カテゴリー別アーカイブ: 連載「公共を創る」

連載「公共を創る」第50回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第50回「日本は大転換期―うまくいかなかった平成時代」が、発行されました。

前回に引き続き、平成の地方分権改革について、その位置づけを説明しました。
そして、平成時代の総括を述べました。一言でいうと、昭和後期が「思ったよりうまく行った時代」であり、それに対し平成時代は「思ったほどはうまく行かなかった時代」と言えるでしょう。

その間に、日本人は変わっていません。そして、国民も、企業も、政治も行政も、その時々の課題に精一杯取り組みました。しかし、昭和後期はうまくいって、平成時代はうまく行かなかったのです。
なぜか。それは、科学技術発展の時代背景、国際環境、他国の状況など、昭和後期は「例外の時代」だったのです。他方で、平成時代には、私たちは課題と対応策を間違えたようです。昭和の延長に発展はないのに、まだ続くと考えていたのです。発展途上社会と成熟社会では、課題が異なるのです。
この問題は、令和時代の私たちの宿題です。それを意識して、この連載を書いています。次回からは、その話に移ります。

連載「公共を創る」執筆状況

連載執筆状況の報告です。続きの第3章1(2)その2をほぼ書き上げ、右筆たちに見てもらっています。
今回は、平成時代の変化、成熟国家日本の課題のうち、経済成長を成し遂げて満足した問題とともに、発展途上型の仕組みが合わなくなった例として雇用と学校教育を取り上げました。高く評価された日本型雇用と学校教育が、機能不全を起こしています。

今回もいろんな人に助言をもらい、参考文献を確認しながら書きました。
ところが、原稿の準備資料(半封筒に入れた切り抜きなど)を整理していると、書こうと思っていた項目で書き忘れているものが出てきます。
右筆たちに朱を入れてもらいつつ、これらも加筆しましょう。

連載「公共を創る」第49回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第49回「日本は大転換期―平成の地方分権改革」が、発行されました。
平成初期の地方行政の3Kを説明しています。高齢化、高度情報化に続いて、国際化についてです。
平成の間に、定住外国人が急増しました。ここでは、富山県内の外国人の数字を掲げました。平成元年に2,400人あまりだったのが、令和元年には18,000人を超えています。そして出身国は、31か国から92か国にまで広がっています。
この数値も、富山県庁にお世話になりました。ありがとうございました。

次に、地域の活性化と地方分権改革について解説しました。
かつては、「国土の均衡ある発展」が哲学でした。インフラ整備、工場の分散など一定の成果は上げたものの、行き詰まりました。そして、地域の特性を活かした地域おこしが、各自治体が主体になって取り組まれるようになりました。これは、現在も続いています。

平成時代は、行政改革の時代でもありました。地方行財政では、分権改革、三位一体の改革が行われました。分権改革は戦後改革以来、半世紀ぶりの大改革でした。
早いもので、もう20年も経ちます。今回、「平成の地方分権改革」と表題を付けましたが、「平成の」という形容詞が必要になりました。経験した私にとってはついこの間のことなのですが、若い人には、歴史でしょうね。

連載「公共を創る」第48回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第48回「日本は大転換期―利便性と引き換えに負の面も」が、発行されました。

平成時代の、身の回りの変化を論じています。今回は、便利になった裏側で、負の面も進んでいたことを取り上げました。
郊外に大型店が立地し、中心市街地が寂れました。公共施設なども郊外にできて、車でないと行けなくなりました。街歩きができないのです。
アパートやマンションが増え、隣近所付き合いが薄くなりました。住民が町に集中する一方で、田舎は人が減り、空き家が増えました。耕作放棄地も目立ちます。

その次の話題として、平成初期に地方行政関係者の間で流行した、3Kを説明します。高齢化、高度情報化、国際化です。

連載執筆状況

連載「公共を創る」の原稿、第3章1(2)「成熟社会の生き方は」の執筆を続けています。
長くなりそうなので、3分割にすることにしました。その1を、右筆さんたちに送って、手を入れてもらいました。文章や考えの拙い点を指摘してもらい、また違った観点からの見方も助言してもらいました。いつもながら、ありがたいことです。
事実の確認や図表の作成など、その他の人たちにも協力を得ました。ありがとうございます。

編集長に提出して、ゲラの形にしてもらいました。4回分になりました。これで、8月が乗り切れます。
その2も、コツコツと執筆中です。