カテゴリー別アーカイブ: 官僚論

行政-官僚論

官僚論、野口教授「政党政治の劣化が問題」

8月8日の日経新聞経済教室は、野口雅弘・成蹊大学教授の「官僚制の劣化を考える(下) 政党政治の劣化こそ問題」でした。

・・・このようなウェーバーによる官僚制の「理念型」は、日本の現実政治には適合しない、といわれてきた。米国の社会学者、エズラ・ヴォーゲル氏の「ジャパン・アズ・ナンバーワン」や国際政治学者、チャルマーズ・ジョンソン氏の「通産省と日本の奇跡」など、高度経済成長期の日本政治を論じた海外の研究は、こぞって日本の官僚組織の優秀さを讃えた。
しかし、ここでの優秀さは、政策形成における「目的」の設定という、本来であれば政治家が行うべき「仕事」までもが、選挙によって選ばれたわけではない、従って民主的なレジティマシーのない官僚が行っていることを肯定した上での評価であった。こうした官僚制は、いわゆる「ウェーバー的な官僚制」モデルからすると、逸脱した形態ということになる。

行政改革では、以上のような政官関係が是正され、「政治主導」が強化されてきた。この流れは橋本行革から、「官から民へ」を掲げた小泉政権、「脱官僚宣言」を唱えた民主党政権を経て、安倍政権における内閣人事局の創設にまで至った。テクノクラート(高級官僚)の支配はいまや完全に過去のものになったといえるだろう。
しかしながらその結果、政治家が決定し、官僚が中立的かつ効率的に行政を行う、というウェーバー的なモデルに現実が近づいたのかといえば、どうやらそうではなさそうである。官僚制の「劣化」といわれるのは、まさにこの局面にかかわっている・・・

・・・現代の官僚制を測るモノサシは、高度経済成長期のレジェンドとして語られる官僚ではない・・・
・・・政策をめぐる競争が形式だけになり、「忖度」する以外に自己実現の道が閉ざされつつあるなかで、官僚の「忖度」を「劣化」呼ばわりして非難するというのでは、あまりに彼ら・彼女らが気の毒である。問題は官僚組織の側ではなく、競争が名ばかりになっている政党政治の側にある・・・

官僚論、田中教授「能力で選抜を」

8月7日の日経新聞経済教室は、田中秀明・明治大学教授の「官僚制の劣化を考える(中) 能力で選ぶ原則徹底せよ」でした。主要先進国の区分(開放型か閉鎖型か、政治任用か資格任用か)がわかりやすいです。

・・・ただし、これは安倍政権で新たに生じた問題ではない。政策過程で政治家や業界との利害調整を担ってきたのが官僚だからである。国家公務員法は、一般公務員の政治的中立性や能力・業績に基づく任命を規定するが、実態は原則から乖離している。例えば、同法は採用時のみならず昇進においても競争試験を原則としていたが、ほとんど行われていない・・・

・・・それではどうすればよいか。公務員制度は、公務員に何をさせるかという哲学に基づいている。2つの方法があり、能力で選ぶ資格任用か、政治家が選ぶ政治任用かである。前者では専門性に基づく分析や検討が重視され、英国が代表例である。後者では政治的な調整が重視され、米国が代表例である(図参照)。ただし、英国でも政治任用の首相や大臣の特別顧問がいるし、米国でも部課長までは資格任用が原則である。
日本の問題は、一般公務員は資格任用が建前なのに、現実には政治任用しうることである。また、外部からの登用も限定されてきた(閉鎖型)。英国では首相・大臣に公務員の直接的な人事権はない。政治家を忖度しないようにするためだ。他方、資格任用を貫くため、幹部は特に公募が重視されている(開放型)。
政治主導のために政治家が公務員人事を行うべきだとしばしば言われるが、米国のように大統領が好き嫌いで行う人事でよいのか。幹部公務員となるためには、特定の政治家との関係が重要になる独仏のような政治任用もあるが、政権交代で失職する幹部のため、天下りや手厚い年金が必要となる・・・

・・・見直しの第一は、幹部公務員の選抜方法である。現在は、約600人の幹部候補者名簿から選ぶ仕組みとなっているが、これでは恣意的な人事になりかねない。局長などポストごとに能力・業績を満たした3人程度の名簿の中から首相らが選抜するようにすべきである・・・

