「社会の見方」カテゴリーアーカイブ

高齢外国人の増加、介護支援

7月28日の日経新聞に「高齢外国人23万人に介護の壁 認知症進み日本語忘れる「母語がえり」」が載っていました。

・・・日本に住む外国人に高齢化の波が押し寄せている。65歳以上の在留外国人は2024年末時点で23万人に上り、10年間で1.5倍に増えた。加齢や認知症のため日本語を忘れてしまう「母語がえり」がみられるなど、言葉の壁や食習慣の違いなど介護には特有の難しさがある。20日投開票の参院選で外国人政策に関心が集まる中、専門家は支援の強化を求めている・・・

出入国在留管理庁によると、65歳以上の在留外国人は2024年12月時点で23万447人。韓国・朝鮮人が6割、中国人が3万2000人、ブラジル人が1万5000人、米国人が8800人です。
課題となっているのが、介護の受け皿不足です。外国人の介護には5つの壁があるとのこと。コミュニケーション、識字、食事、文化や習慣、心の壁です。
彼ら彼女らは、介護保険制度に関する知識も乏しく、頼れる人がいない場合もあります。意思疎通もままならず、孤立しています

高齢者を含め、在留外国人の悩み、そして受け入れる地域社会を支援するために、専門の役所・部署が必要でしょう。出入国在留管理庁は出入りを管理する役所であって、在留外国人のお世話をする役所ではありません。地方行政に責任を持っている総務省が乗り出すべきだと思います。

清水唯一朗ほか著『内務省』

8月6日の朝日新聞夕刊が「内務省、「怪物」の多様な顔 細分化する省庁研究 分野の垣根越え、学者ら新書」を書いていました。
・・・内務省と言えば日本の内政を一手に引き受けた巨大官僚組織で、特別高等警察(特高)や国家神道に関する部局を抱え、「悪の総本山」のイメージも強い。だが、それは一面的な見方だ。講談社現代新書の「内務省」(内務省研究会編)は、戦前日本の官僚機構を象徴する、この巨大官庁の歴史を多角的に掘り下げ、その光と影を照らし出す。

明治新政府の発足から間もない1873(明治6)年、大久保利通を初代内務卿として発足した。後に山県有朋も通算6年半にわたり内務卿・内相を務めたことでも知られるこの官僚組織は、「なんだ? この『怪物』は…」と本書の宣伝文句が示す通り、強大な力を持っていた。
鉄道・郵便や殖産興業と呼ばれた産業政策などを含む内政全般を担当。農商務省が設けられた後もなお、現在の警察庁、総務省、国土交通省、厚生労働省、都道府県知事、消防庁に相当する機能を一手に抱え、霞が関に君臨した。さらには、国家神道や、戦前の言論統制・思想弾圧を担った特高の担当部局が省内に属していたため、軍国主義の根絶を掲げる戦後の占領下で解体された。
ゆえに内務省には、「省庁の中の省庁」「悪の総本山」といったイメージが先行しがちだが、本書ではこうした一面的ではない、「怪物」の多様な側面を照らし出す・・・

・・・会の創設を主導し、本の序論を担当した政治学者で慶応義塾大教授の清水唯一朗さん(日本政治史)が着目するのは、中央から地方へと全国一律の近代的な行政組織を浸透させた旗振り役としての内務省だ。
「他省庁よりも抜きんでて優秀な人材を集め、先進的な『技術』『政策』の導入や、行政の制度化を推し進めた。道路や河川、港湾などのインフラ整備、選挙行政や宗教行政、北海道・植民地の統治なども含めて、内務省が果たした歴史的役割は極めて大きい」と語る。
一方で、霞が関に君臨した「省庁の中の省庁」「悪の総本山」という見方に対しては、「内務省の位置づけは時期により変わる。近代国家の建設期には、いわばプロジェクト主導型の苗床だった。強大な権力をふるい、国家主義的だった時期は短期間と見ていいのでは」と語る。
藩閥政治家や政党政治家、軍部それぞれとの関係に影響された時期を経て、内務省は戦後に解体される。
「今では霞が関の機構改革で内閣官房を核にした官邸機能の強化が定着しているが、戦前は内務省が霞が関の司令塔だった」と言い、戦後の行政組織への継承と断絶を考える上でも、内務省の分析は重要だという・・・

内務省研究会編『内務省 近代日本に君臨した巨大官庁』(2025年、講談社現代新書)です。
私は、内務省の末裔である自治省に入りました。建物は、この記事に載っている内務省の建物です。2001年の総務省発足時に合わせたかのように、新しい現在の建物(現在の2号館)になりました。内務省についてはいくつか書物を読みましたが、知らないことが多いです。内務省の解体と自治庁としての再発足に、組織の役割として大きな断絶があるのです。自治省の幹部は内務省採用の方が就き、私が若いときはまだ現役で、薫陶を受けました。

私も、著者から本を贈っていただきました。500ページの新書ですが、切り口(各章)といい、分析といい、良くできていると思います。記事にも書かれているように、これまで「怪物ぶり」が先行して、実態と全体像が見えませんでした。
清水先生には、お礼を言う際に、「戦前の官庁だけでなく、次に戦後の官庁の功罪を研究してください」とお願いしました。私の連載「公共を創る」は、戦後の官庁が果たした役割と、その後の失敗を全体的に見ています。各省ごとに、より客観的な分析が欲しいのです。戦後も80年、バブル経済崩壊後からも34年です。既に歴史になっています。
参考 黒澤良著『内務省の政治史 集権国家の変容』(2013年、藤原書店)

