カテゴリー別アーカイブ: 官僚論

行政-官僚論

制度をつくった場合の成果、「やりました」は成果ではない

役所が陥りがちな失敗に、仕事の量や成果を、インプットで計ることがあります。例えば、予算が増えたことをもって良くやったと評価されたり、残業時間が多いことで満足するとかです。かつての行政の評価が、予算に偏っていたことは、『新地方自治入門』p247で述べました。
しかし、公務員は、まだインプットで計る場面が多いようです。最近になって気がつきました。部下職員と話していると、彼は自分のやっていること、やったことを「アウトプット」と考えています。しかし、私や住民からすると、それは「インプット」なのです。
例えば、復興のための施策(予算や制度)をつくります。かつては、これが「成果」でした。最近は、職員も、さすがにこれをもって、「成果」「アウトプット」だとは言いません。その予算で何か所事業が進んだか、その制度で何か所認可をしたかを、成果と言います。彼にとっては、そうでしょう。
しかし、被災地では、その予算が付けられた復旧事業で、どれだけ生活が再建したか、街の賑わいが戻ったかが、「成果」です。予算が使われた事業の数や認可されたか所数は、現地では「インプット」です。
霞ヶ関で自分の仕事の範囲で「成果」と考えるか、現地での実績まで含めて「成果」を考えるかの違いです。

課長補佐が法律を1本作ったら、それは彼にとって、大きな成果です。しかし、課長や局長からすると、課長補佐のその仕事を高く評価しつつも、その法律によって現場でどれだけの効果が出たかを評価しなければなりません。
国会議員と話しているときに、各省の役人が「これだけやりました」と誇るのですが、議員は納得しません。「君たちは、やっている、やっていると言うが、現地では進んでいないではないか」と。そのすれ違いは、ここにあります。

国家公務員、心の病

人事院の調査によると、2011年度の長期病休者(病気やけがで1か月以上休んだ)国家公務員は、5,370人、全職員274,973人の約2%でした。うち、男性が4,186人(全男性職員229,601人の1.82%)、女性は1,184人(全女性職員45,372人の2.61%)です。
原因で最も多いのは、「精神及び行動の障害」の3,468人で、約65%を占めています。この数は、1か月以上休んだ職員ですから、職場にはこの数倍の「心の病の職員」がいます。

官僚の仕事は未来との対話

かつて、イギリスの歴史家E・H・カーは、「歴史は、現在と過去との対話である」と表現しました(『歴史とは何か』1962年、岩波新書)。その言葉を借りると、私たち官僚の仕事は、「未来との対話である」とも言えます。
現在の社会が抱える問題に対し、それをどのように解決していくか。目標を立てて、それを解決する政策を進めていきます。課題を設定し、解決策を見いだし、現在ある財源、職員、ノウハウ、情報を動員します。
私たちが見据えなければならないのは、未来であり、責任を取らなければならないのは、将来の国民に対してです。歴史家や学者は過去を分析しますが、官僚は未来を作らなければなりません。
その際に、工程表を作り、関係者を巻き込んでいきます。「できる官僚」とは、それを上手にできるプロデューサーやディレクターでしょう。目標と時間軸と手法を提示して、作戦を実行することです。いつまでに何をするか。それには、どれだけの人や方法を利用できるか。
復興の仕事をしていて、自分の役割を見なおし、そんなことを考えています。

日本にはチームがない、個人主義が進んでいる

書評に誘われて、齋藤ウイリアム浩幸著『ザ・チーム』(2012年、日経BP社)を読みました。
著者は、1971年生まれの日系二世のアメリカの方です。14歳で、コンピュータの会社を立ち上げ、成功と失敗を繰り返し、生体認証暗号システムの開発に成功しました。近年は日本に居を構え、ベンチャー支援をしています。国会の東電福島第一原発事故調査委員会の最高技術責任者なども務めています。
この本は、前半は齋藤さんの失敗と成功の半生記、後半は齋藤さんから見た日本社会・企業・役所の欠点を指摘したものです。
「日本にはチームがない。個人主義が進んでいる」という指摘に、私は「違うだろう。日本ほど組織を重視する社会はない、というのが通説だ」と思って読んだのです。しかし、齋藤さんの指摘の通りです。
日本には同質者によるグループはあるが、異質な者が集まってある仕事を成し遂げるようなチームがない。これが、チームがないという指摘です。そして、チームで仕事を達成する教育をせず、個人が競争するだけだというのが、日本は個人主義だという指摘です。
・・政府機関が主催したセキュリティの会議に呼ばれたときも驚いた。出席者は男ばかり、しかも全員グレーのスーツ姿だった。出身大学も出身高校も、あるいは小学校時代に通っていた塾も同じと思えるほど似たような人間が集まって、人種も宗教も職業も違う世界中のハッカー相手の対策を考えていた。これはほとんどジョークとしか思えなかった。ハッカー対策を本当に検討するなら、ハッカーの感性に近い若い人、例えばコンピュータのオタクに協力してもらうべきだと思う。海外ではそうした発想がごく普通で、成果を挙げている・・
・・調べてみると、明治時代から日本の組織は、ずっと同じ構造だった。先進国では例を見ないほどの圧倒的な男社会であること、年功序列が重視され、官民格差が厳然としてある。戦前ならいざ知らず、戦後の民主的な社会になっても、過去の社会構造が温存されたままだ。
各省庁では、東京大学法学部出身者が幅をきかせ、国が国民をリードしていた時代の遺物がそのまま残っている。硬直化しているのは民間企業も同じで、特に大企業は役所とそっくり同じ構造になっている。役員は東大、京大などの国立大学に、早稲田、慶応などの名門私大の出身者ばかりだ。しかも、年配の男性ばかりだ。同質化した集団は、キャッチアップする時代には向いていたが、イノベーションで戦っていかなくてはならない今のグローバルな世界には向いていない・・
・・個人個人は、みなさん優秀な人たちだ。自分たちのやるべきことも、わかっている。やる気もある。しかし、これが集団になると、その優秀さが消え、意思決定ができない守り一辺倒の集団となってしまう・・
・・日本の組織は、いつからはわからないが、イノベーションが止まっているように見えた。何かを解決する、何かを生み出すための組織ではなく、与えられたこと、決められたことを間違いなく処理するための組織、何かを守るための組織になっている・・(P105~)
「アメリカの視点、若い起業家からの視点なので、日本では違う」とおっしゃる方もおられるでしょう。私は、かなり当たっていると思います。十分に紹介できないので、ご関心ある方は、ぜひ本をお読みください。