カテゴリーアーカイブ:社会の見方

福井ひとし氏の公文書徘徊13

2026年6月1日   岡本全勝

アジア時報』6月号に、福井ひとし氏の連載「一片の冰心、玉壺にありや?―公文書界隈を徘徊する」第13回「政党内閣に九片の「冰心」ありや?」が載りました。29ページもの力作です。
今回は、原敬内閣(1918年・大正7年組閣)の閣僚の紹介です。もう100年以上前のことになります。平民宰相、本格的な政党内閣です。朝敵の藩から立身出世するだけでなく、政党を取り仕切り、政権につく。並大抵のことではありません。

原首相と8人の閣僚とその功績を、公文書や新聞記事で紹介しています。よくまあ、こんなことを思いつき、たくさんの公文書を調べるものですね。感心します。盛岡市にある原敬記念館をも、調査しているようです。ここでも見たような・・・

この連載は、国立公文書館にある公文書を材料にして、歴史的事件などに立ち会った人たちの動きを紹介する「近代史読み物」です。役所は古代中国、律令国家以来、前例主義です。それがないときはどのように「切り抜けるか」。官僚の知恵が試されます。そして官僚は文書で仕事をするので、その過程が残っているのです。

男の家事が世帯を豊かにする

2026年5月31日   岡本全勝

5月15日の日経新聞経済教室、瀬地山角・東京大学教授の「男の家事が世帯を豊かに」から。
・・・少子高齢化が加速している。労働力が減る社会にあっては、労働力を増やす政策をとる必要があるが、その候補となるのは女性・高齢者・外国人しかない。筆者は東アジアのジェンダー、特に女性や高齢者の労働パターンを専門としている。本稿ではジェンダーの観点から日本の政策・企業・家庭になにが求められているのかを論じたい。

配偶者控除や第3号被保険者制度などの、専業主婦及びパート収入が一定以下の世帯に対して「補助金」が出るようなしくみは、少子高齢社会の制度設計と逆行する。配偶者控除はもともと1961年に、自営業者が収入を妻と分割できる制度と平衡をとる形で導入された。だが今や就業者の9割以上が雇用者である。
第3号被保険者制度の導入は86年。当時は日本型福祉社会論が福祉政策のベースだった時代で、介護を家族に任せるのだから女性を保護する、という発想はかろうじて整合性があったかもしれない。だが介護保険制度が導入され、第3号被保険者制度の前提そのものが崩れたと考えるべきだ。
そもそもこれらの制度によって保護される世帯を見ると、専業主婦世帯は大都市部に多く、夫の所得が相対的に高い。専業主婦を保護する制度は、実は地方の貧しい共働き層から、相対的に豊かで少数の専業主婦世帯に所得移転をするという、非合理的な制度となっていることがわかる。

専業主婦というライフスタイルは日本では大正期に誕生し、高度成長期に全国に広まった。戦前以来の国勢調査をみると、女性の労働力率が最も低いのは75年である。だが2025年には、共働き世帯と専業主婦世帯の比率は約3対1となった(労働力調査)。専業主婦はすでに少数派であり、今後も減り続けるだろう。配偶者控除などの政策セットは高度成長期に対応したもので、少子高齢社会に適応できていないのだ。
専業主婦が悪いといいたいのではない。その生き方に「補助金」が出ている以上、それを利用しようとする人がいるのは当然だ。働く女性と、専業主婦の対立の問題でもない。むしろ問題は男性側にある。
図に見るように日本の共働き男性の1日あたりの平均家事関連時間は53分、同女性は4時間18分である。これほど極端な偏りは欧米だけでなく、東アジアでも例がなく、もはや社会的な問題である。家庭のゆがみが社会のゆがみをもたらしているのだ・・・

ついている図によると、韓国では男性59分・女性171分で2.9倍、台湾では男性104分・女性212分で2.04倍です。

・・・つまり家事育児のコストは、女性労働者の肩の上にのみ加算されているように、企業の側からは見える。結果として、残業させやすい男性を採用するのが「合理的」に見えてしまう。職場には子育てをしない人ばかりが集まり、子育てに向かない職場ができあがる。

