「官僚論」カテゴリーアーカイブ

行政-官僚論

黒江哲郎著「防衛事務次官冷や汗日記」

黒江哲郎著「防衛事務次官冷や汗日記 失敗だらけの役人人生」(2022年、朝日新書)を紹介します。
以前このページでも紹介した、黒江・元防衛次官による、仕事の記録、反省記です。インターネットに掲載されたものが、朝日新聞のウエッブサイトに転載され、今回加筆して本になりました。「黒江・元防衛次官の壮絶な体験談」「黒江・元防衛次官の回顧談4

官僚の仕事ぶり、そして防衛省の仕事の変化を書いた、貴重な証言です。
前者について。
「冷や汗日記 失敗だらけの役人人生」と表題についています。失敗と苦労が生々しく書かれていて、防衛官僚の苦労と黒江さんの生きざまがよくわかります。
黒江さんは、過労とストレスで6回も倒れました。退官した直後にも、救急搬送されます。
しかし、その冷や汗と失敗は、黒江さんが未熟だったから起きたものではありません。本人はそのように謙虚に書いておられますが、次に述べるように、防衛庁の役割変化と、防衛官僚に求められる仕事が急速に変化したことによるものです。「平穏無事に」前例通りの仕事ですむような職場では起こらない失敗です。
黒江さんは、平穏無事な仕事場から休みのない緊張の続く職場へ、そしてその急速な変化に参画します。これまでにない事件が続発し、簡単に結論が出ない事案で途方に暮れ、板挟みに悩みます。それはしんどいことですが、官僚としてはやりがいのある、力量を発揮できる場面です。
黒江さんだからこそ、その変化を乗りきることができたのでしょう。官僚の後輩たちに、大いに参考になる記録です。

後者について。
平成以降のわが国を取り巻く国際安全保障環境が大きく変化し、防衛庁・防衛省の仕事が大きく変わった、変わらざるを得なくなりました。それまでの通念、常識が通用しなくなったのです。
戦後の日本では、自衛隊と防衛省がいわば「日陰者扱い」され、また「出番」も少なかったのですが、周辺国との緊張の高まりから、任務が重くなり脚光を浴びるようになりました。その変化、改革に参加した官僚による記録です。
北朝鮮工作船との銃撃戦、北朝鮮のミサイル発射、中国の挑発、自衛隊のイラク派遣撤退といった事案への対処とともに、総理官邸、安全保障・危機管理室の様子、イラク現場の緊張感が書かれています。これは、貴重な証言です。

防衛官僚が何をしているか、世間では知られていないと思います。
また、大臣のズボンに醤油をかけた事件、総理から電話のかけ方を教わったり、総理から国会内でお叱りを受けたこと。お詫びで頭を下げすぎて、ぎっくり腰になったことなども書かれています。
重要な仕事やしんどい仕事が、黒江さんの軽妙な文章で書かれています。読みやすいですが、内容は重いです。

日本の官僚、国際貢献

11月24日の朝日新聞経済面「国際課税、新ルールへ:2 財務官僚主導、古城で改革議論」に、浅川雅嗣君の笑顔が出ていました。浅川君は、麻生太郎内閣で一緒に総理秘書官を務めました。「2011年1月27日の記事」「2014年1月29日の記事」。

・・・2011年10月。フランス・パリ郊外の古城・エルムノンビル城の一室にOECD(経済協力開発機構)の加盟各国の租税スペシャリストが集まった。会合を企画したのは当時、日本の財務省で副財務官だった浅川雅嗣氏(現アジア開発銀行総裁)だ。
浅川氏はこの年、アジア人として初のOECD租税委員会の議長となった。租税委の作業部会議長や日米租税条約の改正などを経験してきた国際税制の専門家としての手腕が評価されたものだった。

