カテゴリーアーカイブ:社会の見方

景気と財政

2006年2月14日   岡本全勝
今朝(18日)の日本経済新聞に、「長期金利1%上昇なら、国債費増加は税収の3倍」という記事が載っていました。1%金利上昇による国債費(金利払い)の増加は、1兆2千億円。一方、名目成長率も1ポイント程度高まり、税収は1%強の4千億円増収が見込める。その差8千億円も歳入が不足する、という内容です。
私が、「景気回復では、財政は再建するどころか、破綻する」と主張していることです。詳しくは、拙著新地方自治入p121、「地方財政改革論議」p25をご覧ください。誰にもわかる簡単なことです。でも、なぜもっと真剣に議論されないのでしょうか。「見たくないことを見ない」ということでしょうか。それは、あまりにも無責任です。(2004年6月18日)
この考えは、短期間にはこの通りですが、長期的には税収増は累乗になるので、税収増の方が大きくなります。指摘を受けたので、訂正します。

勉強不足の記事

2005年12月23日   岡本全勝
また、やってくれました。今年は、NHKでした。
「来年度予算をめぐる谷垣財務大臣と各閣僚による復活折衝は、午後5時ごろすべて終わりました。このうち、・・・沓掛国家公安委員長との折衝では、地方の警察官を3500人増員するための費用として3億8300万円が認められました」(22日、19:22付け経済面)。
これだと、警察官一人あたり、11万円です。おかしいと思わないんですかね。それとも、財務省が、そうし向けているのでしょうか。警察官は地方公務員であって、財務省が査定するものではありません。この経費は、たぶん国が支給するピストル代でしょう。もっとも、よく読むと、「増員するための費用」と書いてあって、「警察官の費用」とは書いてないですが。
よく見たら、23日の朝日新聞も日経新聞も、復活折衝の記事で「地方の警察官を3,500人増員するために3億8,300万円」と書いてありました。昨年一昨年と、このページで批判しましたが、あまり「進歩」していないようですね。総務省記者クラブの記者さんには、毎年笑いながら警告を出すのですが、財務省記者クラブまでは届かないようです。このHPも、読んでもらってないんでしょうね
9日の朝日新聞「新聞週間特集」で、藤原帰一教授が「世界は単純じゃない」として、次のようなことを発言しておられました。「ただでさえ分かりにくい国際問題を少ない情報量で書くと、どうしても「善玉対悪玉」の話になりがち。フセイン政権下のイラクもそうですが、北朝鮮の内情は不明な部分も多い。その際、学者は「わからない」と言う権利や、むしろ責任があるけど、記者は言えないんですね」
「変化の深層を掘り下げた報道がもっと欲しい。例えば、先日クーデターがあったタクシン政権下のタイを、これまでどれだけ報道していたのか」

社会の基礎の融解

2005年11月6日   岡本全勝
現在の日本は、社会が大きく変わりつつある、それは時代が変わるほどの変化だというのが、私の持論です。東京大学出版会から刊行されている「融ける境、超える法」シリーズは、法律学からそれに取り組んでいる試みだと思います。
現実の人間関係・社会関係は、連続的でありまた多様です。「法」は、それを「法的関係」という観点から、人為的に切り取り、分節化するとともに、一律の枠の中に入れてしまいます。赤ちゃんが生まれてくる際に、どの時点で「人」と見なすのかが、一番わかりやすい例です。生物学では連続した過程ですが、法律学ではある時点で財産を相続できるようになり、あるいは殺人罪の対象となります。
そのほか、貸した借りたを好意ととらえるのか権利義務と位置づけるのか、主権国家の内と外(国際社会)の区分、一定の人の集まりを「法人」と位置づけるなど。
どこかで「境界」をひくのが、法律です。ところが、社会の変化が大きく、これまでの法律と法律学が想定していないことが、いろいろな分野で起きているのです。通常、ボーダーレスというとき、グローバル化と情報化がその原因とされますが、社会の基礎を融解しているのはそれにとどまりません。一番の例が、家族です。これまでの民法(家族法)はもちろん、社会保障・税制・教育などは、家族を単位に組み立てられてきました。それが自明のことでなくなってきています。こうしてみると、近代市民社会といわず、ローマ法以来の社会基礎の変化かもしれません。
もちろん、官と民の境界もです。「権利の主体」とか「権利義務」といった法的概念は変わらないのでしょうが、これまでの法が前提としていた条件、例えば家族、国家、官と民などという概念が大きく変わり、10年後には全く違った世界ができあがっているのかもしれません。行政のあり方、公務員のあり方は、もっと早く大きく変わっているでしょう。変わるべきでしょう。
豊かな社会を達成した日本社会の問題と政治の課題は、私の問題関心の一つです。12月30日の日本経済新聞経済教室では、貝塚啓明教授が「不平等化と低所得層の拡大」を書いておられました。
「効率性と公平性は、経済政策における重要な課題であり、どちらの目標を重視するかは、長年にわたり経済学の分野で議論が戦わされてきた。日本の場合には、社会保障システムは、第二次世界大戦直後に占領軍によって提案され、その後しばらくの間、若い人口構成のもと、経済の効率化と分配の公平性は両立し、日本経済は幸福な時期を過ごした。しかし、1990年代以降、効率性と公平性とは、両立しにくくなってきた。
このプロセスのなかで、日本社会は二極分化を起こし始め、閉塞感の強い社会に移りつつある。日本社会を覆いつつある陰鬱な雰囲気は、単なる経済問題ではなく、元来社会学者が論ずべき問題であり・・」
「筆者は、低所得層の増加が最も問題視されるべきだと考える。所得の低い人々、端的に言えば貧困層が顕在化して、かつて高い平等性を誇った日本の社会構造が大きく変わりつつあるということである。1990年代に進行したのは、正規社員には採用されない若者や、フリーターと呼ばれる階層が若い世代に定着したことである。この階層に属する人々の特徴は、将来、中流階級に上昇する期待も意欲も持たないこととされ、階層として固定化する傾向が強いとみられている。
このような社会の変化は、おそらく社会保障システムの機能にも影響を与えるであろう。・・公的年金の加入要件は長期継続雇用であり、その他の社会保険も多かれ少なかれ、保険料の支払いがその給付の条件である。制度が維持されることとなっても、今後拡大が懸念される貧困層のかなりの部分は、このような受給条件を満たさないであろう。このような社会的変化に対応するために、とりあえず必要な制度改革は、生活保護制度の改革である」
画面の都合上、極めて部分的な抜粋になっています。先生、申し訳ありません。ぜひ原文をお読みください。

