カテゴリー別アーカイブ: 官僚論

行政-官僚論

黒江・元防衛次官の回顧談4

黒江・元防衛次官の回顧談3」の続きです。
失敗だらけの役人人生(追補5)」「失敗だらけの役人人生(追補6)」は、平成以降のわが国を取り巻く国際安全保障環境の変化と、国内の政治経済状況が極めて流動化したことを、体験として書いています。それまでの通念、常識が通用しなくなったのです。

北朝鮮工作船との銃撃戦、北朝鮮のミサイル発射、中国の挑発、自衛隊のイラク派遣撤退といった事案への対処とともに、総理官邸、安全保障・危機管理室の様子、イラク現場の緊張感が書かれています。
日本の安全保障環境と防衛省の仕事が、急速に変化したことがよくわかります。また、政府内部でどのように対応されているかも。これらも余り活字になっていません。貴重な証言です。

黒江・元防衛次官の回顧談3

黒江・元防衛次官の回顧談2」の続きです。「失敗だらけの役人人生(追補4)」(7月13日)は、「911米国同時多発テロとその後の対応」です。
当時の衝撃を読んでください。
今回、紹介したいのは、その本論のほかに、官邸連絡室についてです。3ページ目から出てきます。

小泉内閣になって、総理秘書官を出していない5つの省から、課長級の職員が秘書官を補佐する役割で常駐することになりました。
総理秘書官の実態も語られること、書かれることが少ないですが、この官邸連絡室の実態も語られることは少ないです。もちろん、秘書官たちは黒子に徹することを義務づけられていますが、どのような実態にあるのかはもう少し書かれても良いと思います。
官邸内や内閣官房についても研究書が少ないのですが、これもその一つです。

代替案を考える、考えない

7月13日の朝日新聞オピニオン欄「プランBが見えない」から

兪炳匡さん(神奈川県立保健福祉大学教授)の発言「失敗想定せず閉鎖的ゆえ」
・・・日本の官僚や政治家には、そもそも政策が失敗しうるという前提がないから「プランB」がないのです。法案を作る、法律を実施する、事後評価するという三つの段階は、民主国家ではそれぞれ別の組織が行います。しかし、官僚は単独でこの「3役」を事実上、担っています。このシステムでは、失敗が存在しえないのです。科学的なエビデンスによって失敗を発見・修正する需要も生まれません。

これに対して欧米社会では「人間のすることだから必ず失敗を起こす」と考えます。失敗、とりわけ最悪の事態を予想して、それを予防・回避するようなシステムの策定に知性の大部分を使います。
常に失敗を想定し、プランBを起動できるようにしておくことが重要ですが、日本ではそれを無駄とみなす傾向があります。プランBの策定を却下するという知的怠慢を正当化する理由も、不透明なものが多い。戦前なら「天皇が却下したから」、戦後なら「米国が却下したから」が典型です。無批判にそれを信じる国民にも問題があります・・・

ヤマザキマリさん(漫画家・随筆家)の発言「私たちはイワシの群れか」
・・・東京五輪をパンデミック(世界的大流行)の中でもやらなければならない具体的な理由を知りたいし、説明の内容次第では「仕方がないか」と納得がいくかもしれない。ただただ「うまくやりますから」では、バカにされているような気がするだけです。
疫病が蔓延している最中に人間が一斉に集まるなんて、古代の人ですら誰もしていませんよ。イワシの群れみたいに一斉に一緒に動いて、そのうち何匹かは食われてしまうけど、それでも大半が生き残るからいいでしょう、という感覚なのでしょうか。
為政者が簡単に統括できるのは、人があまり深く物事を考えない社会です。様々な意見を生み出す知性や教養は邪魔になります。長いものには巻かれてしまう社会的傾向には抗えないにせよ、その状態を離れた位置から俯瞰できるようになるべきではないか。世間体に従わなければいけない状況でも、違和感は持つべきです。それが日本人がこれから進むべき次の段階ではないかと感じています。
「場合によっては五輪ができない場合もある」と最初から頭の片隅で思っているべきなんです。災害が起きた時もプランBやプランCを持つ人の方が冷静です・・・

