カテゴリーアーカイブ:社会の見方

違うテーマで署名記事2本

2014年4月16日   岡本全勝

今朝16日の朝日新聞1面に、「原発事故からの避難、移住進む 家や土地取得1791件」が載っていました。中村信義記者の署名入りです。2面に、「党拡大、資金集めの呪縛 渡辺前代表8億円問題、軌跡を追う」の記事があり、中村信義記者の署名が入っています。復興と政治資金をテーマに2本の記事、それも1面と2面。他の記者との連名とはいえ、大活躍ですね。

大学、社会との関わり方の変遷

2014年4月15日   岡本全勝

東京大学広報誌「淡青」2014年3月号に、馬場靖憲教授が「東大産学連携の歴史と展望」(p15)を書いておられます。
・・日本の大学は、特に東京大学は、欧米の先進技術を吸収して民間へ技術移転するための組織でした。大学は国の発展を支えるエンジンであり、意識するまでもなく産学連携は盛んだったのです。戦時中、国家のために産業界と連携して軍艦や兵器を作ったのは、いわば当然でした。
そうした反省から、戦後は産学連携が下火になります。1960年代には、大学紛争の影響もあり、大学が企業と関わること自体がタブー視され、産学連携は停滞しました。それが、1998年のTLO法(大学等技術移転促進法)策定を機に、再び熱を帯びていまに至るわけです・・
なるほど。社会と研究の関係について、この説明はわかりやすいです。
司馬遼太郎さんは、明治期の帝国大学を「文明の配電盤」と表現しました。後進国の日本が先進国に追いつく際には、帝国大学や官僚の役割は明確でした。しかし、追いついたときに、「輸入総代理店」の役割は小さくなりました。
大学は、教育分野では有為な社会人を育成するという役割を続けつつ、研究分野においては先進国と伍して最先端の研究を行うことになります。自然科学系は、この転換に成功したようです。研究者は、国境を超えて活躍しています。イギリスやアメリカの学会誌に論文を載せ、ノーベル賞などの国際的な賞も得ています。

数字で見える都市の活力

2014年4月11日   岡本全勝

3月31日の日経新聞特集「グローバルデータマップ」に、世界各都市の空港について、国際線の利用状況比較が載っていました。国際線が飛んでいる先の都市の数、国際旅客者数、総発着回数です。その都市のビジネスや観光の活発さがわかる指標です。
ロンドンは、351都市と結ばれ、年間1億2千万人が利用し、発着回数は110万回です。パリが、255都市、7,100万人、75万回。ニューヨークが、132都市、3,600万人、118万回(ロンドンと発着回数は変わらないのに、なぜか利用者は3分の1以下です)。
それに対し、東京は88都市、3,300万人、56万回です。香港が、138都市、5,300万人、34万回。ソウルが、143都市、3,800万人、37万回。シンガポールが、134都市、4,700万人、31万回です。
もちろん、地理的条件などの要素もあって(ヨーロッパは近くに外国が多い)、それだけで単純に「都市の活発さ」にはなりませんが。東京がアジアのより小さな都市に負けているのは、気になります。
人の動きが、都市の活力や豊かさの指標とは言い切れませんが、重要な指標の一つであることは、間違いありません。国内で言えば、新幹線の通っているところが、経済的豊かさとほぼ重なります。もっとも、新幹線ができたから経済が活性化したという、ニワトリと卵の議論はあります。
しかし、地元の大金持ちが1人や2人いて大散財するのと、域外から観光客やビジネスマンが来て、一晩に2~3万円(宿泊費と飲食費。このほかにお土産)を使ってくれるとしたら、100万人来ることの効果ははるかに大きいです。
そして、もう一つ。域外からの人が来ることは、都市に変化をもたらします。地域が活力を持ち続けるには、カネを生み出すこと、カネを呼び込むことといった経済力と、発展を続けるという革新性、更新力が必要です。

先入観

2014年4月10日   岡本全勝

先日、あるビルの代表に電話をかけたら、男性の電話交換手が出ました。最初は、電話番号を間違ったかと思いました。「電話交換手は女性である」と、思い込んでいるのですね。その思い込みが、間違いです。
たぶん、電話交換業務は民間委託されていて、年度が替わる際に入札で業者が変わったのでしょう。そして新しい業者には、男性の交換手がいたというということだと、推察します。

お子様ランチ

2014年4月4日   岡本全勝

昨日に続き、日本の生活文化について。
3月29日の朝日新聞夕刊「あのときそれから」に、「お子様ランチ登場」が載っていました。
昭和5年(1930年)、東京日本橋三越本店で、「御子様洋食」が誕生しました。富士山ライスとスパゲッティ、クリームコロッケ、サンドイッチです。富士山型のライスには、登頂旗が立っています。基本的には、今と変わっていませんね。翌昭和6年には、上野松阪屋で、「お子様ランチ」が登場します。
1960年代、上野松阪屋では、日曜には1,300食も出て、4~5人でてんてこ舞いで、オムレツを焼いたのだそうです。私も、子どもの時、お子様ランチはわくわくしました。その後、我が家の子どもたちも、喜ぶ定番でした。いろんなものが入っている、子ども向け「松花堂弁当」か「幕の内弁当」なのでしょうね。
また、3月15日の日経新聞「こどもランキング」は、「お弁当に入っていたらうれしいおかず」の順位でした。皆さんは、何だと思いますか。
第1位、ハンバーグ。第2位、鶏の唐揚げ。第3位、ウインナー・ソーセージと卵焼きです。
私が子どもの頃、卵焼きやウインナーは、遠足の時のごちそうでした。他には,焼き魚とかかまぼこでした。私は昭和30年生まれです。今の若い人は、当時のムラの暮らしを、理解できないでしょうねえ(笑い)。ウインナーと言うより、ソーセージだったと思います。ハンバーグは、あったのかなあ・・。もちろん、マクドナルドもミスタードーナッツも、ファミリーレストランも回転寿司ありませんでした。
記事に戻ると、第4以下は、次の通りです。
5位、豚カツ。6位、豚肉のショウガ焼き。7位、ミートボール。8位、照り焼きチキン。9位、エビフライ。10位、牛焼き肉。ぜいたくな子どもたちです。