カテゴリーアーカイブ:社会の見方

「富士山噴火 その時あなたはどうする?」

2021年8月21日   岡本全勝

鎌田浩毅先生が、また新著を出されました。『富士山噴火 その時あなたはどうする?』(2021年、扶桑社)。早速、アマゾンでは、防災分野でベストセラー第1位になっています。

なかなか刺激的な表題です。しかし、歴史を見ても、避けられない災害です。その時あなたはどうするか。本書では、最初に漫画が出てきます。わかりやすいです。
小規模な噴火と火山灰は、私は鹿児島で桜島の火山灰を経験しました。たぶん、富士山噴火とは比べものにならない量なのでしょうが、生活に支障を来します。
東京が被災地になることは、これまでの災害とは違った影響を持ちます。
一読をお勧めします。

鎌田浩毅先生は、相変わらず精力的に活動しておられます。

輿論と世論

2021年8月20日   岡本全勝

8月17日の朝日新聞オピニオン欄、佐藤卓己・京都大学大学院教授の「五輪に見た、内向き日本」から。

――コロナ禍での五輪開催には反対の声も少なくありませんでした。朝日新聞は5月、「中止の決断を首相に求める」という社説を掲載しました。
「ただ、社説が出る前から、五輪への支持率が低いことは世論調査で明らかになっていました。調査結果の報道前に書けば勇気あるオピニオン(輿論〈よろん〉)だったと思いますが、国民感情を盾に社説を出したように見えました。世間の空気(世論〈せろん〉)を反映しているだけだから大丈夫、という心理も働いていたように感じます」

――新聞は情緒的な世論を後追いしたように見える、と。
「いまはひとくくりにされていますが、大正期までの日本社会では公的意見である輿論と、大衆の心情である世論は区別されていました。世論は世間の評判、付和雷同というニュアンスを持つ一方、輿論は異なる少数意見を想定し、説得すべき他者を見すえた多数意見という意味がありました。民主主義では輿論によって世論を制御することが肝要なのです」
「かつては新聞が、世論を反映する機能を担うことに一定の意味がありました。しかし、いまはSNSで個人が自由に発言できる時代です。新聞は世論反映のメディアにとどまっていてよいのでしょうか。これからの新聞は、討議に導き輿論を示す公器をめざすべきです。時には、世論に反してでも主張する。そうしなければ、いつか世論に縛られて、自分の意見が言えなくなってしまうでしょう」

交ぜ書き

2021年8月17日   岡本全勝

8月7日の朝日新聞オピニオン欄「常用漢字と私たち」から。

・・・最近よく見る「まん延防止等重点措置」や「医療ひっ迫」――。常用漢字でない字にひらがなを使うのを不自然と感じる人は多いようです。・・・この常用漢字に伴って起きるのが交ぜ書きの問題です。例えば、「まん延」は「蔓延」、「ひっ迫」は「逼迫」、東京五輪で日本人選手が17年ぶりに銅メダルを取った体操の「あん馬」も「鞍馬」と書けますが、「蔓」「逼」「鞍」は常用漢字ではないため、常用漢字だけを使うなら、ひらがなと交ざります・・・

時田昌・産経新聞元校閲部長の発言
・・・ 産経新聞はマスコミでは珍しく、「蔓延(まんえん)」「改竄(かいざん)」と読み仮名(ルビ)付きで漢字表記しています。漢字で書く熟語は全て漢字で表すのが自然と考えるためです。
「双璧」なども、2010年に「璧」が常用漢字に入る前から交ぜ書きをやめ、漢字ルビ付きでした。「双壁」と誤って書かれやすいですが、「壁のようにそびえている」わけではなく、「すぐれている」という意味の「玉」を含む「璧」が正しい。このように、表意性のある漢字は意味を正しく伝えやすい利点があるように思います・・・

・・・私は、日本新聞協会の新聞用語懇談会(用懇)委員を約20年務めました。その場で交ぜ書きの議論が活発になったのは1990年代です。北朝鮮の日本人「ら致」(拉致)、金融機関の経営危機で「破たん」(破綻)、「損失補てん」(補塡)がニュースに頻繁に出ていた頃です。「拉」「綻」「塡」は2010年の改定で追加されるまで常用漢字ではなく、交ぜ書きが頻出していました。
「日本人ら致」などは、「日本人ら」と別の言葉に読めてしまう。さすがに改善を求める声が上がり、用懇では96年、特に読みにくい「ら致」や「だ捕」(拿捕)は交ぜ書きをやめ、ルビ付きで漢字にするといった動きがありました。
それでも、まだ多くの交ぜ書きが残りました。報道各社は交ぜ書きをさらに減らす総論では一致したものの、どういう基準で減らすかを巡って意見が割れました。解消を進めすぎると、「難しい字が安易に使われかねない」と心配する声もあったのです。
用懇は02年に各社の用語担当者が参加する特別の検討部会を設け、1年余り議論した末、報道で使っていた三百余の交ぜ書きを、漢字に改める▽漢字に改め、仮名も振る▽別の表現にする――などと決め、約70まで交ぜ書きを減らしました。それでも「まん延」のように、気になる表記がまた出てくるのですね・・・

コロナの影響、自殺者と出生数の増減。欧州と日本の差

2021年8月16日   岡本全勝

朝日新聞ウエッブ論座、山内正敏・スウェーデン国立スペース物理研究所研究員の「コロナ禍での「自殺者増、出生数減」は欧州には当てはまらない。字面を見ると「緩い」が、実質的には欧州より「厳しい」日本の対策」(8月12日掲載)から。

