カテゴリーアーカイブ:社会の見方

「史観」がなくなった21世紀

2026年8月4日   岡本全勝

7月21日の読売新聞「歴史貫く「国民の物語」 失われた30年…「日本史はいかに物語られてきたか」 河野有理・法政大教授に聞く」から。
豊かさという「坂の上の雲」を目指し、坂を登り切った日本。成熟社会になって、次の目標を見つけられないでいる日本。私が「公共を創る」で主張していることと通じるものがあります。

・・・日本人は、自分たちを歴史の流れの中に位置づけられなくなっているのではないか――。政治思想史が専門の法政大教授・河野有理氏は、新刊『日本史はいかに物語られてきたか』(新潮選書)をまとめ、そんな不安を抱いたという。

河野氏は本書で、坂本多加雄や山本七平、司馬遼太郎、松本清張、吉本隆明ら、戦後の学者や作家ら20人の、それぞれの歴史の見方(史観)を論じた・・・見えてくるのは、多様な史観が競合していた思想空間の豊かさだ。その背景として河野氏が挙げるのは、戦前にあった二つの「正史」の喪失。天皇を中心とする史観と、経済が歴史を動かすと考える共産主義的な史観(史的唯物論)で、それらの重しがなくなった分、自由に語れるようになったのだと見る。
だが、21世紀に入ると、国民の歴史への関心は依然として高いままなのに、史観がほとんど出されなくなったという。本書でも論じられる百田尚樹氏の『日本国紀』(2018年)は、史実を淡々と記す一方、特に前近代では物語に不可欠なキャラクターがおらず、歴史の因果関係や時代区分にもほとんど関心が払われていないことを指摘。歴史を貫く物語や史観がないと結論付けた。

史観がなくなった大きな理由の一つとして、冷戦終結後、左派中心の学界では、国民国家単位の歴史を等閑視する風潮が強まったことを挙げる。国民の物語よりマイノリティーへの注目が大切だとの理屈だ。
一方の右派は、冷戦終結後、日本が歩むべき道があやふやになり、歴史の中のどこに自分たちを位置づければいいか分からなくなり、危機感を抱いたという。それが、新たな国民の物語を目指した「新しい歴史教科書をつくる会」の結成(1997年)につながったと説明する。
だが学界はその動きを激しく批判し、突き放した。河野氏は、「つくる会」の危機意識は振り返れば的を射ており、貴重な問いかけだったと指摘。「左派も日本という国を前提に物事を考えており、物語を持っている。だから、よりまっとうな物語について、左右が議論すべきだった」
前後して、学問の細分化・専門化も進行。「エビデンス志向」が強まり、事実誤認がSNSなどで徹底攻撃されるようになった。その結果、学者や作家が専門以外の分野に言及するのを避けるようになり、史観や通史も語られなくなった・・・

・・・なぜ物語が重要なのか。それは、自分たちが背負っている物語は、国としての行動原理、ビジョンそのものだからだ。「個人でも会社でも、ビジョンがなければ決断は常にその場限り。『失われた30年』は、多くの国民が合意できる物語づくりに失敗した30年でもあった。皇室の維持について真剣に議論している今は、生産的な議論をする好機でもあると思う」・・・

学童保育の必要性2

2026年8月3日   岡本全勝

7月11日の朝日新聞オピニオン欄に「放課後どこに行けば」が載っていました。学童保育は、共働きが増えた現在では、学校と同様に必須のものとなりました。もっと、重要なものとして位置づけるべきでしょう。「学童保育の必要性

・・・かつて小学生たちは放課後、気ままに過ごしていた。でも今の時代、子どもを放っておくのは心配だし、学童保育は過密状態……。放課後どこに行けばいい? 子どもたちが、のびのび過ごせる場とは・・・

佐藤愛子・全国学童保育連絡協議会事務局次長の発言から。
・・・学童保育(放課後児童クラブ)とそこに通う子どもは年々増えています。私たちの2025年の調査では、約2万5千カ所に児童151万7772人が入所していました。公立小学校に通う1~3年生のうちの約4割が利用している計算です。出産後も働き続ける女性が増え、放課後や長期休みに子どもが通える場所が必要とされています。

学童保育は需要に供給が追いついていません。入所人数に制限をかけず大規模化した施設は、騒々しくて安心して過ごせない空間になっていることも多い。遊びや活動も制限されがちです。子どもが「話を聞いてほしい」と思っていても、指導員側も声や手が届かず葛藤があると思います。
国は14年、学童保育における子どもの人数を支援の単位(1クラス)につき「おおむね40人以下」などと厚生労働省令で基準を定めました。ただ、地域の実情によって変えてもよい基準のため、25年時点で基準を満たしているのは全体の約6割に過ぎませんでした。
「待機児童ゼロ」でも学童保育が充足しているとは限りません。適正規模を超えて子どもをどんどん受け入れたら、「ゼロ」になるわけですから。

