カテゴリーアーカイブ:社会の見方

福井ひとし氏の公文書徘徊9

2026年1月6日   岡本全勝

『アジア時報』1月号に、福井ひとし氏の連載「一片の冰心、玉壺にありや?―公文書界隈を徘徊する」第9回「謹賀新年ー公文書の中のお正月」が載りました。

「明治元年にお正月はあったのか?」(孝明天皇が亡くなられたことによる明治改元は9月8日です。正月はまだ慶応4年だったはず)から始まります。
新政府ができて、官庁や官吏はどのようにして新年を迎えるのか。悩ましかったようです。
その後の、年賀状の扱い、新年一般参賀などの歴史が語られています。いつものとこながら、よく調べてありますね。宮内庁の資料まで。絵はわかりやすいです。
「へえ」と思うことがたくさん載っています。ご一読をお勧めします。無料でインターネットで読めることは、うれしいですね。

誤りだった「文明の衝突」

2026年1月6日   岡本全勝

2025年12月26日の日経新聞オピニオン欄、ジャナン・ガネシュ氏の「誤りだった「文明の衝突」 紛争は仲間内から生じる」から。この後の分析は、記事をお読みください。

・・・「文明の衝突」を著した米ハーバード大の政治学者サミュエル・ハンチントン氏が、2008年に亡くなる前に「ほら、私の言う通りだった」と述べたとしても、さほど反論は受けなかっただろう。
米国は当時、すでにイラクとアフガニスタンでの作戦に何年もどっぷりはまっていた。西側諸国とイスラム世界との間で生じたこうした暴力は、かつて世界を複数の文明に分類し、それらの衝突を予見したハンチントン氏の正当性を証明したかに見えた。
我々の新たな千年紀が多くの混乱とともに幕を開けたので、彼には「先見の明がある」という言葉がついて回った。
「良いタイミングで亡くなった」などと言うのは失礼だ。だがハンチントン氏が存命だったら、世界を完全に読み違えたとして、あの米政治学者フランシス・フクヤマ氏と同様に厳しい批判を受けていただろう。

現在、重大な対立は文明と文明の間ではなく、文明内部で起きている。文明という言葉がかくも多用されつつ(米政府が先日発表した「国家安全保障戦略」も欧州の「文明消滅」について語っている)、これほど役に立たない時代も珍しい。
今の紛争が起きている場所を見てほしい。ウクライナ戦争は少なくともハンチントン氏の分類に従えば「東方正教会文明」の内部で起きている。中国本土と台湾の対立も同じ文化圏内の争いだ。ハンチントン氏はこの文化圏を中華文明と呼んだ。
世界で今、最も死者を出している紛争と思われるアフリカのスーダンの内戦も、まとまりのある宗教的、あるいは文化的な集団同士の戦いではない。それどころか同内戦の当事者を支援する外国勢力の一方にはアラブ首長国連邦(UAE)が、他方にはエジプトが含まれており、異なる文明圏というより大半が同じイスラム圏の勢力だ。
イスラエルとパレスチナとの問題は文明間の衝突に近いかにみえるが、今の世界紛争の典型例とは言えない。この局地的な紛争にかくも部外者が注目するのは、文明間の対立として理解(もしくは誤解)しやすいからで、誰もが想定できる紛争と言える。

今日の様々な対立の境界線はそれほど明確ではない。ハンチントン氏の主張で最も批判を招いているのは、イスラム教には「血なまぐさい境界線」があるというものだ。ほかの文明と接触した時、および場所から争いが始まるというのだ。
だが過去10年が示す証拠は、イスラム諸国にとっての標的はほかのイスラム諸国かに見える。イランとサウジアラビアの代理戦争、エジプトと湾岸3カ国(サウジ、UAE、バーレーン)による17〜21年のカタールとの断交、そして12月上旬にイエメンで続く内戦でUAEが支援する反政府組織が、サウジが支援する政府軍に対し大きく前進したことを考えてみてほしい。
これに11年に始まったシリア内戦と、そのきっかけとなった10年末に始まった中東の民主化運動「アラブの春」もそうで、「血なまぐさい」衝突は文明間ではなく同じ文明内で起きている・・・

無制限な資本主義、是正を

2026年1月5日   岡本全勝

2025年11月16日の日経新聞、ジョセフ・スティグリッツ教授の「無制限な資本主義、是正を」から。

・・・1990年代初頭の東西冷戦終結後に米国主導で広がったグローバル資本主義が試練にさらされている。経済格差の拡大で社会は分断し、米国第一主義を掲げるトランプ米政権は国際経済・貿易に混乱をもたらしている。早くからグローバル資本主義に異議を唱えてきたジョセフ・スティグリッツ米コロンビア大教授に聞いた・・・

