輿論と世論

8月17日の朝日新聞オピニオン欄、佐藤卓己・京都大学大学院教授の「五輪に見た、内向き日本」から。

――コロナ禍での五輪開催には反対の声も少なくありませんでした。朝日新聞は5月、「中止の決断を首相に求める」という社説を掲載しました。
「ただ、社説が出る前から、五輪への支持率が低いことは世論調査で明らかになっていました。調査結果の報道前に書けば勇気あるオピニオン(輿論〈よろん〉)だったと思いますが、国民感情を盾に社説を出したように見えました。世間の空気(世論〈せろん〉)を反映しているだけだから大丈夫、という心理も働いていたように感じます」

――新聞は情緒的な世論を後追いしたように見える、と。
「いまはひとくくりにされていますが、大正期までの日本社会では公的意見である輿論と、大衆の心情である世論は区別されていました。世論は世間の評判、付和雷同というニュアンスを持つ一方、輿論は異なる少数意見を想定し、説得すべき他者を見すえた多数意見という意味がありました。民主主義では輿論によって世論を制御することが肝要なのです」
「かつては新聞が、世論を反映する機能を担うことに一定の意味がありました。しかし、いまはSNSで個人が自由に発言できる時代です。新聞は世論反映のメディアにとどまっていてよいのでしょうか。これからの新聞は、討議に導き輿論を示す公器をめざすべきです。時には、世論に反してでも主張する。そうしなければ、いつか世論に縛られて、自分の意見が言えなくなってしまうでしょう」