・・・イタリア人は人の話も聞かず、列をつくれば横入りするような人たちが少なくありませんが、最初のロックダウン(都市封鎖)の時は、なぜか一斉に規律を守りました。いざという時にどうすべきか、自分で考える訓練ができていた結果だと思います。
理想の形は、オーケストラのようなイメージです。それぞれの楽器でソリストとして素晴らしい音楽を演奏することもできるけれど、そんな彼らの特性をよく理解した指揮者にあたれば、統括した時に素晴らしい交響楽になる。
それこそがアリやイワシとはまた違う、人間という精神性を持った生き物にふさわしい群衆社会のあり方なのではないかと。難しそうですが、お互いの異質性を認めつつも共存できるのが理想的な人間社会ではないかと思います・・・

官僚の役割、構想をつくる

NHKウエッブサイトに、「自由で開かれたインド太平洋誕生秘話」(6月30日掲載)が、載っています。
自由で開かれたインド太平洋」は、中国の台頭を意識して、インド洋と太平洋を繋ぎ、アフリカとアジアを繋ぐことで国際社会の安定と繁栄の実現を目指す構想です。日本が提唱し、アメリカなども賛同しています。この構想を外務官僚が考え、総理が採用し、アメリカに働きかけた経緯が、記事で紹介されています。

日本の将来のために、広い視野で進むべき方向と、そのための対策を考える。そのためには、現状の分析と、今後の動きを予測する必要があります。予測だけでなく、目標に向かって何をすべきかを考えなければなりません。理想論だけでは実現しません。
構想を練ることは、重要な仕事であり、力量が試される仕事です。そして、その案を関係者に理解してもらい、採用してもらう必要があります。それは、やりがいのある仕事です。先日このホームページで紹介した、黒江・元防衛次官の防衛計画の見直しも同じです。
目の前の課題を片付けること、課題を見つけて対策を考えることとともに、構想を考えることは、官僚の重要な仕事です。

この記事では、その発案者である市川恵一・外務省北米局長(当時は総合政策局総務課長)が、取材に応じています。「現役の官僚が実名で取材に応じ、記事になるのは珍しいのではないか」と、この記事を教えてくれた人は付言していました。

黒江・元防衛次官の回顧談2

かつて紹介した「黒江・元防衛次官の回顧談」。市ヶ谷論壇で、その続きが始まりました。6月22日は「冷戦終結がもたらしたもの (上 )自衛隊の海外派遣」でした。

・・・8年目の役人と言えば防衛庁では若手の部員で、その頃までには役所の仕事の基本的な考え方を一通り身につけることとなります。
しかし、当時の私は「陸 自師団の特科 (砲兵)部 隊に配属されている榴弾砲は何 門か。それは何故か」とか「自衛隊は憲法上何が出来ないのか」あるいは「陸自部隊の駐屯地と分屯地の違いは何か」とかについてはスラスラ答えることが出来ましたが、戦略的な課題 については全く考えたことがありませんでした。

これはもちろん私 自身のセンスの問題ではありましたが、防衛庁の実務がなべて内向きだつたことも一因だつたように感じます。運用課 に勤務していた頃、出向先の外務省から帰つて来た先輩が「外務省は有事官庁だからなあ。それに比べて防衛庁は・・・」とばやくのを聞いたことがありました。外務省は、常に変化を続 ける国際情勢 にリアルタイムで対応 しなければなりません。また、経済官庁も日々動いている経済を相手に仕事をしています。

これに対し当時の防衛庁の仕事は、予算の獲得や 自衛 隊の行動などに対するネガティブチェック、あるいは国会で問題 とならないような無難な答弁作りなどが中心で、ダイナミズムに欠けるところがありました。このため、陰では政策や戦略に弱い「自衛 隊管理庁」などと椰楡されていました。
冷戦構造が維持されていて 自衛隊の対応が求められるような場面がほとんどなかつた時期 にはそうした仕事ぶりでも良かったのですが、ベルリンの壁が崩れた後はそれでは済まなくなつて行きました・・・