4~6年生でも学童保育を必要とする家庭はあるのに申請を諦めているというケースも聞きます。高学年だからこそ、一緒に成長してきた仲間との時間は大切です。災害・事故に遭うリスクを考え、学童保育にいてほしいという保護者もいます。しかし、現状は低学年が優先され、学童保育を必要としている子どもが必要な期間、通い続けられているのか疑問です。
少子化や財政難などを理由に、新たな施設の整備に消極的な自治体は多いですが、必要とするすべての子どもが通え、安心して過ごせる環境にするには、整備はまだ必要だと考えます。将来的に高齢者施設に転用するなど長期的な視点を持てば、方法はあるのではないでしょうか・・・

アメリカ、自由主義の失敗?

2026年8月1日   岡本全勝

7月4日の朝日新聞オピニオン欄に、パトリック・デニーンさんの「米国、思想の地殻変動」が載っていました。

・・・4日に建国250年を迎える米国。その国家の背骨ともいえる自由主義は失敗したのだ――そう説くのが、米国のポスト・リベラル思潮を先導する政治学者で、バンス副大統領の思想的支柱とも目されるパトリック・デニーン氏だ。初来日を機に語った、トランプ政権の背後にある米国思想の地殻変動とは。

―2018年の著書「リベラリズムはなぜ失敗したのか」は大きな反響を呼びました。いわゆる左派リベラルに限らない「自由主義」の失敗を論じていますが、どういうことでしょうか。
「自由主義が危機に瀕しているのは、その理念を実現できなかったからではありません。むしろ、完全に成功したからこそ失敗したのです」
「過去数十年間、米国の左右両派は、まるで共犯関係にあるかのように『個人の解放』を推し進めてきました。左派は社会や文化の面で、右派は経済の面で。それぞれ、伝統や地域共同体のくびきから、個人を切り離すことを優先課題としました」
「民主、共和の両党が自由主義を訴え、米国民には事実上、それ以外の選択肢がありませんでした。その結果、かつて健全だった中産階級や地域社会は破壊され、歩いて生活できる安全な街はぜいたく品となり、私たちは、歴史上最も孤独な社会を生きています」

―あなたの批判の対象は、現代の自由主義にとどまりません。
「米国の自由主義は、1776年の独立宣言や合衆国憲法から始まったのではありません。それ以前の17世紀、プロテスタントと共に英国から新大陸に渡った個人主義、神との一対一の契約という宗教観……建国の父たちは、それを明文化したにすぎません。問題は『個人と国家の二項対立で世界を考える人間観そのもの』にあり、ここから見直す必要があります」

―現実の地殻変動を、どう捉えていますか。
「トランプ現象は、政治的病理の原因ではなく、必然的な症状です。左右のエリート層から見捨てられ、経済的な新自由主義も社会的な進歩主義も望まない労働者の、深い絶望があった。トランプ氏自身は明確な哲学を持ちませんが、直感で訴え、既存システムの『壊し屋』と期待されたのです」

―米国の保守陣営内の変化はどうでしょう。米国で主流のプロテスタントの中で保守色の強い、福音派も注目されています。
「過去数十年間、福音派は家族の価値観を掲げつつ、新自由主義経済と結びついてきました。これは、新自由主義のエリートが宗教右派をつなぎ留めるために取引した結果でした」
「しかし、米連邦最高裁が22年、人工妊娠中絶の権利を認めた判決を破棄したことで、彼らは追い続けたかった目標が実現してしまい、どうしていいか分からない状態に陥っています。中絶問題は、保守連合の接着剤としての機能を失いつつあります。反共産主義でまとまっていたレーガン保守連合が、ソ連崩壊で目標を見失ったのに似ているかもしれません」

―あなたが、宗教と政治が一体化した「神権政治」を目指していると警戒する声もあります。
「私が求めているのは、国家と教会の統合ではなく、『文化としての宗教の公的な承認』です。行き過ぎた個人主義や物質主義に対する防波堤として、宗教の文化的なプレゼンスを取り戻すことを主張しているのです。税金を特定の宗教に回さないといった政教分離の伝統は、私も完全に受け入れています。しかしそれと同時に、米国には公的なキリスト教の長い伝統も存在してきました。政教分離と、社会における宗教の文化的な存在感は別物なのです」

