カテゴリー別アーカイブ: 政治の役割

行政-政治の役割

勢力均衡や覇権主義でない国際秩序

G・ジョン・アイケンベリー著『リベラルな秩序か帝国か―アメリカと世界政治の行方』(上下、邦訳2012年、勁草書房)が、とても勉強になりました。
日経新聞での教授の主張を読んで(8月11日の記事)、興味を持ちこの本を読みました(途中で他の本に手を出したとはいえ、読み終えるのに1か月半かかっています)。教授の主張を、極端に簡単に紹介すると、次のようなものです。
第2次大戦後の世界政治を規定した、アメリカのグランド・ストラテジーは、2つあった。
一つは、冷戦、対ソ関係であり、勢力均衡、核抑止、政治的イデオロギー的競争による「封じ込め政策」です。
もう一つは、1930年代の経済苦境と政治的混乱、それから発生した第2次大戦を再び起こさないことであり、経済の開放性、政治の互恵性、多国間で管理する国際関係といった「リベラル民主主義的な秩序」です。
前者は、ソ連を「敵」とし、リアリズムに立ちます。後者は、1930年代の失敗を「敵」とし、リベラリズムに立ちます。

私たちは、戦後の国際政治というと、前者の米ソの東西対立を思い浮かべます。しかし教授は、それよりも、後者の多国間によるリベラルな秩序を重視します。それは、冷戦が終わってソ連封じ込めが必要なくなったときに、新しい国際秩序が生まれず、引き続き従前の国際秩序が続いていることで証明されています。共通の敵がなくなったのに、西側先進諸国は同盟関係を崩さず、また国際機関を壊さず、軍備競争にも戻りませんでした。
振り返ると、アメリカ主導による多国間によるリベラルな国際秩序は、冷戦が始まる前から形成され始めていたのです。国際連合、IMF、ガット(後にWTO)などです。そして冷戦がなくなった今、この秩序が前面に出てきたのです。
ドイツも日本も、いえロシアも中国も、この秩序に乗っていて、これに挑戦しようとはしません。アメリカの戦後構想は、成功したのです。
この項続く

社会保障を含めた生活保障を進めるために、宮本太郎教授、その3

「具体案はありますか」という問に対しては。
・・私自身は、社会保障を強めて雇用と連携させるアクティベーション(活性化)と呼ばれる方向をめざすべきだと考えています。非正規の若者が技能や知識を伸ばす多様な機会をつくる。女性の就労につながる保育・修学前教育を手厚くする。NPOや社会的起業で高齢者の仕事をつくることも活性化の手法です。
他方、ある程度の支援はするが、個人と家族の自己責任を重視し、伝統的な家族の価値を打ち出すワークフェア(就労義務重視)の主張もある。給付付き税額控除のような方法で現金を渡し、社会参加の条件を整えようというベーシックインカムの提起もある。
民主党でアクティベーションの流れが強まると、自民党はワークフェアにシフトしたようですが、3つの立場は具体的な政策としては重なるところがある。空中戦はやめ、どうすればより多くの人が仕事に就けるか、エビデンス(経験的証拠)に基づいて議論するべきです・・

「方向は見えている。しかし、政治が動かない。なぜでしょうか」
・・子育てと仕事の両立に悩む母親、低学歴と技能不足で正社員になれない若者など、従来の生活保障が対応できていない「新しい社会的リスク」に直面する人たちが増えています。この人たちを元気にすることは、経済成長のために決定的に重要です。
しかし、彼ら彼女らは組織化されておらず、投票率も低いため、政治家にとって「良い顧客」ではない。一方、これまで政治家を支えてきた業界団体や労働組合の声は政治家に届きやすいものの、こちらも組織率を低下させ、利益を集約できない。要するに、政治が現実社会から離反し浮遊しつつあるのです・・

宮本太郎先生の「生活保障」や「アクティベーション」については、『生活保障―排除しない社会へ』(2009年、岩波新書)があります。
社会の変化が、「社会保障」として求められる範囲を変えているのです。安心な生活は、政府の社会保障制度だけで成り立っていたのではなく、家族と企業の「保障」と一緒になって、成り立っていました。後者が弱くなること、また成熟社会になることで孤独や引きこもりなどの新しい社会的リスクが生まれ、従来の社会保障では漏れ落ちる人が出てきたのです。
私は、「新しい社会的リスク」を、リスクの一つに位置づけています。拙稿「社会のリスクの変化と行政の役割」。また社会関係リスクについては、再チャレンジ政策を担当して以来、関心を持ち続けています。「国民生活省構想」は、この問題への取り組みの一つです。