・・・コロナ禍が自殺者数や出生数(妊娠数)にどんな影響を与えたのか気になっていた。
この手の速報の早い日本では、既に出生数の急減と自殺者の増加が判明している。昨年の第一波の間こそ自殺者は減ったが、その後増加して特に若い女性の自殺者がコロナ禍の期間に増加した(朝日新聞記事)。また、妊娠数(今年の出生数として反映)は、これまでのトレンド(4-5%減/年)以上に減っていることが判明している(右図)。

ならば、コロナ禍の被害が日本の10倍で、対策も厳しかった欧州は、もっと影響が大きいだろうと思っていた。しかしスウェーデンの統計結果は意外なものだ。自殺者数が2019年より減っており(長期統計的には増えていないという言い方になる、下の左図)、その理由を研究者が分析する新聞記事も出た。
また、出生数は今年2月以降微増していて、出生数減少の過去のトレンドを差し引くと実質的な増加と判断して良いだろう(上の右図)。
自殺が増えていないのはスウェーデンだけではない。ドイツ、オーストリア、英国イングランド地方の速報でも微減で、少なくとも増えていない(統計的にはここまでしか言えない)。
出生数の増加はドイツでも見られて、今年3月は過去20年で最大の出生数となった。「コロナによるベビーブーム」と報道しているところもあるぐらいだ。
日本とここまで違うのは何故か?・・・

・・・日本の場合は、「ロックダウンをしない」「緊急自体宣言時以外は強制的な制限もしない」という、字面だけ見れば北欧の方式よりもさらに緩い規制が特徴だ。
厳しかった欧州と、緩かった日本。これが名目上の対策の厳しさだ。しかし、自殺者数や出生率は、日本だけが悪影響を受けている。そもそも、「客観的」な対策の強弱は、必ずしも「体感的な」対策の強弱を意味しない。例えば税金だが、同じ税率でも「高過ぎる」と思うか「高いけど妥当」と思うか、日本と北欧とタックスへブンでは、全然違うだろう。
となれば、日本の対策が、実質的には北欧や、ことによってはドイツより厳しかったと考えるのが自然だ。では、その要因は何なのか? 思いつくのが、「同調圧力」と「公平感(サポートの多寡を含む)」、「将来への見通し」だ。

同調圧力については改めて語るまでもあるまい。義務化どころか勧告すらされていない「お願い」なのに、たとえば他県に出かけて白い目で見られ、時には暴力的な言葉でなじられ、実際に暴力行為も発生したといった例は数多く報道されている。もちろん、極端な例ばかりが報道されている可能性はあるし、スウェーデンにもそれなりの同調圧力はあるが、それでも日本に住んでいた頃や日本に帰省した時に感じる「白い目」は、スウェーデンや欧州出張の時に感じる「白い目」よりもはるかに強い・・・

・・・こういう2年目に向けた対応は、将来への見通しという、別の「体感」要素にも繋がる。現時点での困窮でなく将来への漠然とした不安と、それによる鬱症が若年自殺層には多いと思われるからだ。
その点、北欧やゲルマン各国はセーフティネットがしっかりしているし、転職のサポートも強い。つまり、コロナによる将来の困窮を日本ほど心配する必要がないのだ。さらに「非日常」という状況が、悩みや鬱を棚上げにする心理効果もあるだろう。それらがキャンセルして、自殺者が増えないという結果を生んでいるのではないか。出生率の上昇も、将来への見通しが暗くないからこそ可能だ。

また、短期目標の立て方も欧州は明快だった。「クリスマス、夏の休暇をとれるようにがんばろう」という目標である。特に夏休暇は絶対に守るというスタンスは、日本人には理解し難いかもしれない。しかし、昨年はそれが最終防衛ラインで、一番収束の遅かったスウェーデンすら間に合って、国内の別荘に散って行った。今年は昨年困難だった欧州内のバカンス地域に行くことを最終目標に、ワクチンを普及させつつ、長くて厳しいコロナ対策に欧州人は耐えて来た・・・
原文をお読みください。

歴史家は長生きしなければならない。

2021年8月14日   岡本全勝

西村貞二著『マイネッケ』(1981年、清水書院)に、次のような話が書かれています。

大歴史家に、長命な人が多い。必然性はないが、次のように言えるのではないか。芸術家は早死にしても、よい作品を残せばよい。しかし歴史家は、世のこと、国のことについて、さまざまな体験を積む必要がある。歴史家として成熟するには、どうしてもある程度、長生きしなければならない。

さまざまな体験には、3つのものがある。個人的、社会的、時代的の3つである。まず個人的な体験をする。幼い時期に家庭や身の回りに起きる出来事である。成人して社会に出ると、社会的経験を積む。自分で運命を切り拓かなければならない場合もでてくる。そうした社会的経験は、大局から見れば。時代的体験の一部だろう。戦争や歴史の転換といった大きな変動に会うと、個人は木の葉のように翻弄される。

歴史家も一般人も、この体験は異ならない。違うのは、歴史家がこれらすべての体験に基づいて歴史を書くということである。すると、20歳くらいの若さでは、社会的体験や時代的体験を積むことはできない。世の有為転変を知るには、ある程度長生きしなければならない。