カテゴリーアーカイブ:社会の見方

『グローバル社会の哲学』

2025年9月17日   岡本全勝

押村高著『グローバル社会の哲学 現状維持を越える論理』(2025年、みすず書房)を読みました。
・・・国際正義論の第一人者が、国際政治思想における「現状維持バイアス」を乗り越えるためのラディカルな問題提起を行った本書は、グローバル空間を「社会」と捉え、思考し、哲学する礎となる書である・・・

国際政治論はたくさんありますが、国際正義論や国際政治思想がどのようなものなのか。知らなかったので、この本を読んでよくわかりました。
私は、現在の国際社会は中世の国内と同じような位置にあると考えています。日本でも西洋でも、小さな「独立国」が領域を治め、対外的には戦争を繰り返していました。それが国内が統一され、主権国家が成立します。今度は、その主権国家が領域を治め、対外的には競い合います。
第二次大戦後は、それまで当然とされた戦争が、良くないこととされました。ただし、主権国家内のように武力が統一されていないので、国際社会では、戦争を始めた国を止める手段はありません。国連憲章は国連軍を規定したのですが、うまくいっていません。

主権国家単位で構成されている国際社会を統一するには、どのようにしたら良いか。この本は、政治哲学として論じます。
他方で国際社会は、主権国家の役割や戦争だけを見ていても、狭いと思います。国連やその関係機関が、貿易や健康などの分野で国際社会の統一を進めてきました。しかし、まだまだです。
経済や文化、人や思想の交流の拡大という政治外の要素も議論すべきです。もちろん、現在は主権国家という政治と軍事が最も強い要素ですが、経済や文化、人や思想の交流は、国境を越えて国際社会を統一しつつあります。完全な鎖国は、イランも北朝鮮もできていません。新型コロナウイルスのパンデミックは、国境がありません。政治や政府が意図しないところで、国際社会の統一が進みつつあるのです。
戦争を止められないこととともに、地球温暖化や海洋汚染、大気汚染、サイバー空間での犯罪など、国際社会が歩調を合わせて取り組む必要がある課題もたくさんあります。

さて将来、これらの動きは、どのように進むのでしょうか。
ヨーロッパ連合(EU)は前進と後退を繰り返しつつ、進んでいます。他方で、ロシアやイスラエルなどは、戦争を続けています。
誰も正確には予測できないのですが、希望を交えて、国際統一が進むと思いましょう。楽天的すぎますかね。

SNSのSはsocialではなくstupid

2025年9月16日   岡本全勝

9月3日の朝日新聞オピニオン欄、野田秀樹さんの「AI時代に「考える」」から。

――10年ほど前、野田さんが「人が何かを受け止める順番は『感じる・考える・信じる』のはずなのに、最近は『考える』が抜け落ちて、『感じる・信じる』が直結しているのではないか」と指摘したことが強く印象に残っています。
「私なかなか良いことを言いましたね。考えることが面倒なのか、手続きとして重要でないと思っているのか、ますます『感じる・信じる』になってきている気がします。SNSで見たことがすぐに信念になる、みたいなことも起きていますし」

――野田さん自身は、「感性」が当時のキーワードだった1970年代後半から80年代にかけて「若者演劇の旗手」として注目されましたが。
「当時はフィーリングとか言って、『感じる』が重視されていましたが、私はそれが気持ち悪かった。それでも演劇で『考える』を前面に出さなかったのは、60~70年代の学生運動を少し下の世代として見ていて、考え過ぎた人たちの不幸を目の当たりにしたことが大きかったからだと思います」
「既成の権威への反発は若さの特権で、それは今も変わらない。若い人口が多かったこともあり、大きな連帯が生まれ、世界を変えられるのではないかという夢があった。自分の思いもそちら側にありました。でも、72年、『あさま山荘事件』が起き、直後に連合赤軍内での残忍な内ゲバ殺人が明らかになった。これは絶対ついていけないと思った。それを上の世代がきちんと総括していないことに不信感も募った。この体験はその後、自分が理想について考えるのに影響していると思います」・・・