議長の任期は5年。会合は、任期中に取り組むことを腰を据えて話し合いたいと、浅川氏が合宿形式で開いたものだった。
ひときわ盛り上がったテーマが、多国籍企業が本社所在国でも事業を展開している他国でも納税から逃れる「二重非課税」問題だった。米国の参加メンバーが口火を切ると、「問題を放置しちゃいけない」「国際課税ルールを見直そうじゃないか」と盛り上がり、意気投合したという。
背景には2008年のリーマン・ショックの後遺症があった。危機に対応する巨額の経済対策で、各国とも財政が悪化。とくに欧州では、ギリシャなど一部の政府債務の問題が欧州全体の金融危機につながりかねないとの懸念が高まっていた。
浅川氏は「古城会合」での議論をもとに12年6月、OECD租税委を中心に多国籍企業の「課税逃れ」への対抗策を考える「BEPS(税源浸食と利益移転)プロジェクト」を立ち上げた・・・

国家公務員のためのマネジメントテキスト

内閣人事局が、管理職研修の教科書を作りました。「国家公務員のためのマネジメントテキスト」(11月16日公表)。「発表資料
作成の趣旨は、発表資料に書かれているとおり。働き方改革を推進するためには、「マネジメント改革」と「業務の抜本見直し」が必要だと分かりました。そのマネジメント改革の一つです。

私の連載「公共を創る」でも指摘しているように、日本社会は先進国に追いついき、右肩上がりが終わりました。手本に向かって全員が団結して進むという形が、成熟社会にそぐわなくなりました。
振り返ってみると、企業でも官庁でも、管理職研修は本格的・系統的に行われてきませんでした。「先輩のやり方を見て覚える」でした。また、かつての職場は、大卒は幹部候補、高卒と中卒は基幹要員、女性は補助という3経路で人事を管理していました。これも、進学率の向上、男女共同参画の進展で、成り立たなくなりました。
21世になってそれが顕在化し、企業でも官庁でも管理職のあり方が再検討されるようになったのです。管理職に管理職の仕事をさせるのです。
職場慣行も、メンバーシップ型からジョブ型への移行が進められています。雇用と労働における「この国のかたち」が大きく変わろうとしてます。

内閣人事局の幹部候補研修のうち係長級と補佐級については、私が研修講師を務めたビデオ教材を作成しました。近いうちに、研修を実施するようです。

公務員の2年での異動慣行の起源

人事院月報」2021年11月号に、清水 唯一朗・慶應義塾大学総合政策学部教授の「魅力ある公務に進化するために」が載っています。そこに、次のような指摘があります。

・・・他方、政官関係の構造が大きく変化した中央省庁再編から二〇年が過ぎた。それ以後に採用された公務員は全体の四割に及ぶ。 つまり、 半数近い公務員が、 上から降ってくる案件を打ち返す、省庁再編後に顕著となった受身の政治―行政関係のなかで育ってきたことになる。それ以前に採用された者も、キャリアの大半をこの時代のなかで過ごしてきた。
主体性のなくなった組織ほど、苦しいものはない。シュリンクした地方銀行が主体性を失い、その存在意義を問われるまで追い込まれたように(橋本、二〇一六) 、公務も主体性を失い、されるがままに迷走を続けるのだろうか・・・

また、次のような記述もあります。
・・・現在広く定着している二年単位での異動の淵源について、同僚に尋ねられて調べたことがある。それは日清戦争のとき、つまり今から一二五年前に作られた制度であった(小熊、二〇一九) 。
しかも、 驚くべきことはその理由である。当初は五年を昇進・異動の目途としていたのが、日清戦争による業務量の爆発的な拡大に合わせて行政機構を拡大したため、昇進を早める必要が生じた。その結果、五年から三年、二年と短縮された。もちろん、一度短くしたものが再び長くはならない。
それから長い年月が経った。非常事態の行政需要に対応するための緊急避難策であったはずの二年ルールがなぜか命脈を保っている・・・

