「連載「公共を創る」」カテゴリーアーカイブ

連載「公共を創る」第53回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第53回「日本は大転換期―自由の獲得で重みを増した自己責任」が、発行されました。成熟社会の問題、今号は、自由と孤独についてです。

経済発展によって、自由が実質的になりました。憲法で書かれただけでは、自由は獲得できません。豊かになることで、農地に縛られないこと、家業に縛られないことで、自由になれたのです。毎日の生活も、自分の人生も、自ら選ぶことができるようになりました。しかしそれは、自分で選ばなければならないということです。さらに、その結果も、自分で引き受けます。これは、つらいことです。
そして、みんながみんな自立できるわけではなく、また学校を出ただけでは、自立できません。そして、世間から期待されているだけの行動をしないと、失敗したときに「自己責任だ」と、突き放されます。自由は、責任も連れてきました。

自由はまた、孤独も連れてきました。イエや村、中間団体、宗教などの束縛から解放されると、人はつながりが薄くなり、孤立することになりました。それは、プライバシー意識を高め、さらに孤立を進めることになります。

連載「公共を創る」執筆状況

定例の、執筆状況報告です。
連載「公共を創る 新たな行政の役割」は、第3章1(2)「成熟社会の生き方は」の「その2」を右筆たちに手を入れてもらい、編集長に提出したのが7月31日。それを紙面の形にしてもらいました。すると、10月16日までできたのです。これで、一安心。

そこで、他の本に手を出し、執筆が進んでいません。この暑さですから、頭が回りません。冷房も入れるのですが、身体も頭も夏休み状態です。仕事で現地に行くと、熱中症もどきになりました。で、読書も進まず。まあ、夏はそんなものですわね。

しかし、時間はすぐに経ちます。あっという間に、8月も下旬になっていました。気を取り直して、執筆に取りかかりました。
「その3」は、平成時代に大きく変化した、あるいは変化を余儀なくされている個人の私生活です。それを、家族の形、もてあます時間、個人の信念と社会の道徳、などに分けて議論しようと考えています。
これらについては、だれもが、いろんなところで見聞きします。そして、調査や書物が出ています。それを、「公共を創る」観点から、どのように整理するか。断片的事実は知っているのですが、文章の形にするとなると、事実確認など労力が必要です。いつものように悩みながら、少しずつ書いています。

連載「公共を創る」第52回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第52回「日本は大転換期―人口減少で社会の仕組みも変化」が、発行されました。前号から、成熟社会日本の問題を取り上げています。今号は、人口減少と、喜びの変化です。

人口が増えてきた日本が、人口減少に転換しました。人口ピラミッドが、下すぼまりになりました。人口減少はそれだけでは悪いことではないのですが、それを前提にしてきた社会のしくみを変えなければならなくなります。
会社では消費者が減ることであり、部下職員が減ることです。年金財政の絵は、皆さん見たことがあるでしょう。老人を支える若者の数です。かつては大勢で支える胴上げだったのが、3人で支える騎馬戦になり、将来は一人で支える肩車になります。

喜びの変化は、次のようなことです。豊かになったことで、国民は物の豊かさから、心の豊かさを求めるようになりました。しかし、心の豊かさは単純ではありません。
人によって求める内容が違います。そして心の豊かさは、お店に売っていない、行政が提供できるものではないのです。

連載「公共を創る」執筆状況

定例の、執筆状況報告です。
連載「公共を創る 新たな行政の役割」は、第3章 転換期にある社会 1 日本は大転換期(2)成熟社会の生き方は、に入っています。
「成熟社会の生き方は」は、経済成長を達成し、成熟社会に入った日本が、成熟社会での生き方に転換できていないことを議論します。そこを、大きく3つに分けて書いています。

その1が、豊かさと自由を手に入れた「近代の完成」がもたらす問題です。
豊かさを達成すると、喜びは発散します。そして、心の豊かさは、各人がそれぞれに選び、努力する必要があります。そして、それらは政府が一方的に提供できるものではありません。選択の自由があるということは、自分で選ばなければならないということです。それは負担にもなります。これは、近代後期に入った先進国共通の問題です。連載第51回~第54回です。

その2が、日本に特有な問題です。
憧れていた欧米諸国に肩を並べ、豊かさを達成したと喜びました。それ自体は、喜ばしいことです。ジャパン・アズ・ナンバーワンといわれ、満足しました。しかし、それは間違いでした。
経済以外の問題が残っていたこと、それまでの手法が使えなくなり社会のしくみや国民の意識を変える必要があるのに、そのままを続けました。それらの問題を、雇用と教育で見ます。日本の驚異的発展を支えた日本型雇用と教育が、成熟社会になって大きな問題を抱えることになったのです。
この分の原稿を提出し、ゲラの形になりました。第55回~第59回。これで、10月中旬まで持ちます。

次は、その3です。家族の形やもてあます時間など、成熟社会での私生活の問題を取り上げます。
毎日暑いし、しばらく余裕ができたので、ぼちぼちと考えますわ。素材は、いろいろと集めてあるので。とはいえ、1か月はすぐに経ちます。

連載「公共を創る」第51回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第51回「日本は大転換期―成熟社会で見えてきた問題」が、発行されました。
前回まで(第39回から第50回まで)、日本が大転換期にあることを、「成長から成熟へ」として、昭和後期と平成に分けて見てきました。今回からは、これらの変化が、私たちの生活と意識に与えた影響を議論します。それが、行政に変化を迫っているのです。

私たちは、人類誕生以来の3つの敵に、初めて打ち勝ちました。それは、飢餓と貧困、病と死、戦争と暴力です。そのほか、隷属、社会からの束縛、不平等などの「壁」も乗り越えました。豊かさと自由だけでなく、苦痛や困難を克服したのです。
このようなかつてない豊かな生活に満足しながら、国民は不安を感じています。そして、成熟社会では、これまでのような消費と生産の好循環は期待できません。