許認可官庁の責任

日経新聞私の履歴書、今月は、IIJ会長の鈴木幸一さんです。インターネット草創期の苦労を書いておられます。1993年頃の話です。第13回(10月13日)「郵政省の壁」に、次のように書かれています。

・・・それに拍車をかけたのが、通信の監督官庁である郵政省(現総務省)との堂々巡りの折衝だ。当時の規制ではIIJのようなネット接続企業は「特別第2種電気通信事業者」として、郵政省の「登録」を得る必要があった。登録なしで通信サービスを提供すると無免許操業となり、刑罰の対象になってしまうのだ。

郵政省の係官は登録の条件として「通信は公益事業で、倒産は許されない。当初の計画通り設備投資をし、一方で3年間1件も契約が取れないと仮定しても、会社が潰れないという財務基盤を示せ」という。私は「3年間、契約ゼロなどあり得ない」と反論するが、平行線のままだった。
「そもそも法律には『3年間売り上げゼロでも耐えられる』とは書いていない」と言っても、「これは内規。これまで通信市場に参入した会社は条件を満たしている」。「内規の文書を確認したい」と求めても、「部外秘で見せられない」と断られる。

これではまさに「不条理の迷宮」ではないか。法律の字面では参入自由化をうたいながらも、実際に参入を認めるのは十分な財務力のある大企業だけで、倒産の可能性のあるスタートアップ企業は内規をタテに排除しよう、というのが本音であった。インターネットは従来の通信事業とは根本的に異なる、といくら説明してもムダだった・・・

こんな行政が、まかり通っていたのですね。情報公開法の施行は2001年、行政手続法の施行は1994年です。この項続く