「寄稿や記事」カテゴリーアーカイブ

雑誌への寄稿や取り上げられた記事、講演録など

毎日新聞「論点 国家公務員の不祥事」に、意見が載りました。

5月23日の毎日新聞「論点 国家公務員の不祥事」に、私の発言「現場の声 政策に生かせ」が載りました。先日、上野編集委員の取材を受けました。
相次ぐ中央官庁での不祥事は、残念なことです。しかし、それらの中には、原因や様相が異なるものが含まれています。
ここでは、3つに分類しました。一つは官僚機構の構造的問題、もう一つは官僚たちの仕事の仕方の問題、そして最後は個人の立ち居振る舞いです。記事では、第2、第3、第1の順に書かれています。

「公務員の中にも、変な奴がいる」と言ってしまえば、それまでですが。完全になくせないとしても、幹部の破廉恥行為や、公務で重大な失敗を起こしては、国民の信頼を損ねます。これは、くり返し正確な仕事、清潔な振る舞いを注意喚起しなければなりません。

他方で、第一の構造的問題は、構造的に取り組まなければなりません。すなわち、「官僚は政策で勝負する」ように、切り替えなければなりません。
一つは、ここに書いたように、欧米にお手本がない以上、自分たちで考えることです。
もう一つは、出世も大事ですが、それとともに政策が重要であることです。官僚の役割は政策ですから。
すると幹部公務員、特に局長級は評価の基準を、打ち出した政策とするべきです。補助金を配ること、大過なく過ごすこと、政治家に気に入られることは、高級官僚の評価基準ではないでしょう。この項続く

日経新聞夕刊コラム第19回

日経新聞夕刊コラム第19回「NPOの活躍」が載りました。日本の行政論の第4回目で、民間との協働の第2回目です。前回第18回で、行政と企業との協働について書きました。今回は、行政とNPOとの関係です。

コラムに書いたように、私はNPOは行政と別世界の人たちと思っていました。大震災の当初、支援活動の申し出があった際に、この人たち・組織がどのようなものなのか、どのように付き合って良いものか、わかりませんでした。
この人たち、特に市民運動家と呼ばれる人たちは、「意識が高く、行政とは別路線を行く人たち」とも思っていました。
そこで「私たち役所に使われてもいいのか。NPOが行政の下請けになると批判されるのではないか」と聞いたのです。即座に、「違います。我々の方が、やりたいことのために、岡本さんを使うんです」と言われて、目から鱗が落ちるというか、私の考えが間違っていたことに気がつきました。

個人ボランティアもありがたいのですが、より継続的、専門的な支援は、組織ボランティアであるNPOが有効なのです。この違いを、理解して欲しいです。また、NPOは無償で働いていると思っている人も多いです。

NPOを世間に認知してもらう際に必要なのが、継続的な活動と、もう一つは呼称です。名前の頭に「非」とつくところからして、スマートではないですよね。何か良い名前はないでしょうか。

日経新聞夕刊コラム第18回

日経新聞夕刊コラム第18回「自治体と企業」が載りました。日本の行政論の第3回目です。
県庁では、企業連携の窓口を作るところが増えてきました。「福島県庁の場合」。また企業も、社会貢献の中で、地域での貢献を広げています。「三井住友海上火災保険の資料」。もちろん、連携協定を結ぶことが目的ではなく、具体の事業を実行することが重要です。
国にあっては、古くなりましたが、「官庁での官民連携」()を調べたことがあります。

官共私の三元論は、拙著『復興が日本を変える』で述べました。慶應義塾大学での公共政策論でも論じています。公共は、行政だけがつくるものではありません。また、企業やNPOは企業の委託先や下請けだけではありません。