日本社会の変化

2005年10月1日   岡本全勝

三浦展著「下流社会ー新たな階層集団の出現」(2005年、光文社新書)が、勉強になります。そこでは、次のようなことが主張されています。
高度経済成長までは、日本は、わずかな「上」と、たくさんの「下」からなる階級社会であった。それが、高度成長によって「新中間層」が増加した。財産は持たないが、毎年所得が増えて生活水準が向上する期待を持つことができる「中」が増えた。それは、「下」の多くが「中流化」したのであった。
しかし今や、「中」が減って「下」に下降する人が増えた。もっとも、その「下」は、貧困という「下層」ではなく「下流」(中の下)である。「下流」は、所得が低いだけでなく、意欲が低い。コミュニケーション・生活・学習・勤労などの人生への意欲である。その結果、所得が上がらず、結婚もしない。この階層は、日本が中流社会を達成したことで生まれた階層である、などなどです。
現在の日本社会の風潮が、社会調査結果を基に、切れ味よく分析されています。経済成長を達成したことによる、社会の変化=個人の意識の変化が、よく見て取れます。また、世代によって考え方が違うことも、浮き彫りにされています。すばらしい日本社会論だと思います。いくつか異論がありますが。
三浦さんの著書は、「新地方自治入門」でも紹介しました。日本社会は、どんどん変化しています。大学で習ったことや古典だけでは、役に立ちません。公務員には、日々の、また幅広い勉強が必要になりますね。

 

「下流社会」続き
ここからは、次のようなことも読み取れます。
かつては、資産と所得によって、上中下の階層・階級があった。しかし経済成長は、資産の多寡とは別に、中流を作り出した。資産がなくても、ある程度の所得が得られる、あるいは所得が増えると希望がもてる人たちです。もちろん、農地解放・財閥解体などの戦後改革と、その後の工業化もその背景にありました(ここで中層といわず、中流といったのは、意味があったのですね)。
そして「一億総中流」となると、今度は「下流」という形で、分化が始まったのです。それは、資産や所得の多寡ではなく、意欲・生き方というもので分けられます(もちろんその結果が、所得の差につながりますが)。すると、これまでの「階層」という区分は意味を持たなくなります。
これが、豊かさを達成した社会の、宿命なのでしょうか。「敵」がいる内は、政治は簡単です。外敵であったり、貧困であったり、伝染病であったり。でもそれらに打ち勝ったときに、次なる敵を見つける、あるいは仕立てないと、国民を奮い立たせることは難しいのでしょう。日本にとって、戦争は論外です。ケネディはニュー・フロンティアを提唱しました。日本の次の「敵」=目標・夢はなんでしょうか(拙著「新地方自治入門」p308)。

短期間異動

2005年9月20日   岡本全勝
私の部屋にもよく取材に来てくれるA社の記者さんが、異動の挨拶に来ました。
全:???あんた、まだ来たばっかりやないの。
記:ええ、1年たたないのですが・・。
そうなんです。霞ヶ関や永田町を取材拠点にしている記者は、A社に限らず多くの人が1年で異動して行きます。広く経験を積ませようという、本社の方針なんでしょうが。
私たちの仕事もそうですが、1年のサイクルでようやく全体像がつかめ、2年目でいろいろ付加価値をつけることができるのではないでしょうか。私が何度か批判した「去年と同じまちがった記事を書いている」といったことは、去年の記事(前任者が書いた記事)をなぞるから起きるのでしょう。後任者への引き継ぎも、会社としての蓄積も十分に生かされていないように見えます。「自分の足で稼げ」という体育会系の方針が、生きているのでしょうか。
もっとも、取材される側からすると、経験不足の記者はいかに優秀であっても、「くみしやすい」「扱いやすい」と思っている人もいるでしょう(失礼)。