・・・「生まれる50年前にあった日露戦争を、私は身近に感じたことはない。今の若い人にとって第2次大戦は同じくらい遠いでしょう。かつてのように、伝えよう、教えようとするのは難しいと思います」
「ただ、歴史を知らないことは危うい。この前の参議院選挙で、独自の憲法構想案を作っている党が議席を増やしましたが、書かれていることを見ると、主権とは何か理解しているのか、疑わしいですよね。そこを考えずに、党の主張の中でいいなと感じる『部分』だけ見て投票した人も多いでしょう」

――「部分」はSNSで広がりやすいですし。
「短歌や俳句のように言葉をそぎ落とす文芸は別ですが、普通、何かを伝える文章には、ある程度の長さと、考えるための時間が必要です。思いつきで書く百数十字で何が言えるんだ?と思いますね。オールドメディア対SNSで、SNSが優位みたいな切り口になってるけれど、それも大ざっぱ過ぎる。オールドって言った時点で、そっちがダメって感じになるじゃないですか。フェイク情報や悪意をまき散らす場合、そのSは『social(社会の)』ではなく『stupid(愚かな)』だとはっきり言った方がいい」

少子化。若い人が希望をもてているか

2025年9月15日   岡本全勝

9月3日の朝日新聞「少子化を考える」、藤波匠・日本総研主席研究員の「若い人が希望をもてているか」「子が欲しくても断念、日本社会の問題 賃上げと雇用の正規化は企業の役割」から。

―国内で2024年に生まれた日本人の子ども(出生数)は約68万6千人。1人の女性が生涯に産む見込みの子どもの数を表す「合計特殊出生率」は1・15と過去最低でした。加速度的に少子化が進んでいると指摘されています。

予想されていた数字で、大きな驚きはありません。少子化の最大の要因は若い人たちが減っていること。少子化が劇的に改善することは、しばらくないでしょう。
私は、こうした数字は社会の状態を表す「指標」だと考えています。

――どういうことでしょう?

「若い人たちが将来に希望をもてているかどうか」の指標です。
自らの選択で「子どもは望んでいない」ということであればよいのです。でも実際には、希望しながら子どもをもてない人が多くいるのではないでしょうか。雇用が不安定で、経済的な不安がある、仕事が忙しすぎてタイミングを逃した……。だとすれば、そこに日本社会の問題があるのではないか。放置していてはいけないのではないか。これが、私が少子化対策が重要だと考える理由です。
たとえば、正規雇用の女性に比べ、非正規雇用の女性のほうが結婚や出産に後ろ向きだとする調査結果もあります。子どもをもつ世帯が低所得層で減り、中高所得層に偏ってきています。
結婚や出産の意欲の低下を時代の変化や価値観の変化で片付けてよいのか、という問題意識があります。

――そういう意味では、日本はバブル崩壊以降、「失われた30年」でした。

私の研究では、大卒の男性正社員で比べると、団塊ジュニア世代の生涯年収はバブル世代に比べて2千万円ほど低い可能性が示されています。これは子ども1人を産んでから大学卒業までにかかる費用に匹敵します。
若い世代が上の世代より貧しいことはあってはならず、少子化は当然の帰結です。30年にわたり低成長に有効な手を打たなかった歴代政権、低賃金に抑えて派遣労働を拡大させた事業者の責任は免れないと思います。

――どんな少子化対策が必要でしょうか。

児童手当などの現金給付は否定しませんが、すぐに効果は出ないでしょう。多子世帯に手当を厚くする対策が目立ちますが、それによって、終戦直後のような5人も6人も子どもがいたような時代に戻れるとは到底思えません。それよりも、第1子にたどりつけない人たちを支援することが重要だと考えます。
若い世代が夢をもって生きていける社会をめざすべきで、賃上げや非正規雇用の正規化などを担うのは企業の役割です。
日本社会の構造的な問題にもメスを入れる必要があります。職場での残業や、休日などの自己研鑽を美徳とする風潮が依然としてあります。若い時期から、仕事と家庭生活を並行して送れるような社会をつくっていくべきです。そのためには「男性は仕事、女性は家庭」といった性別役割分業に根ざしたジェンダーギャップの解消も欠かせません

