み荷は中国向け、乗組員24人に日本人はいません。現場に急行したのは、アメリカ軍とトルコ軍。
破綻国家ソマリアに、国民を裁く能力はなく、どこの国も敬遠する中で、日本が裁判を引き受けたとのことです。

国籍のない事件を、世界政府がない現代では、どこの国が引き受けるか。かつての日本なら、「一国平和主義」の下、遠慮したのでしょう。海賊が「活躍する」アデン湾・ソマリア沖で、海運の利益を最も受けているのは、日本です。わが国は、「関係ありません」とか「能力がありません」とは、言っておられなくなりました。PKO活動や多国籍軍への協力など、危険が伴っても世界の安全への貢献が、求められています。
アデン湾・ソマリア沖の海賊対策での、自衛隊の活躍については、自衛隊のホームページをご覧ください。

復興提言、政治の関与のないプロセス

8月7日読売新聞1面コラム「地球を読む」は、御厨貴教授の「3.11後の政治」でした。
・・3.11から5か月が過ぎようとしている。「戦後は終わり、災後が始まる」と、あの折感じた人は決して少なくなかったはずだ。「国難」という言葉が、久しぶりに日本人の口の端に上ったのも事実だ。だが今、我々の胸をよぎるこの脱力感は一体何なのか。
今度こそ、政治が変わると思ったのに、今の体たらくはこれは一体何なのだ。しかも、解法がすべて行き詰まってしまったという無力感にさいなまれる日々なのではないか。
私はこの間、政府の「東日本大震災復興構想会議」の議長代理として、6月末の「復興への提言」の答申に力を尽くしてきた・・
しかし、有り体に言えば、「提言」をまとめるプロセスに、与野党ともに”政治”は全くと言ってよいほど、関与も介入もしなかった。菅さんだけが、独自の発想と考え方に基づき支え続けたということである。
推進力を徹底的に欠いていた「復興構想会議」は、若き官僚たちと一部の政務の人たちとの献身的協力と、メディアの積極的な報道がなければ、至る所で立ち往生したものと思われる。
結果は、まことに逆説的であるが、”非政治”であるが故に、コトが進んだのである・・
詳しくは原文をお読みください。

政党の役割

朝日新聞6月25日朝刊オピニオン欄は、佐々木毅先生と宇野重規先生の「地に落ちた政治、求心力を取り戻せるか」でした。
佐々木:選挙とか支持率とか、目先のことを優先して政治権力をつくってきた。その結果、政権、権力が摩滅するプロセスが4、5年続いていますね。「権威」はかなり前になくなっているが、「権力」もすぐに不安定化、弱体化することが繰り返されている。与党であれ野党であれ、選挙以外ほとんど何もしない政党の限界だと思います。
・・・制度改革の中で「政党」はブラックボックスでした。楽観していたわけではないが、立ち入らないでいました。でも、ここまでくると、外部がどこまでかかわるのか議論はあるが、政党にお任せだとおかしくなってしまいかねない・・
宇野:民主党はまさに政治改革の結果、生まれた政党といえますが、いかなる価値や理念を目指す政党なのか、いまだに分からない。右から左までまとまりがなく、自民党がもう一つできたようなものだという人もいます。
佐々木:「自民党に代わる政権政党」が民主党のアイデンティティーでした。政権につかなければ、党内秩序のうえでも党を成熟させるうえでもそれで十分だった。しかし、政権を取っちゃった以上、それでは不十分です・・
宇野:民主党は政策を煮詰める前に政権につき、迷走した。社会保障はその象徴ですね。

宇野:グローバル化が進むなかで、雇用が流動化し社会不安定化している。それにどう向き合うかというときに、日本政治はリアリティーを欠いたまま迷走している、と。
佐々木:最近の政治家はすぐに処方箋の話をするけど、その前に診断がない。「こうだから、こうしたらこうなる」と詰めて議論する習慣が失われ、「こうすればいい」とだけいうのが目に余る。これはやぶ医者です。丸山真男さんは「現実は可能性の束」と言ったが、どういう可能性がどこまであるかを追求するというのは、ぎりぎり頭を使う作業です。そうした現実にしつこくこだわり、それを変えていくという政治的習俗が弱体化している。ちょっと気が利いたことを言って終わりという、根無し草的な政治になっています・・
詳しくは、原文をお読み下さい。