―危機意識は分かりました。ではどのように崩壊した共同体を再建し、自由主義に代わる「共通善」を社会に取り戻すのですか。
「もはや自然発生的な回復を待つことはできません。火災報知機の非常ボタンを押す段階です。具体的にはまず、生活圏レベルの自治の再生。家族、地域共同体、中間集団の再建です。自由主義によって破壊された、個人と国家の間にあった、人が人として育つ場所を取り戻すことです。そして、民衆を見下すエリートでも、方向性を失うただのポピュリズムでもなく、民衆の伝統と常識に深く根ざした新しいエリート層を意識的に育てることです」
「歴史上、時代の根本的危機と出合うかたちで、新しい秩序のビジョンを描く思想家が現れてきました。私たちはそうした思想が必要な時代を生きています。しかし、私自身にできることは新しい共通善を規定することではなく、人々に建物が燃えていると知らせ、避難経路を示すことです。そのあとに何を建てるべきか、その叙事詩的なスケールの仕事は、おそらく若い世代が引き受けるべきではないでしょうか」

アメリカの高校、金融教育

2026年7月31日   岡本全勝

7月6日の日経新聞夕刊に「アメリカ、高校で金融教育の義務広がる 職業選択などに好影響を期待」が載っていました。
かつては、「一生懸命働けば食べていくことができる」「出世すれば、よい暮らしができる」「お小遣いは貯金する」という教えしかありませんでした。私も、早い段階で勉強しておくべきでした。しかし、よい教科書もありませんでした。今はどうでしょうか。

・・・米国の高校で家計のやり繰りや投資の方法などを学ぶ金融教育が広がってきた。2008年のリーマン・ショック前にほとんどみられなかった州全体で義務にする措置が、全米の半分以上の州で実践されるようになった。若者たちの職業選択など人生にもいい影響を及ぼすと期待されている。

経済教育協議会(CEE)が3月に発表した報告書によれば、金融教育が高校で義務になったのは全米39州に及び、米国の半分以上の州に広がる。直近でもカリフォルニア州やデラウェア州、コロラド州、ハワイ州などが義務化した。
ロードアイランド州では21年、金融教育が高校の卒業要件になった。ポール・カフィー高校ではゴンザレスさんら主に3年生が3カ月半ほど、金融に関する授業を毎日受ける。ジェネビーブ・シュルツ校長は「大人として成功し人生をうまく切り抜けていくために必須の知識だ」と話す。
他の生徒の多くが、クレジットカードの仕組みやおカネの借り手の信用度を示す指標に特に関心を持ったという。会計士や医療技術者、獣医などそれぞれの生徒が具体的に目指す仕事に就いたことを想定して、最初の1カ月目の収支計画を立てる課題にも挑戦した。
クラスの中には貧困家庭で育つ生徒もいる。教師のグリフィン・クワークさんは「この授業は格差是正の面でも大きな役割を果たしている」と熱心に指導する。

大学に進学したポール・カフィー高校の卒業生は節約のために大学の寮に入らずに自宅から通う例が多いという。米国では働いてからも長い間学生ローンの返済を強いられるのは珍しくない。同校3年のハズメル・カシミロ・ペナさんは「奨学金がもらえることが決まったので借金せずに大学に行ける」とほほ笑む。高校で金融教育を受けた成果とも言える。

高校での金融教育を米国で初めて州全体の義務にしたのはユタ州だった。03年に成立した法律に関わった州公認会計士(CPA)連盟のスーザン・スピアーズ最高経営責任者(CEO)は「ユタ州は自己破産率で当時、全米ナンバーワンの状況が数年続いていた」と振り返る。
状況を打開するために思いついたのが高校生への教育だった。スピアーズ氏は「子供が学んだ知識を親にも話してくれることにも期待した」という。独調査会社スタティスタによると、ちょうど20年たった23年のユタ州の自己破産率は全米13位にまで改善した。

ニューヨーク州でも、今年の秋から公立の中学校と高校で金融教育が義務になる。ニューヨーク市内のヘラルド・スクエア公園では、それに先駆けて18年から大人向けに毎月数回講座が開かれている。毎回4〜5人が集まって、昼食を食べながら講師の話を聞く。
イベントを主催するフューシャ・ローズさんは「国語や数学、読み書きのように基礎的な知識として、小学校でも金融教育を取り入れていいと思う」と訴える。幼いときから学んでいれば、大学に進学するかどうかの選択やその後の職選びなどでも別の道を進むことができた人もいるかもしれないと考えるからだ。
公園の講座に参加した50代のフレードー・ビクトリアさんは「自分も子供のときに授業を受けたかった。特に投資の仕方などを学ぶ機会があったらよかったのに」と口にする・・・