道路は行政が作ります。税金でです。その上を走るバスは、多くの場合、民間です。料金で運営します。しかし、バスがなければ、車を持たない人や運転しない人、高齢者や学生は意味がありません。道路建設には多額の税金を投入しながら、バスや鉄道にはわずかしか公費が出されません。
提供者側の論理、これまでの行政の仕組みでは、こうなっています。移動する生活者から考えると、違ったものが見えてきます。

供給側の論理で考えるか、利用者・生活者の立場で考えるか。モノやサービスが十分でなく、それらをそろえる際には、供給側の論理が有効でした。しかし、一通りのモノとサービスがそろった段階では、利用者・生活者の立場で考えるべきです。
その一つの例は、この連載の第16回「未来との対話」で提案しました。

日経新聞夕刊コラム番外編1

日経新聞夕刊コラム「あすへの話題」は、6か月の連載予定のうち、4か月が過ぎました。既に17本が掲載されました。早いものですねえ。
5月3日は祝日なので、夕刊はお休みです。私のコラムもお休みです。で、コラムの執筆に関した話を書きます。

朝日新聞の名物コラム「天声人語」の執筆者の一人は、有田哲文記者です。このホームページでも、紹介しました。
天声人語は、603文字(改行なし)です。私が書いている「あすへの話題」は、改行ありの684字です。天声人語の方が短いのですね。天声人語は、もっと長いと思っていました。それだけ、内容が豊富であり、詰まっているということでしょう。
しかも、有田記者は、書きためずに毎日の勝負とのこと。すごいです。いえ、天声人語と勝負しようと思っているわけではありません(苦笑)。

このコラムを書いていて、思いました。
次のような要素のいずれかを入れることができたら、と考えつつ書いています。
・へえ=読者が知らないこと。
・なるほど=読者に共感を持ってもらえること。
・クスッ=少し笑える話。
そして、岡本全勝ならではの独自性も、必要です。とはいえ、行政の話は「固くて」、夕刊コラムには難しいです。
・ウルウル=涙を誘う話は、そんなにはありませんし、
・季節の話題は、私には期待されていないでしょう。

話の運びとしては、起承転結、序破急も重要ですが、最後の締め(オチ)をどうするか。それが重要です。テーマ(主題)選びとともに、締めに悩んでいます。
これまでの17本をお読みになって、どう感じられたでしょうか。
残りは8本です。乞うご期待。

日経新聞夕刊コラム第17回

日経新聞夕刊コラム第17回「この国のかたち」が載りました。前回に引き続き、日本の行政論について書きました。

「この国のかたち」という表現は、司馬遼太郎さんのことばです。
明治以来、欧米先進国から制度を輸入し全国に広めることが、日本の行政、大学、企業の仕事の仕方でした。「制度輸入、全国均てん」方式です。官僚、大学教授、企業の選ばれた職員が、欧米に留学し最新知識を持ち帰りました。
そして、大成功しました。しかし、先進国に追いついたことで、この手法は役割を終えます。たぶん1970年代から1980年代でしょう。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という表現は、「もうお手本はなくなった」ということを表していたのです。最後に「輸入」した行政制度は、2000年に開始した介護保険制度だと思います。

今回のコラムには書けませんでしたが、ジャパン・アズ・ナンバーワンが成り立ったのは、前にお手本があったこととともに、後ろから追いかけてくる国がいなかったからです。
台湾、韓国、そして中国が、それぞれの国内事情で経済発展が遅れました。これらの国々が経済開発に舵を切り、日本を追いかけてきて、日本の一人勝ちはなくなりました。
もっとも、これらの国々も、後発利益で快進撃を続けている限りは、日本と同じ道を歩むでしょう。すると、いずれ天井に当たります。それを避ける、あるいは突破するためには、新しい産業モデル、社会モデルをつくらなければなりません。
アメリカは、新しい産業に挑戦しています。IT、ハリウッド、バイオなどなど。また、それらを生みだすような「競争社会」です。それらと同じ土俵で競争するのか、別の社会を目指すのか。それも含めて「この国のかたち」をつくらなければなりません。