5月18日の読売新聞、廣瀬英治・ニューヨーク支局長の「米新聞、地域密着の道へ」から。
・・経営的には収入の多くを広告に頼るため、景気の変動を受けやすい。2008年のリーマン・ショックでも廃刊が相次ぎ、米新聞協会によると、日刊紙の数は2009年には1387紙と、2007年から35紙も減った。
新聞が公益を担うとすれば、廃刊で新聞が減った都市では市民の社会参加にも影響が出るはず―。米ポートランド州立大学(オレゴン州)のリー・シェーカー准教授(33)は今年、国勢調査を基に2008年と2009年で市民の社会参加にどんな変化があったか、全米の主要都市を比較した。
「公的な役員を引き受けたか」や「何かのボイコットに加わったか」など5項目の参加率を調べたところ、2008年に地元2紙中1紙が廃刊したコロラド州デンバー市とワシントン州シアトル市は、それぞれ4項目と2項目で大きな落ち込みがあった。
両市と規模などが似た8都市を見ると、大きな落ち込みは1都市の1項目を除いて見つからなかったことから、シェーカー氏は「新聞廃刊の影響が明らかだ」と結論づけている。新メディアが台頭しているが「紙で配られる新聞ほどには情報が届かないし、特に地域ニュースの発信源は今でも新聞」なのだという。
米国の新聞にそんな「公益」があったとしても、経営の難しさは変わらない。その中で、後年「あれが転換点だった」と言われるかもしれない動きがある。
米新聞協会の最新の統計(2012年)をみると、全体の発行部数が減り続ける一方で、日刊紙の数は前年より45紙も増え、ほぼ2007年並の1427紙に回復したのだ。どの新刊紙も、小さな地域紙として新しい役割を見つけようとしているようだ・・
この背景には、日本とアメリカとの新聞事情の違いがあると思います。日本では、大部数を発行する全国紙が主要な地位を占めています。一方、アメリカでは小さな地域紙が多いのです。日本では、1面は東京の中央政治と全国経済ニュースが占め、他のページでも多くは中央からの配信記事です。市町村での暮らしの近くのニュースは、載らないのです。
このことによる「意識の中央集権」について、拙著『新地方自治入門』p317以下で指摘しました。さらにここで指摘されているように、意識の中央集権だけでなく、地域での社会参加・政治参加をも育てないという弊害を生んでいるのだと思います。
どちらが良いとは、簡単にいえません。しかし、この新聞の状況が、国民の意識を作り再生産します。私は、他人に任せることができる中央の情報を「消費」するより、地域の情報に「参画」することほうが大切だと思います。しかし、参画はしんどくて、消費は楽です。この意識や習慣を変えることは、大変な作業です。
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年金が占める割合
高齢者が増え、年金の給付額が増えています。一般論としてはわかっていたのですが、どれくらいになっているのか。改めて、教えてもらいました。
まず、受給者数は約4,000万人で、これは全人口の約3分の1に当たります。高齢者世帯の収入に占める割合は、約7割です。また、年金だけで生活している高齢世帯は、約6割です。
給付額は、平成26年度予算額で、54兆円です。GDPが約500兆円ですから、その1割です。さらに、県別にその占める割合を見ると、驚きます。島根県は、高齢化率が30%、年金受給額は県民所得の約20%になります。高知県も高齢化率は30%、年金は県民所得比で19%です。農業所得より、はるかに大きいです。これを、市町村別に見ると、もっと年金に依存している村があるでしょうね。村民の最大の収入源になっていると思われます。
日本人の海外雄飛と引揚げ。その記憶と継承
東京大学出版会PR誌『UP』5月号、加藤陽子先生の「敗者の帰還と満洲体験」から。
・・タイトルの「敗者の帰還」とは、太平洋戦争終結時に海外にいた軍人約367万人、民間人約321万人、合計約688万人(数値は終戦連絡中央事務局政治部「執務報告 昭和21年4月15日」による)が、日本本土へと復員・引揚げをおこなった事態を指している・・
・・山本有造編著『満州―記憶と歴史』(京都大学学術出版会、2007年)によれば、終戦時の人口の実に約8.7%にものぼる人々が引揚げを体験した。ならば国民の引揚げ体験は、日本の戦後思想に大きな影響を与えたといえよう・・
・・(加藤聖文氏の論考)いわく、日本の近代とは、日本の歴史始まって以来の人口移動が見られた時代であった。日本人は、台湾・朝鮮・満洲といった植民地や傀儡国家の他、日本占領下にあった中国大陸沿岸部の諸都市に渡って行き、大量の開拓移民としても海を越えた。しかし、「外地」へと雄飛した約330万人のこれら日本人は、1945年8月の敗戦を機に、引揚げ者として「内地」に帰還し、その後は帝国日本を形成していたはずの「外地」について、その記憶を急速に忘却してしまったのではないか。
