追悼、辻陽明記者

今日、22日の朝日新聞夕刊連載「ニッポン人脈記。NPO前へ」に、次のような記述がありました。
・・この連載は、昨年、食道ガンのため53歳で亡くなった記者が残した企画書が出発点だった。朝日新聞編集委員だった辻陽明。NPOや公益法人の取材に力を注ぎ、こう言っていた。「自分たちの力で社会を良くしようとする人々が、NPO革命を起こした。日本社会は捨てたものではない。希望がある」・・

辻さんには、親しくしていただいていました。きっかけは、私が総務省交付税課長の時です。2003年12月4日の朝日新聞1面に私の名前が出ました。「交付税課長が講演会で『地方交付税制度は破綻状態に近く、今のままでは制度として維持できない』と発言した」という記事です(2003年12月4日の記事)。この記事を書いてくださったのが、辻記者でした。その少し前に地方財政の取材に来られ、私が解説したついでに「今度講演会があるので、それも聞いてください」とお誘いしたのが、きっかけです。
現役課長が朝日新聞の1面に乗ることは、霞ヶ関では好ましいことではありません。しかも、自分の担当している仕事についてです。私自身は、間違ったことを言っているつもりはありませんでしたが。当時の瀧野欣弥官房長(現内閣官房副長官)と国会議員会館ですれ違い、「新聞にあんな記事が出て、申し訳ありません」とお詫びしました(私は国会を飛び回っていたので、そんなところで役所の上司に会ったのです)。滝野官房長は、「おかしいと思ったら、自分で改革せよ」とだけ、おっしゃいました。

その後も、辻記者は、経済関係の鋭い記事(2007年6月23日の記事など)を書かれ、幾度か「岡本さんの意見を聞きたい」と尋ねてきてくださいました。朝日新聞記者とは思えない「素直な姿勢?」で、私はウマが合いました(失礼)。時々、夜のおつき合いもしてもらいました。もっとも、辻さんは、お酒は飲まれませんでした。「いや~、少し体調が悪くて・・」とおっしゃっていたのは、今思うと、お病気のせいだったのでしょうか。
さらに、ボランティアやNPOの取材を続けられ、「新市民伝」の連載もしておられました(2006年9月16日の記事)。私は、辻さんに「どのようにして、街の活動家を捜してくるのですか?」と、尋ねたことがあります。
私が秘書官になってから、連絡をかまけていました。今日、この記事を読んで、びっくりしました。まだまだ、いろんなことを教えていただき、また書いて欲しかったです。53歳とは、あまりに若い。あの落ち着いた、そしてにこやかなお顔が、目に浮かびます。残念です。ご冥福をお祈りします。