カテゴリー別アーカイブ: 連載「公共を創る」

連載「公共を創る」第95回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第95回「「政府が家庭に入る」─公私二元論の変容」が、発行されました。

今号の前半は、行政が公私二元論に縛られていたことを、災害対策行政を例に説明します。
国や自治体の役割が公共施設復旧に絞られ、個人や企業の施設復旧、生活や営業の再開はそれぞれの責任とされたのです。また、避難所や仮設住宅での生活支援の水準が「最低限」のままで、通常の生活水準に達していないことも挙げることができます。

後半は、弱者支援の過程で、政府が家庭に入るようになったことを説明します。
「政府は家庭に入らない」という近代憲法の原則は、いくつも変更を受けました。生活保護、介護保険などです。個人の資産や能力を調べ、住まいの中に入ってきます。これらは、本人の同意の下に行われます。他方で、引きこもり支援はどう考え、どのようにしたらよいのでしょうか、家族は助けを求めていますが、本人は求めていないことが多いでしょう。
児童虐待や家庭内暴力の場合は、本人たちが介入を求めていなくても、被害者を救うために家庭に入ることが必要です。
社会的に自立できない人を支援する場合も、問題があります。「嫌だ」と言っている人に対し、「首に縄をつけて」社会に引き出すことはできません。生きていく力をつけることも、本人の意欲がないと、政府などが強制することはできません。

連載「公共を創る」執筆状況報告

恒例の、連載「公共を創る 新たな行政の役割」の執筆状況報告です。
紙面では「第4章政府の役割再考」の「1社会の変化」が続いていますが、これが10月21日で終わります。執筆の方は、「2社会と政府」に入りました。

そのうち「(1)社会を支える民間」の前半を書き上げ、右筆たちの厳しい指摘を反映して、編集長に提出しました。編集長に誌面の形にしてもらったら、3回分、10月28日号から11月18日号までになりました。

このように書くと、余裕があるように見えますが、10月中には、続きを数回分書き上げなければなりません。すでに着手はしているのですが。常に締めきりに追われる、自転車操業です。精神衛生上、よくありませんね。2か月分くらい貯金していると、もう少し余裕が出るのですが。

今回は、「社会を支える企業」「変わる企業の社会的役割」についてです。これまでに各章で書いた話もたくさんあり、それらを含めて整理しました。
社会の変化によって、これまでの教科書的説明が役に立たなくなっています。それを説明したいのです。

連載「公共を創る」第94回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第94回「社会の課題の変化―「個人救済」担い手と手法の変化」が、発行されました。

前回から、新しい弱者への支援の拡充を説明しています。
かつては個人の責任とされたリスクのいくつかが、国によって救うべきものに変わりました。すると、自己責任と控除との兼ね合いが、問題になります。

政府が困っている国民を救う際には、金銭的支援だけではありません。弱い労働者と強い企業と対等に交渉できる条件をつくったり、最低限の労働条件を定めることで労働者を守ったりします。自立のために、金銭支援でなく、自立を促すトランポリン型の支援をつくりました。男女共同参画や働き方改革は、社会の意識と仕組みを変えようとする試みです。

連載「公共を創る」第93回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第93回「社会の課題の変化―「弱者発見」とその対応の拡大」が、発行されました。

今回から、「第4章1(3)個人の責任と政府の責任」に入ります。
第4章(連載第71回から)では、日本が成熟社会に入ったことで、社会の問題と行政の課題が変化したことを説明しています。新しく生まれた格差と孤立という不安は、これまでの行政の方法では対応が難しいものでした。
新しい弱者が発見され、行政がその救済を引き受けることになりました。これまで個人や家庭の責任だったリスクが、政府の責任になりました。それが、行政の在り方に大きな変更を求めています。この変更は、国の在り方や憲法の議論にも及ぶ、大きなものだと、私は考えています。

今回は、新しい弱者が発見され、その対応を拡充してきた歴史を振り返ります。
極めて簡単にまとめると、19世紀には労働者を発見し、次に働けない人たちを、20世紀後半に消費者を、21世紀には社会生活において自立できない人を発見したと言えるでしょう。
近代の行政の歴史は、弱者を発見し、それに対する救済の方法をつくってきた歴史です。国民みんなが必ずしも「自立した市民」ではないことを発見し、その人たちを支える手法をつくり出してきました。
そして今また、新しい種類の弱者が発見されました。その人たちを支援する手法は、これまでの社会保障を超えるものです。

2人孤独死

9月14日から朝日新聞社会面で、「2人孤独死」が連載されています。
内容は、記事を読んでいただくとして。高齢者の2人暮らしで、2人とも倒れる、あるいは世話をしていた方が倒れることでもう1人も倒れる事例が載っています。このようなことも起きるのですね。

高齢者の一人暮らしは孤立し、孤独死の可能性があります。このことは、世間では認識されていますが、2人暮らしでも危険性は高いのです。
ここでわかるのは、独り暮らしが危険、2人暮らしが危険というのではなく、孤立していることが危険だということです。外部の人と毎日の付き合いがあれば、助けを求めることができるでしょうに。
プライバシーが守られる、扉を閉めれば内部の様子がわからないアパートやマンションででは、孤立はさらに高まります。

他方で、新型コロナウイルス感染症で、一人暮らしでの危険性も報道されています。
一人暮らしで何かあった際の危険、そして孤立していることの危険。これらへの対処が求められています。連載「公共を創る」で取り上げている主題の一つです。