許認可官庁の責任、その2

日経新聞私の履歴書、鈴木幸一さん「郵政省の壁」の続きです。
第15回(10月16日)は「銀座で素っ裸」でした。その顛末は原文を読んでいただくとして。ここでは、郵政省の許認可が1年あまり遅れたことによる、日本社会の損失について紹介します。

・・・ネットの急速な普及を後押ししたのは、今では人類にとって一番重要なメディアともいえる「ワールド・ワイド・ウェブ(WWW)」の登場だ。ウェブそのものは欧州で考案されたが、それを一般に普及させるカギになった閲覧ソフト(ブラウザー)を世に出したのが、IIJのサービス開始と同じ94年に産声を上げた米モザイク・コミュニケーションズ(後にネットスケープに改称)だ。
実はその少し前に「今度できるモザイク社にIIJも出資して、日米で協力関係をつくらないか」という話が持ち込まれたこともあるが、その時は郵政省の承認がおりる前。こちらは食うや食わずの状態で、当然出資話もお断りするしかなかった。

その後、ネットスケープは巨額の赤字を抱えたまま米ナスダック市場に上場すると、時価総額はたちまち2500億円に達した。その頃の同社にたまたま立ち寄る機会があった。同じネット関連の新興企業なのに桁違いに大きくきれいなオフィスを見て、IIJとのあまりの違いに羨ましさを通り越して呆然とした覚えがある。
ネット草創期の90年代前半は、閲覧ソフトや米ヤフーの検索エンジンなど、ネットをめぐる戦略的な技術が次々に登場し、その中から様々なデファクト・スタンダード(事実上の標準)が生まれた時期だ。ここで開いた差は簡単には取り戻せなかった。IIJがこの大切な時期を傍観者として過ごさざるを得なかったのは、我が社にとっても日本全体にとっても大きな損失だったと思う・・・

官僚の判断間違いが、このような社会の損失を生みました。
鈴木さんの文章を、当時の郵政省関係者は、どのような思いで読んでいるでしょうか。