男性は家事労働が増えるだけだと思う人もいるかもしれない。しかし、実は妻が正社員の場合、男性にとって家事以上に時給の高い仕事は存在しない。
図の通り、共働き世帯の家事時間は男女あわせて5時間強。生涯子供を持たない世帯を除くと、平均では6時間程度と考えられる。その半分の1日約3時間、夫が家事をすれば、妻はフルタイムで働ける計算になる。1年にすると約1000時間、つまり妻の年収の千分の1が夫の家事の時給となる。妻が年収500万なら時給5000円だ。
そして妻が第1子出産後も正社員で働き続ければ、大都市部ならその後の人生で確実に2億円は稼ぐ。宝くじが必ず当たるのだ。この場合夫がその額を追加で稼ぐことはほぼ不可能で、夫の家事の時給は夫自身の残業代の時給より高い。世帯の生涯賃金の最大化を考えると、妻の正社員での就労以上の解はない。
ただ実際には、30代後半以降の女性の正社員の就業者は、4割に満たない(労働力調査)。多くの人が当たりくじを捨てているのだ・・・

国際郵便の便利さと苦労

2026年5月30日   岡本全勝

アメリカまで書類を送る必要があり、国際郵便の書留で送りました。去年もやったのですが、すっかり忘れていて、日本郵便のホームページで勉強しながら、準備しました。

ところが、なかなかうまくいかないのです。国際書留郵便ラベルを作ろうと、マイページサービスに入りました。去年の記録が残っているのですが、パスワードが違うらしく、新しく作り直しました。
次の問題は、「内容品名」の入力です。選択肢に書類がないのです。パンフレットだとか本だとかはあるのですが。私の探し方が悪いのか。仕方ないので適当に選んだら、その次の「内容品種別」には選択肢として「書類」がありました。「単価」も書くのですが、いくらにするかなあ・・・。

完成したので印刷して、封書と一緒に郵便局に持ち込みました。
局員さん曰く「国際書留郵便ラベルを作れば、封筒に宛名書きをしなくて良いのですよ。ラベルと同じことを書いていますよね」。私「はい・・・」。
ラベルをビニルのパウチに入れて、封筒に貼り付けます。ラベルはA4版の半分ですから、定形封筒をはみ出します。何じゃこれは。局員さんが上手に貼り付けてくれました。そして封筒の空いたところに切手を貼ります。金額が大きいので、数枚。これも難儀。

送った後は、便利です。拠点を通過したら教えてくれるという欄に印をつけておいたら、通過するごとに電子メールでお知らせが来ます。今どこにいるのかも、見ることができます。すでにニューヨーク、JFK空港の税関まで到達しているようです。

世界が認める日本料理

2026年5月28日   岡本全勝

5月17日の日経新聞別刷りに「京都・菊乃井から気鋭の料理人続々 和食国際化が結ぶもう一つの果実」が載っていました。紙面では別の表題です。

・・・欧州の都市に住む日本人ジャーナリストと話をすると、和食の国際的な広がりは我々の想像以上だと痛感する。パリのおにぎり屋の繁盛ぶりは言わずもがな、先日はベルリンみやげにイタリア産の米とベルリンの水道水で仕込んだSAKEを渡された。マドリード在住30年のライターは「日本食は常食化した」と指摘し、浸透度合いを「日本におけるスパゲティ」に喩える。

025年の日本の農林水産物・食品の輸出額は1兆7005億円と、13年連続過去最高を更新した。食品メーカーや飲食チェーンの地道な努力に加え、和食のユネスコ無形文化遺産登録(13年)もひと役買ったに違いない。
「日本料理アカデミー」(日本料理の国際的な発展と認知、世界への普及を目指すNPO法人)の中心として、ユネスコ無形文化遺産への登録をはじめ、外国人料理人受け入れ制度の導入など、和食の国際化に尽力したのが京都「菊乃井」の村田吉弘さんである。海外でセミナーやデモンストレーションを精力的に行い、和食の特質、だしやうまみを知らしめた功績は大きい。