低温社会と低温政治

2025年9月14日   岡本全勝

低温経済と低温社会」の続きになります。
本棚の本を片付けていると、1990年代と2000年代の政治や経済に関する本がたくさん出てきます。同時代を分析する評論です。佐々木毅、北岡伸一、佐伯啓思、西部邁、御厨貴、田中直毅、田勢康弘といった大学教授や評論家、新聞記者がたくさん書いています。現状を批判しつつ、その構図・構造を分析して、改革論を述べています。学術書と評論との中間的な本です。
バブル経済が崩壊し、経済も政治も行き詰まっていることが明らかになり、それを克服することが課題だったのです。

それで思ったのですが、最近はそのような本が少ないですね。出版されていても、私が買っていないのでしょう。本屋を覗くと、政治や経済評論の本やトランプ大統領に関するものなどが並んでいますが。
政治や経済が動かないと、分析や評論の対象になりにくいのでしょう。
前回、「適確な処方箋がないことも、対応を遅らせているのでしょう。研究者や報道機関の奮起を期待します」と書いたのですが、分析はされていても、現場がそのように動かない問題だからかもしれません。必要なのは制度改革ではなく、運用だからでしょう。

その後、中央省庁改革、地方分権改革、いくつもの規制改革などが実施されましたが、政治行政改革はそこで止まったようです。経済界では、その後も攻めの経営が活発になるのではなく、コストカット(人件費削減、経費削減)が続き、経済は長期の停滞を続けました。
政治では、民主党への政権交代と自民党の復帰がありましたが、政治課題に本格的に取り組んでいるとは思えず、与野党を含めて政治構造が変わったとは見えません。経済界も縮小が続き、拡大発展の話題はあまり聞きません。

1990年代は、まだ改革に向けての「熱意」「活力」があったのでしょう。2020年代には、その熱意が感じられないのです。
あきらめのように見えます。評論はされるのですが、構造的改革・本格的改革には取り組まないのです。衝撃的な危機ならば対応を急ぐのでしょうが、緩慢な衰退は危機感をもたらさないのでしょう。「ぬるま湯」と例えられますが、ぬるま湯は温度が下がっていきます(通常、ぬるま湯の例えは、温度が上がって茹で上がる場合に使うようですが、今の日本は冷めていく状況です)。

経済停滞の原因は技術革新の欠如

2025年9月14日   岡本全勝

8月31日の読売新聞1面コラム「地球を読む」、吉川洋・東大名誉教授の「日本経済の停滞 技術革新の欠如が真因」から。

・・・約40年前、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などとおだてられ、バブルに踊った日本経済は、1990年代に急降下した。国力の目安となる1人当たり名目国内総生産(GDP)は、2000年にはルクセンブルクに次ぐ世界2位だったが、その後は坂を転がり落ちるように下がり、24年には38位となった。1人当たりなので、人口減とは関わりのない低迷である。
「急落の原因はデフレだった」と言う経済学者やエコノミストは多い。実際、「デフレ脱却」は政府の掲げる金看板であり、日本銀行が13年から10年以上続けた「異次元」の金融緩和政策は、デフレ退治を目指して行われた。
しかし、長期停滞の真因はデフレではない。

デフレには2種類ある。一つ目が1930年代の大不況時のように数年で物価が半分以下まで下がる「激性のデフレ」、二つ目は日本が21世紀目前の時期から経験した「緩慢なデフレ」だ。前者は資本主義経済にとって大きな脅威だが、後者はそうではない。
歴史を振り返ると、インフレは生産・雇用など実体経済が好況の時が多く、デフレはしばしば不況時だった。ただ例外もある。顕著なのが19世紀の英国だ。世界経済のリーダーだった英国は、物価が30年余り緩慢に下がり続ける中で史上最高の経済成長を遂げ、「大英帝国」を築いた。デフレ下で大好況をもたらしたのは、旺盛なイノベーション(技術革新)だった。
他方、日本経済に長期停滞をもたらしたのはイノベーションの欠如である。新たな製品やビジネスを生み出すイノベーションはデフレとは関係ないし、インフレによって促進されるわけでもない。過去30年余り、成長著しい一部の新興企業などを除いた多くの日本企業がリスクを取らず、イノベーションを怠った。

イノベーションが低調な中でも、生産性は曲がりなりに上昇してきた。とはいえ、株主への配当や企業の保有する預貯金が増えた一方で、設備投資や研究開発は滞り、何よりも賃金が上がらなかった・・・