「関西大学経済学部で講義」の続きです。関西大学経済学部のホームページに、記録が掲載されました。
「著作と講演」カテゴリーアーカイブ
関西大学経済学部で講義
今年も、関西大学経済学部に呼んでいただき、講義してきました。100人を超える学生が、熱心に聞いてくれました。近年の学生は、真面目ですね。
私の講義は、難しい理論を話すのではなく、彼らが知らない過去のできごとと、それに対して政府・役人はどのように対応したかです。これなら、わかりやすいと思います。地震の話をするのですが、高校で地学を履修した学生は一人だけでした。
もちろん、事実と体験談だけでなく、分析的なことも入れてあります。インフラ復旧だけでは、街での暮らしは成り立たないこと。企業や非営利団体、コミュニティの役割も重要なことです。
併せて、これから社会に出る学生たちに期待すること、こうすれば悩まなくても良いよという助言もしました。それが、私に期待されていることでしょうから。新聞を読んでいる学生はいませんでした。ネットでも、見ていないようです。新聞の読み方、その重要性を話しました。通じたかな。
質疑の時間は、良い質問がたくさん出ました。かつてと違い、積極的に手を挙げてくれます。その後、大学院生との意見交換もしてきました。当然ですが、学部生とはひと味違った質問が出ました。
帰りの新幹線の中で、この記事を書いています。
連載「公共を創る」第223回
連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第223回「政府の役割の再定義ー与野党の政策立案能力の低下」が、発行されました。
政治主導がうまくいっていないことの一つとして、政治家の間の役割分担を議論しています。首相と大臣との役割分担の次に、各府省での大臣と副大臣と大臣政務官との分担について見ます。
前回で述べたように、首相と大臣の役割分担が混乱すると、大臣と官僚、そして大臣と副大臣や大臣政務官との役割分担も混乱します。
大臣や副大臣、大臣政務官の多くが1年で交代することの弊害もあります。1年では、予算年度を一巡する間に、決裁などの事務処理や多くの行事をこなすのが精いっぱいで、疑問や問題を見つけても、改善することができません。官僚たちと政策を議論する時間的な余裕がないのです。さらには、将来の職歴上昇に向けて、じっくりと大きな政策構想を築くための勉強もできないのです。
次に、政治家の役割分担の一環として、政府(内閣)と与党との関係について取り上げます。
政府と与党の二元制では、与党(議員)は多くの政策を行政機構(官僚)に依存することになります。自ら政策を検討することがなく、各省から出てくる政策案を議論したり、支援者などからの情報に基づく関心事項を各省に示して政策を検討させたりするからです。
もちろん、議員が関心事項について、各省に問い合わせることはあることです。また、議員に寄せられた情報を、各省の政務職や関係の部局に伝えることもおかしいことではありません。しかし官僚が、あたかも与党政策審議会の下部組織のように仕事をしてきたのがこれまでの実態です。
首相官邸の日程管理
日経新聞ウエッブ版に、清水真人・編集委員の「首相官邸は1日にして成らず 政策の前に人事と日程管理」(2024年8月8日)に、私の発言が載っていることを教えてもらいました。これは、7月30日にPHP総研フォーラム「官邸の作り方ー総裁選を前に政治主導の未来を考えるー」に出演した際の発言です。1年近く前の話です。
・・・首相官邸は1日にして成らず。新首相が官邸を円滑に立ち上げるには3カ月の準備期間が欲しい――。政策シンクタンクPHP総研のこんな提言が永田町で関心を集めている。新首相にとって新しい目玉政策の展開も大事だが、その前に政権運営を安定させる官邸中枢の人事配置、重要日程の掌握や危機管理の備えが先決だと訴える・・・
・・・元復興次官の岡本全勝「08〜09年の麻生太郎内閣では、私を含め2人で首席首相秘書官の役割を分担した。首相の一番重要なリソースは時間だ。日程管理では首相に誰を会わせるか会わせないか、いつ何分、首相の時間を取るかが最も大事な仕事だった」
7月30日、PHP総研がこの報告書をテーマに開いたウェビナー。牧原や岡本らパネリストは日程管理の重要性で一致した。意外にも聞こえるが、報告書は新首相が早く展開したいはずの新しい政策について「政策プログラムの着手は急ぐな」と戒める・・・
連載「公共を創る」第222回
連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第222回「政府の役割の再定義ー政治家に求められる将来像の提示」が、発行されました。
この国の将来像を考える際の基盤を説明しています。その三つ目は、成熟社会になって見えてきた課題への対処と、意識の転換が遅れていることです。欧米先進諸国でも、このような移行期の不安はあったと思われますが、長い年月をかけて対応したのでしょう。それに対し日本は、短期間で大きく変化したことから、そのずれに悩んでいます。たぶん、日本を追いかけてきたアジア各国も、これから同じような悩みを経験するのではないでしょうか。
以上で、この国の将来像を考える際に基盤となるであろう、三つのことを説明しました。
一つ目は、我が国が経済発展と自由で安全な社会を達成したことで、これからは「国民が自由に振る舞う、国家はその条件を整える」ことが将来の国家像の基礎になることです。
二つ目は、経済発展を達成した1990年代と現在では、内外の条件が大きく変わったことです。
その後は産業が衰退し、経済的先進国ではなくなりました。国内外には、新たな不安が増大しました。これらに、対処しなければなりません。
三つ目は、成熟国家になって見えてきた課題への対処です。「成熟社会の中の不安」と「意識転換の遅れ」です。
世界では、権威主義国家は、国民を動員して奮い立たせ、かつ指導者へ服属させるために、いろんな政治的あるいは文化的「物語」をつくり、宣伝します。そのような物語に巻き込まれたり屈服したりしないように、民主主義国家も人びとに、その体制の魅力を語らねばなりません。民主主義国家が語るそれは、権威主義者のような「物語」そのものではなく、人びとが夢のある「物語」を自らつくり出すための場を提供することであるはずです。我々は、国民に夢と安心をもたらすためにも、国際競争に生き残るためにも、魅力ある日本の「場」をつくり、国民と諸外国に語りかける必要があります。
次に、少し角度を変えて、「政治家の間の役割分担」と「内閣と与野党と国会の役割分担」について考えてみましょう。政治家と官僚の役割分担がうまくいっていないのと同様に、政府内での政治家の間の役割分担も必ずしもうまくいっていないようです。