スマホ長く使うほど孤独感

7月29日の日経新聞に「スマホ長く使うほど孤独感 若者は幸福感じる対面重視へ」が載っていました。
・・・スマホを長時間使うほど孤独を感じる傾向が強まっている。つながっているはずなのになぜ孤独感を募らせるのか。そこには対面とオンラインの差異があるという。使用時間が長いZ世代は危機感を持ち、脱スマホを模索する動きも出始めた。

「私の人生って楽しいのかな」。東京都内の女性会社員(24)はインスタグラムを見て感じる。スマホを見る時間は1日9時間ほど。激務に疲れ、ベッドで寝転びながら友人の楽しそうな外出の投稿を見ると「意味もなくさみしくなるし自己嫌悪になる」。
2024年に内閣府が実施した調査で「孤独を感じる」人の割合は、スマホの使用時間が1時間未満で35%。4〜5時間だと42%、8時間以上は53%と、長く使うほど高い傾向にあった。
つながっているのに孤独を感じるのはなぜか。理化学研究所脳神経科学研究センターの赤石れいさんはそのカギを「対面の交流の減少」と見る。赤石さんらは24年に国際共同チームで若者のデジタル機器の使用と幸福感・孤独感に関する研究を行った。主に20代の若者を対象に21日間、SNSの使用時間や対面での会話時間、その日に感じた寂しさと幸せの度合いなどを1日の終わりに尋ねた。
調査の結果、対面での会話が孤独感を減らし、幸福感を増やすことに大きく影響していた。一方でSNSなど不特定多数の人とのオンラインでの交流は孤独感を増やし、幸福感を減らすと判明した。女性は影響がより大きかった・・・

・・・「また時間溶けた」。東京都の会社員、高橋遼さん(23)は手軽に見られる60秒程度のショート動画から離れられない。「1本くらいと見始めるといつの間にか2時間経っている」。見るのは何気ない生活の映像などで「次の動画は役に立つかもと期待して見るが何も心に残らない」。
採用支援のRECCOO(東京・渋谷)がZ世代を対象に実施した調査(24年)では、約9割が毎日ショート動画を見るが、83%が「無駄な時間」と考えていた。
スウェーデンの精神科医アンデシュ・ハンセン氏は著書「スマホ脳」で、人間の原動力ともいえる脳のドーパミンを放出させるのはお金や食べ物、承認そのものではなく「それに対する期待だ」と記す。スマホの通知音に「大事なことかもしれない」と手に取るのをやめられないという・・・

・・・世界でも「脱スマホ」に注目が集まる。24年にオランダで始まった「オフライン・クラブ」という取り組みではカフェの入り口で2000円ほどの参加費を払い、スマホを預け、デジタル機器なしで数時間を過ごす。若者中心に支持を集め、7カ国に広がった。
「日本でも今後、同様の動きが出る」とみるのは日本デジタルデトックス協会の森下彰大理事だ。同協会は20年から実践法を教える「デジタルデトックス・アドバイザー養成講座」を開く。24年の受講者数は20代が最も伸び、前年に比べ1.2倍となった。30代までが半数以上を占め、「ビジネスチャンスと見て参加する人が多い」(森下理事)という・・・

夏の甲子園は北海道で

甲子園で、高校野球の熱戦が続いています。熱中症対策で昼に試合をしないとか、工夫しているようです。
知人の説ですが、いっそのこと、北海道で開催してはどうでしょうか。
夏休み中に開催するならば、炎天下での試合は避けられません。
北海道も今年は暑いようですが。札幌ドームは、プロ野球の日本ハムファイターズが移転したので、空いているそうです。
すると、阪神タイガースも、遠征を続ける必要がありません。

「甲子園」という名称にこだわるなら、本家甲子園の許しを得て、札幌ドームの名称を「分家甲子園」とする。球児たちが記念に持って帰るための「土」も、甲子園から持ってくるとか・・・。

若い調理人が働き方改革でやめていく

7月30日の朝日新聞「売られた「なだ万」中」は「「働き方改革」若手が離れた」でした。

・・・午後9時ごろ、料理長が若い料理人に声をかけて回る。「帰って、帰って」。若手は帰宅を始める。残業時間の規制が比較的ゆるい管理職の料理長らと、アルバイトが残り、調理や片付けを続ける――。
なだ万の元総料理長で、顧問の上村哲也(63)は、この10年の変化をそう表現する。

昔は違った。店の営業時間が終わってから、だし巻き卵の練習をし、大根のかつらむきをした。「ひと昔前は修業、修業だった」
だが、アサヒビールの傘下に入ると、「昭和の会社」で、徒弟文化だったなだ万にも「働き方改革」の波が押し寄せた。1日の労働時間を原則、8時間とする労働基準法の順守が厨房に広がった。
それ自体は、従業員を守るために必要なことだ。ただ、予期せぬ余波も起きた。若手がひとり、またひとりとなだ万を辞め、個人経営の割烹や料理店に移っていった。
「もっと時間に縛られずに修業がしたい」。多くの若手から迫られても、現場の料理長らにできることはなかった。
労働時間が減り、残業代の分だけ給料が下がったことも、若手離れに影響したとみられる。

和食料理人のなり手不足も深刻になった。10年以上前は料理人の募集をかければ、すぐに全国から集まった。だが、専門学校で求人を出しても次第に「簡単には集まらなくなった」(上村)。600人ほどいた料理人が300人ほどに減り、慢性的な人手不足に悩むようになった・・・