1990年代から米国主導のグローバル資本主義に異議を唱えてきた。今月、20カ国・地域(G20)首脳会議の作業部会議長として、不平等の是正を求める報告書をまとめた。

―資本主義と民主主義は、第2次大戦と東西冷戦を経て国際システムの基盤となってきた。今はその2つが危機を迎えているようだ。
「資本主義が推進する多くの価値観、利己主義や近視眼的な視点は民主主義と相いれない。民主主義とはいかに協力して働くかということだ。かつて資本主義と民主主義は共存すると考えられていたが、今は資本主義が分断や利己主義を助長し民主主義と対立している。無制限の資本主義は大きな不平等を生む」
「資本主義の根幹は競争にあるはずだが、実際には独占資本主義に陥っている。経済力の集中は政治的不平等を招き民主主義に反する。自由民主主義と市場経済は大きな緊張関係にある」
「G20の報告書で提案した不平等についての国際委員会の創設に力を入れている。国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が、地球温暖化の理解と対策を促したように、新委員会は不平等の根源を明らかにし対策の手助けをできる」

―ニューヨークで急進左派のマムダニ氏が市長に選ばれた。彼が唱える家賃凍結や増税策は不平等解消に効果的か。
「大筋で支持する。彼は米国民の不安を認識している。収入がニューヨークのような都市で生活するのに十分ではなく、多くの仕事で生活に十分な賃金がもらえない。彼は、多くの経済学者が見落としている点、一度アパートに入居すると大家が大きな支配力を持つことを理解している。人は簡単に引っ越すことはできない。家賃を安定させる制度づくりが必要だ」
――こうした政策に対し社会主義的だという批判がある。トランプ大統領が「狂った共産主義」と呼んだのは誇張にせよ、ビジネス界では、過度な再分配や規制が成長や経済の活力に悪影響を及ぼすという懸念もある。
「より平等な政策がより良い経済をもたらす証拠はある。従来は、平等を高めるには経済効率を犠牲にせざるを得ないといわれてきたが、私は平等主義的な政策が経済を向上させると論じている。不平等の代償は政治や社会だけでなく経済にも及ぶ。より健全で教育を受けた労働力は、生産性の高い労働力になる」

記事には、世界の富が上位10%の富裕層に偏在している図がついています。世界不平等研究所「世界不平等レポート2022」
所得では上位10%の人がが約5割を得て、資産では上位10%の人が8割近くを保有しています。それに対し下位50%の人は、所得では約1割、資産ではほとんど持っていません。

正義の倫理とケアの倫理

2026年1月4日   岡本全勝

2025年11月14日の日経新聞経済教室、品川哲彦・関西大学名誉教授の「誰もが誰かにケアされる」から。

・・・稲盛財団は2025年の京都賞を心理学者キャロル・ギリガン氏に授与した。彼女の著作「もうひとつの声で」(1982年)は道徳性の発達理論を一新し、その主張は心理学を超えて倫理学、社会学、政治学、法学などに波及した。
道徳性の発達理論とは善悪をどのようなものと考えるか、その考え方の発達過程を研究するもので、それまでの有力な理論はローレンス・コールバーグ氏の理論だった。それによれば、人は、最初は権威(たとえば親)に服従して得られる自己利益を善と考え、次は周囲や社会への順応、ついで整合的で普遍的にあてはまる法則を善と考える次元に成熟していく(どこまで成熟するかは人による)。

これに対しギリガン氏による調査では、女性は関係者それぞれの事情と必要と意向とを聞き取り、できるかぎりすべての人に受容される解決を模索する傾向がある。そこから彼女は人は誰もが傷つきやすく、他者によるケアが必要だ、と考えることが最終的な成熟だとする発達理論を構築し、これを「ケアの倫理」と名づけ、コールバーグ理論を「正義の倫理」と呼んだ。
両者は成熟とは何か、どのように考えを進めて道徳的判断を下すのか、守るべき重要な道徳規範とは何かにおいて対立し、とりわけ後者2つの争点は心理学から倫理学に引き継がれる。

正義の倫理では、他者への依存からの脱却(自立)と、自他の役割を交換して考えることができる能力の伸長を成熟とみなす。したがって、誰にでもいつでも適用される道徳法則を自分で考え出すことをめざす。自立した者同士のあいだで重視される規範には、平等、自分で生き方の方針を決める自律、その人にふさわしい仕方で処遇する正義、その処遇を受ける資格としての権利、などがある。
他方、ケアの倫理は各人の事情の違いを細やかにくみとり、助けを求める人に進んで応答する能力の伸長を成熟とみなす。今ここで起きている事態の特殊性を踏まえ、適切な対応を考え出すことをめざす。そこで重視される規範は、窮状を察する敏感さや、聞き取る姿勢、他者の求めに応答できることとしての責任、などである。

