「社会の見方」カテゴリーアーカイブ

英語が日本共通語に?

日本語の表記3」「大学での英語の授業」の続きになります。
私の妄想ですが。あと100年も経たずに、英語が日本語に取って代わり国語となり、現在話している日本語は古語になるのではないでしょうか。「日本語の表記2」「日本語の表記3」で、日本語に英語がたくさん輸入されている。それは、1500年前に漢字を導入したように、今度は英語に切り替えつつあると書きました。

インターネットの普及で、英語の文章や会話に、簡単に触れることができるようになりました。大学などで英語の授業に苦労するより、早い段階で英語を身につけようとする人が増えるでしょう。小学校から英語を教えるようになりましたし。
理科系の大学院生は英語で論文を書いて、インターネットで発信しているでしょう。海外との取引、国際的に活躍する企業人も英語が必須です。そして、英語は世界共通語になりました。リンガ・フランカです。英語を母語としない国の人も、英語を学ぶでしょう。すると、お互いに英語で会話することになります。日中、日仏などの通訳が不要になります。

日本語を母語として英語も話せることが理想ですが、人間の脳はそんなに器用にはできていません。2世代から3世代あれば、言葉は切り替わると予想します。
私は、言葉は簡単に変わらないと考えていたのですが、考えを変えました。その理由は、次回に。

日本語の表記3

日本語の表記2」の続きです。
「1500年前に漢語を取り入れ、現在は英語を取り入れている」と説明しました。
今は英語を取り入れる際に、カタカナに変えて取り入れるのが主ですが、アルファベットのままで取り入れることも進んでいます。そして、新しい言葉だけでなく、日本語にある(漢字やひらがなにある)言葉も、英語に置き換えることが進んでいます。例えば、フォローする、クリアする、サポートするなどです。

これが進むと、「フォロー」「クリア」「サポート」は、アルファベットで、follow、clear、support と書かれるようになるでしょう。
キーボードで入力する作業を考えてください。ローマ字変換では、foro-、kuria、sapo-toと入れます。私は時々英文を入力する際に、困ってしまいます。ローマ字変換になじんでいるので、英語の綴りがすぐに出てこないのです。二カ国語に通じれば、英語もすぐに出てくるのでしょうが、多くの人はその域まで達しません。
それなら、最初から英語(アルファベット)で、日本文に入れた方が簡単です。若い人は、順次それになじむのでしょう。「日本語を大切に
1350年ほど前には、それまで「おおきみ」と呼んでいたものを、「天皇」と文字も発音も変えた経験があるのですから。

その次には、英語の発音も取り入れると思います。古代の日本語には、らりるれろで始まる単語がなかったとのことです。辞典に出てくる語は、漢語か欧米から取り入れたものです、ラジオ、ルリカケスとか。しりとり遊びの際に困るのですよね。中国から伝わった「馬(マ)」「梅(メイ)」も発音できず、ウマ、ウメと発音しました。
いずれRとLの違いやthの発音も、日本語に取り入れられるのでしょうか。
すると残る英語との違いは、文法になります。

なお、国語の表記を入れ替えた例には、韓国(漢字を廃止してハングルに)、トルコ(オスマン帝国を滅ぼし、アラビア文字を使ったオスマン語からアルファベットを主体としたトルコ語に)があります。

「減酒」の勧め

5月11日の読売新聞「あすへの考」は、吉本尚・筑波大准教授の「飲んでもいい…「減酒」の勧め」でした。心当たりのある方は、本文をお読みください。

・・・お酒との付き合い方を見直す動きが世界的に広がっている。長らく「百薬の長」とされてきたが、少量でも健康を損なう恐れがあるとの研究結果も出始めている。
日本でも若者を中心にアルコール離れが進む。ただ、生活習慣病のリスクを高めるほどの量のお酒を飲む人の割合は、あまり減っておらず、特に女性では増えている。長年親しんできたお酒との関係を断つのは簡単ではないようだ。
そんな人にお勧めなのが、「断酒」ではなく「減酒」。精神科以外で日本初の「アルコール低減外来」を開設し、昨年、厚生労働省の飲酒に関する初のガイドライン(指針)策定にも携わった筑波大准教授の吉本尚さんは、「楽しく飲み続けるために今日からできることはたくさんある」と訴える・・・

・・・専門は、幅広い病気やけがを診て必要に応じて専門科へとつなぐ「総合診療」です。アルコールの問題に関心を持ったきっかけは、東日本大震災でした。
学会の活動の一環で被災地で役立つ海外の文献の翻訳プロジェクトを始め、世界保健機関(WHO)のアルコール対策マニュアルなどを読み込みました。目に留まったのが、「(診療科を問わず)医療機関の外来を訪れる人の1~2割がアルコールを飲み過ぎで、支援が必要だ」との記述でした。そういう患者がいることは実感していました。でも、100人に1人くらいだろうと考えていたので、事態の深刻さに驚きました。

文献はまた、あらゆる患者の健康問題と向き合う我々のような総合診療医こそが、アルコール対策の最前線にいると指摘していました。アルコール依存症のケアは精神科の領域だと思っていましたが、我々が日常的に診ている高血圧やけがなどの背後に、お酒の問題が潜んでいるかもしれないと気づかされました。
WHOのマニュアルを追認するように、2018年、精神科医らでつくるアルコール依存症関連の診断・治療指針が改訂されました。依存症の初期や軽度症状には、総合診療医などによる対応が有用だと明記されたのです。これに背中を押され、19年、アルコール低減外来を開設しました。

