5月21日の朝日新聞に「ワクチン実用化、見通しは―3タイプ開発する大阪大、2氏に聞く」というインタビューが載っていました。そのうちの一人、金田安史・阪大副学長は、高校の同級生です。
記事によると、3タイプのうち1つは、来年の年明けか今頃にも、一般人が使える可能性があるとのことです。
私だけでなく、日本中、世界中が期待していますよ。
5月21日の朝日新聞に「ワクチン実用化、見通しは―3タイプ開発する大阪大、2氏に聞く」というインタビューが載っていました。そのうちの一人、金田安史・阪大副学長は、高校の同級生です。
記事によると、3タイプのうち1つは、来年の年明けか今頃にも、一般人が使える可能性があるとのことです。
私だけでなく、日本中、世界中が期待していますよ。
末木文美士著『日本思想史』(2020年、岩波新書)を読みました。
出版社の紹介には、「古代から現代にいたるまで、日本人はそれぞれの課題に真剣に取り組み、生き方を模索してきた。その軌跡と厖大な集積が日本の思想史をかたちづくっているのだ。〈王権〉と〈神仏〉を二極とする構造と大きな流れとをつかみ、日本思想史の見取り図を大胆に描き出す」とあります。確かに、新書という形で簡潔に、古代から現代までを整理してあります。
その点では、よかったです。先生が冒頭に述べられるように、思想や哲学というと、西欧の思想や哲学の紹介でした。本屋に並んでいる哲学や思想の本は、西欧のものか中国古典で、日本のものと言えばせいぜい武士道です。
それに対し、日本の思想を取り上げています。1冊にまとめるのは、難しいことです。
ところで、さらに私が知りたいのは、「日本人」の思想です。
何を言いたいかというと、知識人の最先端の思想でなく、国民・大衆の思想を知りたいのです。
哲学は知識人が人間の在り方について悩むことだとして、ひとまずおいて。思想といった場合は、さまざまな担い手がいます。ところが、思想史で取り上げられるのは、ほとんどが知識人・知識階級の書いたものです。日本では、宗教としては仏教、儒教、神道が、そして政治思想として支配者とその取り巻きの考え方が対象となります。
それに対し、庶民、大衆が何を考えていたかを知りたいのです。
この項続く。
日経新聞最後のページ文化面に、「美の十選」という欄があります。いつも楽しみにしています。
ある角度から、10の絵画など美術品を紹介する欄です。例えば最近は、「経済で見る名画」でした。
こんなのが、美術を見る切り口になるとは。毎回の切り口が、考えてあります。女性像はわかるにしても、経済、浪速、服装など、こんな見方もあるのだと感心します。
5月10日の読売新聞に、松沢裕作・慶應大学教授の「生きづらさの正体 社会の変化 現れる抑圧」が載っていました。
・・・江戸時代の身分制度と言えば「士農工商」という階層的な秩序を思い浮かべる人が多いと思いますが、私は少し違った形で捉えています。農業を営む「百姓」は「村」という集団に属し、都市部に住む「町人」は「町」に所属するなど、職業に応じた身分集団を作っていました。身分に応じた仕事をしていれば、生存保障が与えられる構造です。
いわば単純な上下関係というより、一人ひとりが村とか町とかの「袋」に分けて入れられているイメージです。その表れとして、領主への年貢は、現在の市町村より小さな規模の集まりだった村単位で納入されていました。「村請制」と言われる仕組みです。
明治維新を機に、この秩序が大きく変わります。身分制はなくなり、「袋」は破られました。1873年に始まった地租改正によって、村単位で納めていた年貢は、個人に納入責任がある税金へと姿を変えました・・・
・・・江戸後期から明治時代前期に現れた抑圧、言い換えれば「生きづらさ」について、私は「通俗道徳」という歴史学の用語を使って説明しています。人が貧困に陥るのは、その人の努力が足りないから、というような考え方です・・・
・・・江戸時代まで、社会は「通俗道徳のわな」にはまりきってはいませんでした。社会の基礎が個人ではなく、集団で成り立っていたからです。村請制では、村単位で納めていた年貢は農民が連帯責任を負ったため、足りない分を豊かな人が肩代わりして助け合いました。
しかし、明治になって多くの人が勤勉や倹約を是とする通俗道徳を信じたことで、弱者が直面する貧困などの問題は全て当人のせいにされました。勤勉に働いていても病気になることもあれば、いくら倹約しても貯蓄するほどの収入が得られないこともあったにもかかわらずです。通俗道徳を守れば必ず成功するわけではありませんが、守っていた人の中に成功者も多く、この規範は強い支持を得たのです・・・
連載「公共を創る」で、近代化による自立と孤独を書いているところなので、参考にさせてもらいました。
先生の『生きづらい明治社会―不安と競争の時代』(2018年、岩波ジュニア新書) を本棚から引っ張り出して、読みました。新聞での主張が、詳しく書かれていました。ジュニア新書とは思えない、内容のある著作です。
ヤシャ・モンク著『自己責任の時代 その先に構想する、支えあう福祉国家』(2019年、みすず書房)を読み終えました。連載「公共を創る」で、現代の自由と孤独を考えています。また別途、原発事故後の責任を考えていて、この本を見つけました。
この本は、政治哲学として自己責任を考えます。副題にあるように、福祉国家での自己責任の問題です。門外漢の私には、やや難解でした。前半は私なりに、理解しました。
社会福祉の対象になったときに、このような支援を求める状態になったのには、学校時代に勉強をサボったから、まじめに働いていないから、生活能力が不十分なのに子どもをつくったからとか、本人に責任があるのではないか。生活保護などの対象となる際に、本人の帰責事由のあるなしが問われるのです。
お互いが助け合おうとして始まった福祉制度が、困っている人の責任を問うのです。自業自得、身から出たさびと、突き放すのです。
かつて、困った人がいる場合に使われた「責任」は、その人を救う責任が国や周囲の人にあるという意味においてでした。社会の側に責任がありました。ところが、社会保障制度が完備されると、国や周囲は責任を果たしたので、問題があるならその本人に責任があると、責任の主体が反転しました。
これは、社会福祉制度の逆説です。恵まれない人への「施し」から、社会保障制度による「支援を受ける権利」へと転換し、さらにその受給権の水準が高くなると、このような反転が起きました。