覇権国家イギリスを作った仕組み、10。エリート文化と民衆文化

近藤和彦先生の続きです。『民のモラル―ホーガースと18世紀イギリス』(2014年、ちくま学芸文庫)も、興味深い本でした。民衆文化を扱っているのですが、次のような概念を建てておられます(p65~)。
人類学者のR・レドフィールドの対概念「大きな伝統」と「小さな伝統」を援用して、社会の文化を2つに分類します。「大きな伝統」は、エリート文化で、キリスト教会や古典のように、制度として受け継がれ、教育によって継承され、聖俗の支配者・知識人によってになわれた。こうした公式で国家的な世界を、ロシアのM・バフーチンは「第一の世界」と呼んだ。
これに対し、「小さな伝統」は、民衆文化である。ローカルな民族的常習行為のさまざまなレパートリからなり、生活の場において公衆のただなかでパフォーマンスとして演じられ、受け継がれた。教科書や楽譜はない。民衆といってもさまざまなので一様ではない。バフーチンによれば、これは公式なものの向こう側にあった「第二の世界」であった。

社会の思想を議論する際に、私は、この観点が気になっていました。大学で講義される哲学や書物になっている社会思想は、多くが欧米の輸入であり、それは日本国民の多くがふだん考えている「思想」とは、大きく異なったものでしょう。
「現代日本の思想」という題で、議論をしたり本を書くならば、大学での難しい輸入理論だけでなく、国民が共有している思想を取り上げるべきだと思うのですが。例えば宗教観などは、庶民の思想の大きな部分を占めると思います。そのほかにも、政治参加意識、公共への考え方、家族のあり方、会社への帰属意識など。エリート社会思想と民衆社会思想の2つがあるのでしょう。久野収、鶴見俊輔著『現代日本の思想』(1956年、岩波新書)などは、日本の思想に取り組んだ試みだと思いますが、まだ庶民の思想を中心にしていません。
これは、学校で習う音楽にも、当てはまると思います。西洋音楽とそれを輸入した音楽を教えてもらいますが、田舎では秋祭りなどのお囃子や歌謡曲が、生活に根ざした音楽です。カラオケが、国民にもっとも受け入れられている音楽でしょう。
西欧から輸入した文化と、古くから日本にある文化の2つの流れがあり、さらに大学や学校で教える文化と民衆の生活文化との2つがある、そしてそれが共存していると考えると良いのでしょう。