官僚論、松井教授「政治から解放を」

8月6日の日経新聞経済教室は、松井孝治 慶応義塾大学教授の「官僚制の劣化を考える(上) 若手官僚、政治から解放を」でした。

・・・課題は、政治主導の担い手が結局官僚以外に見当たらないことにある。多様な関係者の利害調整を行い、納得を得る着地点を探るには高度な政策知識が不可欠で、政治家がその任にあらざれば、空隙を埋めるのは官邸官僚など幹部官僚しかいない。
官僚の「政治化」、すなわち与党への応答性の高まりは、野党議員の「政治的官僚」への敵愾心をあおり、官僚総体への追及が激化する。結果、中堅若手に被害が及び、霞が関の政策調査・企画資源は着実に蝕まれている。昭和以降、永田町の政治的調整の黒子役を担ってきた官僚たちは、今や政治調整にからめとられ、政治に取り殺されようとしている。
その意味で政治主導の担い手の充実が急務だ。08年制定の公務員制度改革基本法に立ち返り、内閣のもと、若手与党議員が大臣らの指示により政治的連絡調整を行う日本版の議会担当秘書官(歳費以外は無報酬)や非議員の政治任用特別職を増員し、政治任用職と次官・局長ら幹部職以外の政官接触は原則禁止するなどの措置を検討してはどうか・・・

・・・専門性向上の観点からは、民間人材の積極的登用も重要だ。金融、情報通信、知的財産、技術開発など行政の専門化、グローバル化の進展は目覚ましく、霞が関の「内製」のみでは後れを取る。広報、法令順守などの職種は、職責からして外部人材の視点が不可欠だ。政策の競争力を高め、社会的信頼を向上させるべく、職種別、省庁別に中長期的な民間専門人材登用の目標を定め、外部任用を促進する必要がある。
公務員倫理法・倫理規定の精神を尊重しつつも、官僚が霞が関に閉じ籠もらず、現場と交流しやすい環境を作るべく、同規定の弾力化も検討課題だ。国家公務員試験も、より積極的に人材を発掘登用できる抜本的見直しの時期ではないか・・・

・・・明治以来、所管領域ごとに森羅万象を調整する「司祭としての霞が関」は、実質的に立法や司法領域に越境し、憲法に照らし過大な業務を抱え込んだ結果、機能不全を生じつつあるのではないか。与党事前審査の場を事実上設営するのも各府省だし、国会の名において行われるべき野党中心の行政監視機能の受け皿も官僚が担っている。
内閣法制局は実質的違憲立法審査機能を担い、国会が行うべき法案審査は、法制局と各省が政治の意思を踏まえ肩代わりしている。連日連夜、行政に調査を求め、結果が出ればお手盛りと糾弾するのみの国会を改革し、独立して行政監視や独自調査を行う人員体制を国会に整えるべきである。
政党の調査機能の充実も急務である・・・

質問主意書

質問主意書」って、ご存じですか。国会議員の他は、霞が関の官僚しか知らないのではないでしょうか。NHKウエッブニュースが、取り上げていました。「霞が関の嫌われ者 “質問主意書”って何?

簡単に言うと、国会議員が、国会での質疑と同じことを、文書で行うことです。国会法に決められた、重要な仕組みです。しかし、ニュースで取り上げられることも少なく、政治学の本にも出てきません。ちなみに、「趣意書」でなく、「主意書」です。

その重要性を理解しつつ、多くの官僚にとっては、この記事が伝えているように、負担に感じることもあります。もちろん、仕事が増えることもあるのですが、時間の制約が大きいのです。
特定議員から大量の質問主意書が出され、「これ本当に、議員がすべて目を通しているのかな」と思うこともありました。

局長が政策を語る

農林水産省の枝元真徹・生産局長が出ている、政策紹介ビデオを教えてもらいました。
日本の農業をもっと強く
農水省では、政策説明は、説明会だけではなかなか農業者に届かないので、大きな政策はビデオで流すことをやっているとのことです。良いことですよね。ビデオで見るには、ちょっと難しいかな。

官僚は政策で勝負すべきだと、私は主張しています。例えば、2018年5月23日の毎日新聞「論点 国家公務員の不祥事」。このホームページでも、藤井直樹・国土交通省自動車局長(当時)の論文を紹介したことがあります。
世の中の課題を把握し、対策を考え、世の中に問う。そして、国民に説明する。それが、局長の務めでしょう。
もちろん、大臣が先頭に立つべきですが、政策の大小によって、また説明の濃淡によって、局長ももっと前に出るべきです。