誰もがケアされるべきだというケアの倫理の要請は、正義の倫理のいう平等と同じようにみえるかもしれない。だがその描像は異なる。正義の倫理が同じ権利が誰にもあることを一挙に高らかに宣言し、その結果、ときとして実質的な平等が実現しているかどうかの配慮を欠くことがある。
これに対し、ケアの倫理では、誰もが自分に関わりのある人々を気づかうことで、そうして編み上げられたケアのネットワークのなかへひとりも取り残さず包み込み、誰もが必ず、誰かにケアされることをめざしている。つながりや結びつきのもとで成り立つ平等なのである(図参照)・・・

拙稿「公共を創る」では、近代市民社会・憲法は自立した個人を前提にしていたが、「弱い人」もいることがわかり、子ども、労働者、病人、障害者、消費者へと「保護の対象」を広げてきたと説明しています。そして、国家が保護・支援するだけでなく、お互いが支え合うのです。国家や神に個別につながる近代市民社会思想に対する、みんなで助け合う庶民の実際という対比とも言えます。
ところで、「ケア」という言葉は、何か良い日本語に置き換えることはできませんかね。

加速化する社会とリキッド消費

2026年1月2日   岡本全勝

2025年11月1日の日経新聞オピニオン欄、中村直文・編集委員の「「1日240時間」とリキッド消費」から。

・・・来場者数が2500万人を超え、「いのち輝く未来社会のデザイン」を掲げた大阪・関西万博が閉幕した。実は期間中、テクノロジーを皮肉った前衛的なSF映画が会場内で上映されていた。映画のタイトルは「1日240時間」。1970年の大阪万博時に制作された映画で、脚本は小説家の安部公房、監督は勅使河原宏と、ふたりの大物の手によるものだった。
映画の内容はこうだ。ある科学者が人間の行動が10倍速になる「加速剤」を開発し、世間に広がっていく。工場の生産性は10倍にアップし、社会は活気づくように見えた。しかし労働時間が減った分、ゴルフなど余暇人気が高まって大混雑する。しかも立ち読みや万引きがはびこり、社会が混乱に陥るというストーリーだ・・・

・・・加速剤はなくとも社会が自律的に高速回転する今。これを理論的に説明する社会学の本がある。「加速する社会 近代における時間構造の変容」(ハルトムート・ローザ著、福村出版)だ。技術革新によって労働の効率化が進み、時間を持て余すはずが、そうはならない。「私たちには時間がない。あふれんばかりに勝ち取っているのだが」。人類はパラドキシカル(逆説的)な世界に直面している。
同氏は時間の欠乏を促す要因を技術的加速、社会変動の加速、生活テンポの加速と3つに分け、論を展開する。技術的加速とは生産・物流・情報伝達でのスピードアップのこと。社会変動の加速とは、社会の制度や慣習が変化するスピードの高まりを意味する。
ローザ氏によるとラジオは5000万人の利用者に普及するまでには38年かかったが、テレビは13年、インターネットはわずか4年という。モノも制度もあっという間に「過去」になり、「現在が縮んでいる」。例えば「最近」という概念であれば、かつては1年程度だったが、今や1カ月ぐらいに縮まった感覚だ。もう一つの生活のテンポの加速とは、単位時間当たりでの行為や経験が詰め込まれるようになった状況を示す。

こうした変化を敏感に反映するのが消費社会で、流動化する環境になぞらえて「リキッド消費」という考え方が生まれた。工業・モノ中心の「ソリッド消費」の後継と位置づけられる。リキッド消費に詳しい青山学院大学の久保田進彦教授は「英国で2017年に提唱された概念で、複数の特徴がある」と説明する。
1つがはかなくも、瞬間瞬間を楽しむ短命性。ファストファッション、ファストフード的な消費シーンだ。2つ目が所有せず、必要なときだけ利用する「アクセスベース」消費。3つ目が脱物質化という。久保田教授は「ライフスタイルが必要に応じて購入する"ジャストインタイム"型になると同時に、興味が複数にわたる"小分け"型になるといった現象が背景にある」と指摘する。
とりわけ若い世代には先行き不安が漂うなか、目の前の時間を快適に楽しむという感覚が強いのだろう。例えばエンタメは「事前知識や予備知識が必要なオペラやクラシックより、見た瞬間に躍動感が分かるK-POPを選好する」(久保田教授)。リキッド消費は企業の成長源になりつつある。動画配信やメルカリのようなフリマアプリ、近年だと短時間アルバイトもリキッド分野だ。人材サービスのディップによると、単発や1カ月以内の案件は急増している・・・

・・・経済の大変動と消費者ニーズから現実化した1日240時間社会。利点も大きいが、常に不安定性と不安を抱え込む性質を併せ持つ。ただ減速は難しく、企業も個人もこの現実からは逃れられない以上、ディストピアに陥らない「地図」づくりが必要なようだ・・・