私も常々、公務員の短期異動を疑問に思い、改善を主張しています。かつては、上級職はさまざまな仕事を経験させて幹部にする、他方でその他の職員は特定の場所で専門家に育てるという方針があったのだと考えていました。しかし、2年程度で異動を繰り返していては、専門性を持たない職員が育ちます。この点は、民間企業の人たちが不思議に思う点です。その起源が明治時代の緊急措置であったとは、知りませんでした。小熊先生の本も読んでいたのですが。

改めて探してみると、小熊英二著『日本社会のしくみ』(2019年、講談社現代新書)の288ページに出ていました。ただしそこには、高等官の給与制度が理由として挙げられています。
1886年の高等官等俸給令では、5年以上勤務しなければ、より上位の官に昇進できないことを定めていました。その後3年に緩和された後、1895年の改正で2年になりました。背景には、日清戦争による行政の拡大と、帝大卒業生の無試験特権回復を求めての試験ボイコットがありその待遇改善のためと書かれています。
現在では、給与と異動とは連動していないので、この理由では説明できません。

若手官僚が、「このままでは技能を磨くことができない」と嘆く一方で、定期異動の時期になるとそわそわし、異動を望むのでは、技能を磨くことはできません。

行政の無謬性神話2

行政の無謬性神話」の続きです。
「行政の無謬性」という間違った観念は、次のような悪影響も及ぼしています。国会で、現行制度や政策について質問が出ます。すると、官僚は、現行制度や政策が正しいとして答弁を書きます。現行制度が正しいという前提です。

ところが、担当者は、この制度の限界を知っています。つくったときはそれでよかったのですが、時間が経つと社会も変化し、現場ではそぐわない事例が出てきたり、想定していない事象が起きてきます。それでも、法律の担当者としては、現行制度を是として答えざるを得ません。「現行制度は時代の変化に遅れていて、変える必要があります」と答弁すると、「現行法令がおかしいというのか」とお叱りを受け、審議が止まるおそれもあります。

私には、次のような経験があります。「追悼、辻陽明記者」「朝日新聞一面
2003年私が総務省交付税課長の時です。12月4日の朝日新聞1面に私の発言が載りました。「破綻の聖域 地方交付税」という表題で、「『地方交付税制度は破綻状態に近く、今のままでは制度として維持できない。官僚だけでは処理できなくなっている』総務省の岡本全勝・交付税課長が地方自治体職員ら約140人を前に、制度の窮状を明らかにした。東京・新宿で11月11日に開かれた地方自治講演会。交付税の責任者が吐露した本音に、参加者は驚いた。」という書き出しです。
現役課長が朝日新聞の1面に乗ることは、霞ヶ関では好ましいことではありません。しかも、自分の担当している仕事についてです。私自身は、間違ったことを言っているつもりはありませんでしたが。当時の瀧野欣弥官房長(後に内閣官房副長官)と国会議員会館ですれ違い、「新聞にあんな記事が出て、申し訳ありません」とお詫びしました(私は国会を飛び回っていたので、そんなところで役所の上司に会ったのです)。滝野官房長は「おかしいと思ったら、自分で改革せよ」とだけ、おっしゃいました。『地方財政改革論議』(2002年、ぎょうせい)なども書いていました。

制度を運用するのも公務員の仕事なら、制度を変えるのも公務員の仕事です。「おかしいと考えています。改革案は・・・」といった発言が、普通にできる社会がほしいです。まずは、与野党の議論、マスメディア、研究者たちの場で、問題を提起し、議論を重ねることでしょうか。

追記(9月13日)
このページを読んだ読者から、次のような指摘をもらいました。その通りですね。次回から気をつけます。
・・・「行政の無謬性」というと明治憲法以前の法律論である「国家無謬説」(本質は裁判権の問題です)と「行政官をめぐるビヘイビアー」をごっちゃにしてしまうので、「行政の無謬観」というべきではないかと思います・・・