依存症治療は、全くお酒を飲まない「断酒」が主流です。一方、我々は、お酒の量を減らす「減酒」を勧めています。飲み過ぎによる諸問題を解決するための外来であり、飲酒自体を否定しているわけではないのです。「依存症と言われたくない」「断酒させられたくない」と考える患者の受診への心理的なハードルを下げる狙いもあります。
診察は、基本的にカウンセリング形式で行います。
「日頃、どんなふうに飲んでいますか?」「どんな時に飲み過ぎてしまうの?」。飲酒習慣について雑談する中で、患者が自身の飲み方について考え、改めるきっかけを作っていきます。中でも、患者にお酒を飲む理由を自覚してもらうことが、お酒を減らす一歩になると考えています。

多量飲酒には、四つの引き金があるといわれています。「Hungry(空腹)」「Angry(怒り)」「Lonely(孤独)」「Tired(疲労)」で、それぞれの頭文字をとって「HALT」と呼ばれます。いずれも「ストレス」を感じている状態で、こうしたストレスを軽減するためにお酒を飲むわけです。
でも、ストレスが根本的に解決するわけではありません。お酒を飲んだ晩はすっきりしても、朝目覚めたら、ストレスの原因が解決していない現実に気がつき、がくぜんとした経験はないでしょうか。前夜との落差があるぶん、精神的にもきついはずです。患者にそのことを指摘すると、はっとした表情を浮かべる人もいます・・・

『オスマン帝国全史』

宮下遼著『オスマン帝国全史 「崇高なる国家」の物語 1299-1922』(2025年、講談社現代新書) を読みました。新書版で約500ページ、読み終えるのに2週間ほどかかりました。
宣伝には、次のように書かれています。
「文明の発祥地であり東西南北の人とモノが目まぐるしく行きかう西ユーラシアにあって、しかもイスラーム教と正教、ユダヤ教、カトリック教を奉ずる異教徒同士が混住する東地中海と中東の只中に産声をあげ、従って富とともに常なる外寇と内訌に晒(さら)されるはずの地域に成立しながら、かほどの遐齢(かれい)を見た国家は世に類を見ない。
本書は、現代から見れば、到底一つの政体が統合できるとは思われないこの世界を、実際に統治してみせたオスマン帝国の歴史を、最新の研究成果に拠りつつ辿る通史として編まれた」

副題にあるように、オスマン帝国(帝国の前も含めて)は約600年も続いたのです。日本で言うと、鎌倉時代から明治時代まで。中国では、元から中華民国まで。とんでもない長さです。ビザンツ帝国を滅ぼし、イスタンブールを首都とします。広いです。最盛期には、現在のクリミア半島、ウクライナ、ルーマニア、ハンガリー、バルカン半島、ギリシャ、北アフリカ、中近東を支配します。黒海も東地中海も、紅海、ペルシャ湾まで。

しかし何と言ってもこの帝国のすごさは、多様な民族や多様な宗教(しかも3大宗教の聖地)を抱えていながら、長期に安定したことです。現在、この地域ではいくつも紛争が続いていることを考えると、その包容力・統治の仕組みは驚異です。異教徒であっても、迫害しない。スペインがレコンキスタでイスラムやユダヤ教徒を迫害しましたが、それを受け入れるのです。キリスト教徒の子どもを奴隷として育て行政の幹部とすること、妻をめとらず(外戚の容喙を防ぐ)、皇太子以外の王子を殺すなどなど、政権中枢安定の方策が採られます。

領土を拡大する時期の話も面白いのですが、教訓になって興味深いのは衰退期です。スルタンも大宰相も危機感を持って改革を進めるのですが、守旧派の抵抗に遭って頓挫します(第六章 改革の世紀、第七章 専制と革命、第八章 帝国の終焉)。どの組織でも同じですね。
1908年に革命が起き、国会議長がスルタンに拝謁して、次のように奏上します。「これ以後、陛下は我らの主上として、日本の天皇陛下が日本国になさるような奉仕をあなたさまの臣民になさることとなるのです」。そう聞かされたスルタンは心中で、「日本は一つの宗教と民族によって国民の紐帯が保障された偉大な社会ではないか。クルド人やアルメニア人、ギリシャ人やトルコ人、アラブ人やブルガリア人を、いったいどのようにまとめあげればよいというのか?」と反論したと、回想録に書いてあるそうです。193ページ。

まだまだ興味深いことが書かれていますが、それは読んでみてください。私たちの学んだ世界史が西洋中心だったことに、改めて気づかされます。

大学での英語の授業

4月28日の日経新聞に「30年後の大学、留学生が3割 英語での授業当たり前に」が載っていました。
・・・日本に留学する若者が増えている。一部の大学では多国籍なキャンパスが既に実現。勢いを保てば学生の2〜3割が留学生、英語での授業は当たり前という未来が近づく。2050年の18歳人口は今より4割近く減るかもしれないが、日本で就職する留学生も増え、職場に活気をもたらすはずだ・・・
国立大学協会は、3月にまとめた将来像で、国立大学の留学生比率を2040年までに3割に高めるとしました。東大は2027年に修士まで5年一貫の新課程を創設し約半数を留学生とします。

明治維新で欧米を目指した際、お雇い外国人の教師たちで、大学は英語の授業でした。それを日本語に転換したのです。ラフカディオハーンの次の英語教師が、夏目漱石(金之助)でした。
大学院の授業や医学の授業を、英語など世界の大言語でない自国語でできる国は少ないのです。先達の苦労のおかげであり、教科書が売れるだけの需要がある人口だったからです。
日本と異なり多くの後発国では、教科書は英語であり、エリートはアメリカなどに留学します。大学、大学院まで日本語ですませられることは、ありがたいことですが、その結果、明治時代のエリートや諸外国のエリートに比べ、日本のエリートは英語が下手になりました(自らを省みて反省)。
この項続く