カテゴリーアーカイブ:官僚論

官僚の責任

2017年3月14日   岡本全勝

3月10日の日経新聞特集は「緩む財政 元大蔵幹部の悔恨録」でした。
・・・赤字国債の大量発行が当たり前になってしまった日本の財政。敗戦直後のハイパーインフレの記憶は高度経済成長にかき消され、借金を膨らます失敗の歴史を繰り返してしまった。当時の大蔵省(現・財務省)幹部は何を考え、どう対応しようとしたのか。取材班は退官後に現役当時を振り返る内部資料「口述筆記」を情報公開請求で得た。大蔵幹部の「悔恨録」は未来への警句でもある・・・

詳しくは原文をお読みいただくとして。私は、「官僚の責任」を考え続けています。不祥事もありますが、政策の失敗です。政策の失敗は、国民に与える影響が大きいのです。もちろん、大きな政策の失敗は、大臣や内閣の責任です。しかし、それを支えた官僚の責任はどうなのか。また、責任の取り方はどうするべきかです。
振り返ると、水俣病などの公害を防げなかったことや被害拡大を止めることができなかったこと。近年では、血液製剤事件で厚生省薬務局が廃止になりました。BSE牛処理・牛肉偽装事件に関して、農水省畜産局が廃止されました。原発事故を防げなかったことで、経産省原子力安全・保安院が廃止されました。
責任の取り方は別としても、政策の失敗は検証するべき課題です。何をもって「失敗」とみるかも含めてです。

中国、官僚の不作為

2017年2月17日   岡本全勝

2月15日の朝日新聞「核心の中国」は、「反腐敗に軟らかな抵抗、違反扱い警戒「何もしない」江蘇省泰州の官僚」でした。
工場の建物が完成したのに、周囲の道路が手つかずだった。市の幹部が、仕事を進めなかったとのこと。
・・・こうした「不作為」が、静かに広がっている。
かつては企業を誘致さえできれば、手段はなんでもありだった。だが、今は違う。2015年5月、共産党機関紙・人民日報は地方官僚たちの本音をこう伝えた。
「(習近平指導部の)反腐敗が厳しく、無理をすれば規則違反に問われる。何もしなければ、違反に問われることはない」
習国家主席も、手を焼いている。「不作為の問題を重視し、解決しなければならない」。昨年1月に地方の幹部を集めた党の会議でも、強調してみせた。だが、自らが旗を振る反腐敗が国中に行き渡るにつれて、皮肉にも手足が動かなくなり始めているのだ。
昨夏、一つの言葉が中国のネット上で瞬く間に広がった。「軟らかな抵抗」。中国人民大学の金燦栄教授が広東省広州での講演で語った言葉だ。金教授の専門は国際関係だが、国内政治の現状をこう論じた。
「15年ごろから、習主席は全国で軟らかな抵抗に遭っている」。地方のエリートや政府幹部の不作為は普遍的な現象だという。「彼らは守れと言われた規定は非常にまじめに守る。上に反対はしない。だが、誰も仕事をしないから、あらゆる政策は無意味になる」・・・

自動車行政の課題、藤井自動車局長

2016年11月10日   岡本全勝

藤井直樹・国土交通省自動車局長が、季刊『運輸政策研究』2016年10月号に「自動車を巡る課題―コンプライアンスと技術革新」を寄稿しています。
読んでもらうとわかりますが、成熟期に入っていると思われる自動車行政が、いくつもの新しい課題に直面しています。多くの乗客が亡くなった軽井沢スキーバス事故、三菱自動車工業とスズキの燃費不正事案、タクシーの呼び寄せアプリやライドシェア。これらを、コンプライアンスと技術革新という観点から整理してあります。そして、現在の課題を取り上げ、その社会的、構造的問題に切り込む。さらに、将来を見通す。
「それは、運転手が悪いのです」とか「会社の問題です」と、個別事象として片付けることも可能です。しかし、それを社会的問題として考えるのです。なかなかの論文です。ぜひ、原文をお読みください。
近年は、官僚が自説を述べない、論文を書かないような気がします。でも、所管行政の現状と課題を整理し、これからの取り組むべき方向を内外に示す。それが、局長や課長に期待されている役割なのですよね。そして、評論家にならず、その課題を解決することに取り組む。これが、官僚の役割です。
藤井局長に続く官僚を期待します。(2016年11月10日)

現在の官僚像

2016年9月6日   岡本全勝

日経新聞9月4日「春秋」欄が、興味深いです。
・・・この夏公開されヒット中のゴジラ映画最新作「シン・ゴジラ」。大人の足を映画館に運ばせた裏に、怪獣映画にしては珍しい設定がある。ふつう巨大生物を迎え撃つ役回りは軍人か天才科学者。しかし今作では、若手の政治家や官僚ら背広姿の集団が主役を務めるのだ。
会議の手配、根回し、コピー機の搬入、徹夜の資料作り。取材を重ねた描写は細かい。首相官邸の中をのぞき見するような面白さもある。加えて怪獣との最終決戦では、詳しくは書けないが、軍事力ではなく民間企業が持つ技術力や生産能力、設備が重要な役割を果たす。それらを動員できたのも官僚の力という筋書きだ・・・
続きは原文をお読みください。

記録的学問と論争的学問、公務員と政治家のご先祖様

2016年7月16日   岡本全勝

中山茂著『パラダイムと科学革命の歴史』(2013年、講談社学術文庫)は、科学史についての本です。その第1章「記録的学問と論争的学問」を読んで、記述を拡大解釈して、なるほどと思いました。著者は、古代西洋と東洋の学問の比較対照と共通点を述べているのですが、それが政治と行政の違いを端的に表しているのです。
著者は、学問のコミュニケーションを、記録によるものと、口頭によるものの2つに分類します。
記録的学問は、天変の記録です。バビロニアでも古代中国でも、権力が天変を記録し、統治に利用します。それは、事務的な、官庁業務的な学問です。それに携わったのが、私たち公務員のご先祖様です。道具は筆記用具です。
他方、論争的学問は、議論の中から出てくる学問です。古代ギリシアの哲学者たちと、中国戦国時代の諸子百家です。ギリシャの民主政では市民が論争をします。その代表者たちがソフィストで、演説で市民を引きつけます。弁論術です。諸子百家も、弁舌で王侯に取り入ろうとします。相手は、ギリシャのように市民ではなく、君主です。これは、政治形態の違いから来る差です。こちらは、政治家のご先祖様です。道具は弁舌です。
そして、記録的学問は、保守的であり累積します。論争的学問は新説がどしどし現れますが、現れては消えます。問題提起が、主な機能です。記録的学問も、記録だけでは真理に到達しません。
著者の目的(科学史)とは離れますが、それぞれを公務員のご先祖様と、政治家のご先祖様と理解すると、公務員と政治家の機能の差がよくわかります。ごく一面的な見方ですがね。