カテゴリー別アーカイブ: 連載「公共を創る」

連載執筆状況

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の執筆が、少しずつ進んでいます。
今日は、第16回から第19回のゲラができました。全体構成では、「第1章3哲学が変わったー成長から成熟へ(3)主体と手法の拡大」に当たります。
9月に掲載される4回分です。これでほっと一息。

並行して、続きの「3(4)変貌した社会への対応」を書いています。ここも、難渋しています。8月初めから、取りかかっているのですが、まだ半分も進んでいません。
書くべき内容は、部分部分としてできつつあるのですが。流れをうまく整理できません。もうしばらく、格闘しますわ。

連載「公共を創る」第13回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第13回「哲学が変わったー成長から成熟へ 発展の暴走に制御が必要」が、発行されました。

前回から、大震災の経験を基に、日本社会の変化や行政の役割の変化を議論しています。今回は、「安全神話」の背景にあったものを取り上げました。
それは、近代社会から続く、「人間は事前と社会を理解でき制御できる」「科学と社会は発展する」という思想です。それに基づき、「科学技術、市場経済、民主主義」が発展し、私たち、はめざましい成果を得ることができました。
しかも、神様や指導者の指示でなく、各人が自由に行動することで、自動的に発展するのです。「見えざる手」と呼ばれました。

しかし、この「見えざる手」は限界に来て、科学技術も市場経済も民主主義もしばしば「暴走」することがあるようです。「見えざる手」に任せるだけでなく、「見える手」で介入することが必要なのです。

連載執筆状況

みなさん、お元気でお過ごしですか。梅雨が明けると、とても暑い日が続いています。今年の暑さは、こたえますねえ。

とはいえ、連載「公共を創る」の締めきりは、待ってはくれず。あんなにたくさん書きためたと思っていたのに、あっという間に、貯金が残り少なくなりました。
続き(第1章3(3)主体と手法の拡大)は7月中旬にはほぼ書き上げ、不安なところを関係者に確認してもらっていました。他方で、右筆に手を入れてもらうことを督促して、昨日、完成させました。

ここのところ、昼もなにかと用務が入り、夜は異業種交流会が続いています。昨日は冷房を入れて、頑張りました。

連載「公共を創る」第12回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第12回「哲学が変わったー成長から成熟へ 東日本大震災が覆した常識」が、発行されました。
今回からは、東日本大震災という個別の災害対処でなく、それを日本社会の変化や行政の役割の変化という、大きな構図の中に位置づけてみます。

大震災は、私たちが持っていたいくつかの「常識」を覆しました。それは、日本社会の基底で起きている変化を、露見させたのです。
日本は災害列島であること。防潮堤で守り切ることはできず、逃げることも必要であること。防災とともに、減災が重要であること。原発が安全だというのは神話であったこと、などです。

連載「公共を創る」第11回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第11回「町を再建するーまちとは何か 町のにぎわいの3要素」が、発行されました。
前回の津波からの復旧に続き、今回は、原発事故からの町の再建を説明しました。原発事故被災地では、津波被災地と異なった困難さがあります。
放射線量が低下する必要があること、場所によっては放射性物質を取り除く必要があること。住民の中には戻らないと決めた人がいること、戻ってくる人も徐々に戻ってくること。住民が戻らないと、商業の再開は遅れ、商業が再開しないと住民は戻らないこと・・・。

そして、これまでの復興を通じてわかった、町の暮らしが何で成り立っているかについて、解説しました。道路や建物を復旧しただけでは、町での暮らしは戻らないのです。産業となりわいの再生、コミュニティの再建が必要です。
公共施設の完成をもって、復旧が完了したとは言えません。住民とそこでの暮らしが戻ってこそ、復興なのです。