現在、東京・青山で「てのしま」を営む林亮平さんは、その渦中で村田さんの右腕の役目を担った。01〜17年の菊乃井在籍中に、国際会議や首相官邸での晩餐(ばんさん)会、20カ国以上での和食普及イベントを手掛けた。「連日様々な案件が持ち込まれ、厨房は米国、韓国、イタリアなどからの研修生で国際色豊か。伝統や慣習に支配されがちな日本料理界に多様な考え方や価値観が吹き込んだ時期でした」と振り返る。
研修生のために、暗黙の了解を言語化する必要もあった。調理技術はもちろん、献立、歳時記、器や道具、部屋の設(しつら)えの由来や根拠を問い直し、「日本料理とは何かを日々考えていた」と言う・・・

次のような文章があります。
・・・青森県弘前市「陽」の成田陽平さんは東京、南仏、パリで計7年のフランス料理歴を持ちながら、下積みから再スタートを切った転向組。パリのミシュラン三つ星「アラン・デュカス・オ・プラザ・アテネ」で働いている時、訪れた村田さんに「フランス料理をやっていても、フランス人の上に立てない」と言われたのがきっかけだった。
「日本料理には二十四節気七十二候に基づく献立の考え方があり、コースを構成する皿数も多い。料理を取り巻く要素を理解するにも時間がかかる。でも、料理人人生で必ず役立つ」と身を投じ、9年間の修業を経て、22年に故郷で開業した。
独立にあたり、村田さんから贈られた言葉があるという。「拝顔直下」。足元を見よ、との意だ。今、成田さんが意識するのは「京料理から遠ざかること」。菊乃井で学んだ日本料理の枠組みと技術の上に、いかに郷土性を持たせるかに心を砕く・・・

いいですね。かつて私たちはフランス料理に憧れました。結婚式の披露宴はフランス料理でした。私の年になると、そして世界が、日本料理の素晴らしさが理解するようになりました。
西洋へ憧れから、脱皮したということでしょう。世界が認めると、日本人もその良さに気がついた、自信を持ったということだと思います。日本食とともに、観光地もそうです。

意識の鎖国

2026年5月24日   岡本全勝

日本の投資の停滞」(4月20日)で、滝澤美帆・学習院大学教授の「日本は「イースト型」の経済成長を促せ」(4月2日の日経新聞経済教室)を紹介しました。そこには、次のようなことが書かれていました。
「日本の労働生産性(時間当たり)はこの30年間、主要先進国で最低水準にとどまり続けている。深尾京司・経済産業研究所理事長の研究によれば、1人当たり国内総生産(GDP)を基準に見ると、日本が技術フロンティアから著しく乖離した局面は鎖国下で産業革命に乗り遅れた江戸時代末期、太平洋戦争前後に続いて、1990年代以降が3度目だという」

日本が海外との交流をやめて「内向き」になった時代は、平安時代(中期以降、遣唐使船の停止)、江戸時代(鎖国)、戦時中があります。内に閉じこもると、それなりに安定した社会ができますが、外からの刺激と競争がないと残されてしまいます。
「失われた30年」は、これらと並べることができるかもしれません。
鎖国をしているわけではないのですが、特に国際化が進んだ現在では、海外で戦わないと地位が低下するのです。内に閉じこもった企業だけでなく、海外への留学生や旅行客の減少など。国民が「世界一になった」と満足したことで、海外との競争を怠ったように見えます。意識の鎖国です。第2の鎖国とも言えるかもしれません。

古代の朝鮮半島や中国との交流から始まり、南蛮貿易、明治時代と、文物や思想などを輸入することで、日本は発展してきました。それを考えると、平安時代、江戸時代、戦時中に続く、第4の鎖国なのかもしれません。
もう一つは、「先進諸国に追いつく」という「この国のかたち」が機能しなくなったことも挙げられます。目標・手本とすべき国や文明が明確でないのです。佐伯啓思先生「日本の方向を決めるのは」2