常に受動態で語られ、自らの外部には目を向けようとしない日本人の引揚げの歴史を相対化すること。このような問題意識は、加藤氏の専論『「大日本帝国」崩壊―東アジアの1945年』(中公新書、2009年)に、より明確に表れている。人や組織の持つ本質はその最期に現れる、と加藤氏は喝破した。国民国家・日本の生き残りを賭けた戦後処理の過程で日本人は、それまでの帝国・日本に包摂されていた諸民族の「その後」を忘却したのではないか・・
このことに関して、私たちは無関心でした。それに関連して、戦後の混乱のなかで、引揚げ者や戦災で焼け出された人、戦災孤児たちに、政府(行政)は何をして何をしなかったか。勉強したいと思っているのですが。
また、戦前・戦中の日本のエリートたちは、海外特にアジアを、ふだんから視野に入れていたと思います。もちろんそれは、今から考えると、ゆがんだ形だったのでしょうが。その頃の会話や議論を見てみたいです。そして、戦後、一挙に内向きになった変化についても。
新聞、署名入り記事
今朝5月10日の朝日新聞1面を見て、おやっと思いました。全ての記事に、記者の署名が入っていました。いつからそうなったのだろうと聞いてみたら、社会部や経済部は2005年頃から原則署名入りだそうです。政治部が最近から署名を原則にしたそうです。1面は政治部記事が多い、また私が読むのは政治部が多いから、私が気づかなかったのですね。
私は、署名入りが良いと思います。責任がはっきりします。もちろん、社内で上司の手が入り、また入らなくとも社の方針に従うので、記者個人の思いを全て書くわけではありませんが。署名入りの方が、記者も張り合いが出るでしょう。無署名は、無責任になります。これは、ブログにも当てはまります。
毎日新聞は、早い時期から署名入りが原則でした。次は、社説にも、執筆担当者の名前を入れて欲しいです。社説は、論説委員が合議して書くようですが、執筆担当者はいます。それを、明らかにすると良いと思うのですが。
社会革命、コンビニ
日経新聞連載「シリーズ検証、流通革命50年の興亡」4月27日は、「コンビニ市場、10兆円目前」でした。コンビニは、中小商店が多い日本での定着は難しいと、いわれていたのだそうです。それが社会に溶け込み、日本中どこに行っても、見慣れた看板を見つけることができます。私たちの暮らしに、なくてはならないものになりました。
食べ物や飲み物、それも新鮮でいろんな種類があります。小売り以外のサービスも、すごいです。コピーにファックス、公共料金の支払い、チケットの予約、宅急便の発送と受け取り。各種サービスの「端末」であり、社会インフラです。店員の多くはアルバイトでしょうが、仕事を覚えるのは大変だと思います。
1999年、ダイエーが経営不振のため、子会社のローソンを売り出しました。複数の総合商社が経営権獲得に動き、三菱商事が勝ちました。当時、三菱商事で買収後の事業計画を策定した、新浪剛史、後のローソン社長は、「事業計画書の青写真はバラ色だった。魅力ある約7千店のネットワークを金融、IT(情報技術)の拠点に使う。あの時のコンビニ株はIT銘柄だった」と語っておられます。しかし、新浪社長がローソンで最初に手がけたのは、おにぎりをおいしくすることだったそうです。「コンビニの原点は、毎日お客さんが手に取ってくれる食べ物。ITのような仕掛けではなかった」。
人間の予想は、研究者でもその道のプロでも、当たらないことも多いようです。後から見ると、当たった場合も外れた場合も、それなりの理由があります。
記事には、次のような記述があります。
・・非効率な中小商店を生産性の高いコンビニに転換させたセブン・イレブンに対して、経営学者ピーター・ドラッカーは「社会革命」と称した・・
わずか100平方メートルほどの売り場、一つひとつは100円とか200円ほどの商品。それを、商社が経営する。結びつかないですよね。40年前に伊藤忠商事も、商社ビジネスの間尺に合わないと判断したのだそうです。
しかし、個人商店では難しい、大量・他品種の仕入れ、POSによる売り上げと在庫管理、途切れない商品の補給、進化し続ける仕組みを、商社の力で成し遂げたのでしょうね。各店舗、各商品、各サービスの後ろにある「支える仕組み」があって、初めてできることです。個店では、できないのです。ある地方に出店をお願いしたら、「その地域までシステムが伸びていない(中継拠点がない)」ことを理由に、断られたという話を聞きました。
鷲巣力著『公共空間としてのコンビニ―進化するシステム24時間365日』 (2007年、朝日選書)は、少し古くなりましたが、勉強になりました。