カテゴリーアーカイブ:社会の見方

学歴の差が招く分断

2020年10月27日   岡本全勝

10月21日の日経新聞オピニオン欄、小竹 洋之・上級論説委員の「これからの学歴の話をしよう "知の差別"が招く分断」から。

・・・メリトクラシー(実力社会)。この造語を1958年の自著で世に問うたのは、英社会学者のマイケル・ヤングだ。個人の能力や努力に報いるユートピア(理想郷)の象徴とみなす向きも多いが、当時はエリートが全てを支配するディストピア(暗黒郷)の意味を持たせていた。
ヤングには先見の明があったのかもしれない・・・
・・・サンデル氏は学歴の高低を、欧米の最も深刻な分断軸の一つだと断じる。学位取得の競争条件は決して平等とはいえず、貧富の格差などに影響される。そこで高学歴層と低学歴層の固定化が進み「メリトクラシーが世襲のアリストクラシー(貴族社会)と化してしまった」と説く。とりわけ問題視するのは"知の差別"だ・・・

・・・学位の有無が人の一生を左右するのは確かだ。米連邦準備理事会(FRB)によると、米国の2019年の家計所得(税引き前)は中央値で大卒が9万6千ドル、高卒が4万6千ドル。純資産もそれぞれ30万8千ドル、7万4千ドルと無視できない違いが出る。
誰もが平等な条件で競い、実力で勝ち取った結果なら致し方ないが、そもそもスタートラインが同じではない。米ハーバード大学のラジ・チェティ教授らは子供が米名門大学に入れる確率をはじき、上位1%の富裕層には下位20%の貧困層の77倍のチャンスが開けると結論づけた。
これをメリトクラシーと強弁し、知の差別を容認することができるだろうか・・・

周りを見回して立ち位置を決める日本人

2020年10月26日   岡本全勝

10月21日の日経新聞文化欄、三島由紀夫50年後の問い、社会学者・宮台真司さんの「空っぽの日本を何で埋めるのか」から。

・・・日本人は敗戦後、一夜にして民主主義者に変わった。近年では一夜にしてLGBT(性的少数者)主義者に、ダイバーシティ(多様性)主義者になった。日本人は周りを見回して自分のポジションを保ちたがる、空っぽで入れ替え可能な存在だと三島は見抜いていた・・・

レダー著「ドイツ統一」

2020年10月23日   岡本全勝

アンドレアス・レダー著「ドイツ統一」(2020年、岩波新書)を読みました。小さな本ですが、現代に起こった大変化・大革命を国内情勢と国際情勢の両方からわかりやすく解説しています。あの大変化から、もう30年も経つのですね。お勧めです。

「生きている間はあり得ない」と、ほとんどの人が考えていたドイツ統一。それが、あれよあれよという間に進みました。当時の衝撃は、とんでもなく大きかったです。このホームページでも、何度か取り上げました。
高橋進著「歴史としてのドイツ統一-指導者たちはどう動いたか」(岩波書店、1999年)を読んだときの興奮を、「できないと思われていることを行う」(2004年9月13日)に書きました。高橋先生の本は、「ドイツ統一」でも訳者である板橋先生の訳者解説で取り上げられています。
ドイツ、コール元首相逝去」(2017年6月18日)

共産党一党独裁が続く中国、王朝的家族支配が続く北朝鮮。これらの国々は、いつまでこのような体制が続くのでしょうか。また、変わるとすると、何がきっかけになるのでしょうか。この本を読むと、考えざるを得ません。

憧れとあきらめ

2020年10月22日   岡本全勝

国民の期待値の低下」の続きにもなります。連載「公共を創る」で、日本社会の変化を論じています。

昭和時代(後期)と平成時代と始まったばかりの令和時代を表現する、簡単な言葉は何かと、考えています。
国民の意識を表す一つの表現が、昭和は「憧れ」であり、現在は「あきらめ」になりつつあるのではないかというのが、私の見立てであり心配です。

20年ほど前、総務省に勤務していた頃に、地方行政の現状と課題を話す講演会に、しばしば呼ばれました。その際に、昭和後期の経済発展と行政サービスの拡大と、バブル崩壊後の停滞を説明しました。そして黒板に、昭和後期は「輝」、平成に入って「暗」になったと、一文字ずつ書きます。「では、次の一文字は何でしょうか?」と、聴衆に問うのです。
私が書いた一文字は「創」でした(拙著『新地方自治入門』333ページ)。輝、暗と来て、創は「規則違反」でしょうが。

「つくる」としたのは、未来は私たちが創るものだからです。社会や時代は、神様がつくるものでも、自然とできるものではありません。経済成長もその後の停滞も、日本人が作ったものです。もちろん、国際環境が制約します。
令和時代を、明るいものにするのか暗いものにするのか。それは私たち日本人にかかっているのです。
そう考えると、社会全体に、そして特に若者に「しかたがない」といったあきらめが広がっているように思えるのは、困ったものです。「別に」「なんとなく」「困っていないから」という言葉が流行るのは、あきらめの表現と思えるのです。皆さんは、どう考えますか。

裏口からの外国人受け入れ

2020年10月20日   岡本全勝

東京大学出版会の広報誌「UP」8月号に、宮島喬先生の「日本はどんな外国人労働者受入れ国になったか 改正入管法から三〇年」が載っていました。

日本は、移民政策は採らない=外国人労働者の受け入れは制限するとしています。しかし実態は、外国人労働者を受け入れる政策をとっているというのが、この論考の趣旨です。人口減少と高学歴化で、産業界から労働力不足を訴える声が高まり、さまざまな制度改正をして受け入れてきたのです。その際に、高技能や専門能力のある外国人だけに制限するといいながら、抜け道があったのです。

1989年の入管法改正では、単純労働者は受け入れないこと(受け入れはごく一部の職種)が維持されつつ、「定住者」という在留資格を新設し、日系三世に充てられました。その後2年足らずで、日系ブラジル人とペルー人の来日・滞在者数は、15万人も増えました。「マジックか、二重基準なのか」と、先生は書いておられます。
しかし、日本語教育や職業研修は行わなかったので、彼らは派遣業者に頼って来日し、非正規の雇用に就き、労働者の基本的権利がなくとも甘んじて働いた(働かされた)のです。留学生のアルバイトや技能実習生も、同様に抜け道として機能しました。

労働者の送り出し国との間に二国間協定を締結するかしないかも、取り上げられています。日本は、労働者の受け入れを表明していないので、二国間協定を結ぶことはありません。しかし、二国間協定では、労働者の受け入れ条件(待遇などの労働条件、労災・雇用保険の適用、住宅、医療、年金などの内国人労働者との平等扱い)を定め、雇用契約に盛り込み、労働者の権利を守るのです。
建前を守りつつ、実態では漸進的に変えていく。これは、しばしば行われる手法です。これが、軋轢を少なくし、そして実を取ることに有効な場合があります。しかし、このような裏口入学(先生はサイドドアと言っておられます)は、副作用を伴うことがあります。
外国人労働者受け入れでは、この労働者の権利を守らないというとんでもない行為が行われています。非正規、低賃金、保障のない雇用が行われているのです。これでは、国際社会から批判を受けるでしょう。
詳しくは原文をお読み下さい。
10月20日の日経新聞経済教室、斉藤善久神戸大学准教授「生活者としての環境整備を 外国人労働者政策の課題」も、この問題を取り上げていました。