大衆社会を変えたソーシャルメディア

2026年7月30日   岡本全勝

6月11日の日経新聞経済教室、田辺俊介・早稲田大学教授の「新しい大衆、「思い込み」加速させる構造」から。

・・・近年急速に広がったソーシャルメディア(SNSや動画共有サービス)は、人びとにどのような影響を与えたのか。そして新たなメディアは大衆社会をどのように変貌させたのか。

ソーシャルメディア以前のマスメディア(特に新聞とテレビ)が隆盛をみたのは、第2次世界大戦後の成長を経た先進諸国だ。安定した職業をもつ「中間層」が増加し、一国内の経済的平等がある程度達成されたように考えられた。
中間層に消費を促す広告の増加を伴いつつ、主要な情報取得手段となった新聞やテレビは共通の話題を提供し、一定程度均質で平等な存在としての「大衆」を生み出した。マスメディア時代の先進諸国では、貧困や不平等に対処する福祉国家を前提として、既存政党から投票先を選び、時に政権交代させる政治過程が基本モデルとされていた。
しかし1980年代以降、特に冷戦後にグローバル化が進展していく中、多くの先進諸国では所得と資産の格差が拡大して上位1%に富が集中し、一方で大衆社会の基盤とされた中間層を生み出した職業(製造業など)が減少し、不安定化した。また新自由主義的改革によって社会福祉が削減され、国家が提供してきた各種セキュリティー(身体的・法的・経済的安定性、雇用・社会保障など)喪失の不安感が広がった。

直近数十年の間に、インターネットの普及・高速化を背景としてソーシャルメディアが急速に浸透した結果、誰もが発信者となりうる情報環境へと変化した。日本の例を挙げれば、新聞発行部数は97年のピーク時に比べて半減し、テレビも2010年代より視聴時間は減少し続けた。一方、スマートフォンの利用率は優に9割を超え、基本1人1台となっている。
経済階層の不平等化の一方、情報発信の平等化が進む。これらを背景に、先進諸国における政治過程も大きく変容した。既存主要政党は、職業階層に基づく支持層の多くを失っていく。
一方でアウトサイダー的なポピュリスト政治家は、職業や近隣など旧来のつながりから遊離した人びとに対し、SNSなどを通じて直接メッセージを伝え、その支持を調達する。
ポピュリスト政治家の多くは、自らの、フェイクも含む発信内容を正当化するために、情報発信を専有してきた新聞やテレビなどマスメディアを、大衆と敵対する、腐敗したエリートの一員として批判する。

経済格差の原因となる、いわゆる上位1%の経済エリートは、自らもその一員であることが多いこともあってかあまり批判せず、他方で多くの国民にとって「外集団」となる外国人や移民をたたく。
「わたしたち」内集団を「かれら」外集団よりも好意的に見る「内集団バイアス」と、否定的で危険を感じる情報の方が人びとの感情をかき立て、行動を促すという「ネガティビティーバイアス」。この2つの認知バイアスを利用することができる「内集団である国民が被害者で、外集団である移民や外国人は加害者である」というナラティブ(物語)は、多くの人びとに浸透しやすい。
同じ社会の一員という外国人の実像より、少数であっても外国人犯罪者のようなネガティブなイメージの方が、多くの人びとに受容され、拡散されてしまう。
特に、閲覧数や「いいね!」の数が評価や経済的利益と結びつき、真実性の検証は二の次となるSNSや動画共有サイトなどでは、そのような情報の方が「バズり」、流布される。認知バイアスなどを利用できる分だけ、その主張は広まり、支持を調達しやすいからである・・・

・・・たしかに、経済的な不平等化や各種のセキュリティー不安など、大衆が感じる違和感に、既存の政党・政治家、さらにマスメディアは適切に応えることができずにいた。だからこそ、人びとは解答を求めてソーシャルメディアで情報を集め、その問題の解決策を声高に主張するポピュリスト政治家に期待してしまう。
しかし、事実に基づかないポピュリスト政治家の政策は、基本的に状況を悪化させる。第2期のトランプ米大統領が主導する支離滅裂な政策が着実にアメリカの国力を低下させているのは、その典型例であろう。
真偽不明な情報がソーシャルメディア上にまん延しているがゆえに、裏取りのなされた事実の発信者としてのマスメディアの重要性は増している。しかし、認知バイアスの加速により、マスメディアの言葉はますます受け入れられなくなりつつある。
広がる一方の認知バイアス利用に対峙して、事実を伝えていけるのか、実現は容易ではない。大衆の不安と違和感に真摯に向きあっているのかが、いまマスメディアには問われている・・・