社会保障を含めた生活保障を進めるために、宮本太郎教授、その2

「日本型の生活保障とは」という問に対しては。
・・雇用を軸にした生活保障です。歴史をひもとくと、岸内閣の下、世界で4番目に皆保険・皆年金の導入が図られ、1961年に実現しました。画期的でしたが、みんなが働いて支え合わねば、維持できません。
池田内閣から田中内閣にかけて日本的経営や土建国家が形成され、男性稼ぎ主が働き、年金・保険制度を支えるシステムができあがりました。
このシステムのポイントは、行政が業界や企業を保護する点にありました。護送船団方式はその象徴です。企業は一家の男性稼ぎ主の雇用を守り、稼ぎ主は家計を支えて家族を守りました。この保護の連鎖が機能している限り、社会保障の役割は限定され、退職した高齢世代の年金に集中できました。

「そのバージョンアップが必要だとは、どういうことですか」
・・雇用を軸にした生活保障の方向は悪くなかったが、経済のグローバル化が進み、行政が業界や企業を守るのは今や無理です。非正規雇用が増えて、男性稼ぎ主の雇用で家族が暮らせるという前提も消えました。
業界や企業を守るのではなく、個人と家族を直接支援することによって、雇用を軸にした生活保障を発展させる。市場重視のアメリカ流でも、スウェーデン型福祉国家でもない、日本型の刷新です・・
この項続く。

社会保障を含めた生活保障を進めるために、宮本太郎教授

古くなりましたが、9月8日付の朝日新聞オピニオン欄、宮本太郎北海道大学教授の「社会保障、踏み出せぬ政治」から。

「社会保障と税の一体改革をうたった消費増税法が、民自公3党の合意を経て成立しました」との問いかけに対し。
・・社会保障改革の多くは、新設する国民会議の議論に先送りされました。一体改革とは名ばかりで、消費増税だけが決まったかたちです。菅内閣のもと、私が座長を務めた「社会保障改革に関する有識者検討会」は、2010年12月、一体改革の素案とも言うべき報告書を出し、財政再建と社会保障の機能強化は同時に進めなければ双方とも実現しない、と強調しました。そこから随分と離れてしまった印象です・・
・・自公連立だった福田内閣の「社会保障国民会議」や麻生内閣の「安心社会実現会議」の議論から、私たち「有識者検討会」の報告書まで、基調は同じです。もはや選択肢はそれほど多くないのです。ところが二大政党制のパラドックスで、政策が接近するほど、有権者へのアピールを狙って些細な違いや相手の能力をあげつらい、結局ほとんどが棚上げになりました。日本型の生活保障のかたちをバージョンアップするという方向で、一致できると思ったのですが・・
この項続く。

低線量放射能への不安、足を踏みつけた場合の対応

8月15日の朝日新聞「ニッポン前へ委員会」、神里達博大阪大学准教授の発言から。
震災がれきの広域処理をめぐって、拒否反応があることに関して。
・・実は、この問題の背景には、現代社会におけるリスク問題に特有の「二つの不在」が作用していると考えられる。
まず一つは、「知識の不在」である。現代の行政は原則として、科学的事実に基づいて客観的に遂行される。ところが、あるレベルを下回る放射線の健康影響については、科学的知見そのものが不足している・・
もう一つは、「責任論の不在」である。たとえば電車内で足を踏まれたとき、相手からの「すみません」の一言があるかないかは、大きい。もし、謝罪の言葉よりも先に「あなたの足にかかった圧力は弱いので、けがの恐れはありません、ご安心ください」などと言われたら、かなり温厚な人でも怒るだろう。だが、今回の原発事故に伴う放射能汚染の問題では、まさにそのような状況が続いている。程度の差はあれ、「足を踏まれた人」は間違いなく大勢いるのに、謝罪する者は事実上、現れていない。人々はきっとそのことに、どうにも納得がいかないのである・・