カテゴリーアーカイブ:政治の役割

野党の役割、2

2014年5月8日   岡本全勝

・・かつて自民党の1党優位が続いた時代、野党の役割はもっぱら政権を批判することにあった。平和と民主主義の名の下に、野党が原理的に政権政党をチェックする一方、具体的な政策変更は、かなり立場に幅のある与党内部の諸派閥から首相を出すことで実現した。それはそれで、よくできた仕組みであった。
ただし、その大前提には、米ソの冷戦構造と高度経済成長があったことを忘れてはならない。政治経済体制をめぐる明確な対立がある一方、成長の果実を日本社会全体に配分していくことが重要な課題であった。そのような時代に適合していたのが、自民党1党優位下の与野党関係であった。
これに対し現在、世界をめぐる情勢は複雑化を極めている。経済的利害に、ナショナリズムや宗教的対立が加わり、単純に白黒を決められないのが現状である。その一方で、日本国内では少子高齢化が進み、財政危機が深刻化している。成長の果実を配分するどころか、いかにリスクと負担を国民間で配分するかが、緊急の課題である。
だとすれば、そのような時代に適合した政治の仕組みを作っていくしか道はない・・

1914年と2014年の類似

2014年4月22日   岡本全勝

第一次世界大戦が始まった1914年から、今年で100年です。第一次世界大戦を振り返る企画がされるなあと思っていたら、実世界が1914年に似てきたという指摘が出ています。例えば、日経新聞経済教室4月16日、中西寛京大教授「第1次大戦前、不吉な相似」。わかりやすい解説が、東京財団に載っていました「欧州とアジアにとっての1914年と2014年」。
それらが指摘する要点、そして現在にもある程度共通する点は、次のようなものです。
・当時、国際貿易が拡大し、相互依存が高まったのでもう戦争は起こらないと識者は考えていたのに、貿易量の多い英独の間に戦争が起きたこと。
→現在も国際化が進展し相互依存が進んでいるが、それだけでは、戦争を防ぐことはできないのではないか。
・関係国の誰もが、そんな大きな戦争を望まなかったのに、世界大戦になってしまったこと。
→意図せざる戦争は、起きる可能性がある。
・当時のドイツと同様に、中国が覇権国に挑戦する経済力をつけつつあること。
→近年、アメリカの覇権が揺るぎだしている。
・イギリスの覇権が揺るぎだし、次なる覇権国になるアメリカに、まだその用意がなかったこと。
→現在は、経済大国中国の国際社会での役割と意図が、不明確である。
・現在のロシアと中国は、西欧各国と違う政治体制・政治哲学にあること。
→西欧先進国の国内政治と国際政治は21世紀に入っているが、他方で19世紀の状態にいる国がある。
→各国は今もなお、国際関係(世界の常識や評判、理想)よりも、国内事情(政権基盤、力学、世論)で行動する。
・クリミアでのロシアの振る舞いが、力による国境変更を実績にしてしまったこと。
→東ヨーロッパだけでなく、アジアも不安定さを増している。

さて、この不安定を、人知によって制御できるか。2008年の世界金融危機は、各国の協調によってある程度押さえ込むことに成功し、1929年の世界恐慌の再来にはなりませんでした。世界金融危機と国際政治(国家間紛争)の危機は、ともに統一権力(世界政府)がないことによって生じ、増大し、制御が難しいです。国際金融や国際経済の場合は、カネという「共通言語」と経済という「共通利害」があるので、国際紛争より話が簡単だとも言えます。
それに比べ、国際政治では、表(公式の場)での議論や発言と、裏(密室)でのやりとりに大きな違いがある場合があり、また裏での発言も本音とは別の場合もあります。それが「政治的」であるゆえんです。

丸山真男著『政治の世界他十篇』、3

2014年4月16日   岡本全勝

(丸山真男著『政治の世界他十篇』、3)
今読んでも、古さを感じさせないのは、それは、時事的なものでなく、政治の本質を論じているからでしょう。古今東西、権力を巡る人間の行為は、さほど変わらないということです。ただし、現在の世界に生きている私たちとしては、その高度に抽象化された政治論や、政治権力論の上に、今の現実をどう変えるかという分析と実践が必要です。それが「政治学」特に抽象度の高い学問の、長所であり限界です。
この点については、本書につけられた松本先生の「解説」をお読みください。解説の中に、戦後日本の政治学における丸山先生の業績の位置づけとともに、次のような文章があります。
・・丸山の言う意味での「純粋政治学」を追求した戦後政治学の代表的作品は岡義達『政治』(岩波新書、1971年)であるが、理論的完成度の高い反面、観照的スタンスも著しく、この小著の洗練され(過ぎ?)た知的内容は今日政治学者の間でさえ十分に咀嚼されているとは言えない・・(P480)。

私は、1975年(昭和50年)に、大学3年生になり本郷の法学部に移りました(2年生までは、駒場での教養学部)。あまり深く考えずに、岡義達先生のゼミを選び、運良く入れてもらいました。政治学の授業とともに、このゼミで、1年間先生の指導を受けました。その抽象度の高い難解さを理解するまでの苦労、それ以上にきつかったゼミの苦労については、少し書いたことがあります(2012年12月8日)。しかし、社会をどう見るか、私の社会観の基礎は、この時に培われたことは間違いありません。また、今に続く生涯の友人を得ることもできました。

丸山真男著『政治の世界他十篇』、2

2014年4月15日   岡本全勝

引き続き、気になったところを引用します。
・・「政界」という言葉があります。政界ということと政治的な世界ということは、今日においては非常にギャップがあります。政界というのは特殊の、政治を職業とする人々の非常に多面多種なサークルであります。つまり、右に申したことをいいかえるならば、政治的な気圧というものは、決して「政界」によってだけ決まるものではない。また、「政界」のことだけを見ていては政治の状況認識はできない、ということになわけであります・・
私は日本の新聞の「政治部」というのは「政界部」というふうに直した方がいいのではないかと、新聞社の知人にからかうのですけれども、かれらもその点で、もっともだといって反駁しません。「政治」というものを報道しないで、政治に重要な出来事を報道しないで「政界」の出来事、派閥がどうなったというような、「政界」の中の人的な関係を報道している。政界ということと政治的世界というものはくい違っているわけであります・・p355。

・・さっき「政界というものは非常に特殊な世界である」ということを申しました。政治のリアリズムというものがないと、政治の言葉の魔術にいかにあやつられるかということは、いわゆる政局の安定、という言葉を例にとってもわかると思います。
「政局の安定」ということはしばしばいわれます。けれど政局の安定というのは、特殊な世界である政界の安定以外の何物も意味しないんです。したがって、日本でいわれている政局の安定ということは、政界の安定であって、それは政治的安定とは必ずしも関係しないし、いわんや国民生活の安定とは何も関係しない・・p381。この項続く。