カテゴリーアーカイブ:社会の見方

「働かないおじさん」

2022年9月24日   岡本全勝

9月11日の朝日新聞オピニオン欄「50代社員、諦めないで」、人事コンサルタント、フォー・ノーツ代表の西尾太さん「後進育て、誰かの役に立とう」から。

――若い世代が中高年をどう見ているのかが気になります。
「私たちの調査では、若手社員の50代への評価は概して高く、『新たなスキルや知識を身につけ、未経験の仕事に取り組むことができる』と考える人が約45%に上りました。私たちの世代を温かい目で見てくれているんだな、と意外でした。半面、50代の当事者に意欲を聞くと、3人に1人が『できれば取り組みたくない』と答えている。消極性や自己評価の低さが目立ちました」

――自分の能力がどれだけあるのか、悩んでいる人も多いのでは。
「真面目に30年以上仕事をしていたら、自分では意識していなくても経験やスキルは蓄積している。それを棚卸ししてみましょう。これまで積み重ねてきたことを体系化し、後進を育てることを考える。人を育てる50代を企業は手放しません」

――中高年の頃は教育費や住宅ローンなどの負担が多い。公的支援が少ない日本では、その分、年功賃金で企業がまかなってきました。
「給与が抑えられていた20代、30代に馬車馬のように働いたのだから、その分を払って欲しいと考えるのは分かります。しかし、バブル崩壊後、中高年を温かく処遇できる企業は減りました。若い社員は現在の働きに見合う給与を払わないと辞めていく時代です。今の価値に対する賃金を時価払いしなくては企業が立ちゆかなくなった。それが、人事施策を手伝っている私の実感です」

――企業が適切な仕事を割り当てられていない面もありませんか。
「その人のパフォーマンスを最大限に発揮できる部署が社内にあれば幸運でしょう。一方で、最近では社外での人材の流動性も高くなっており、大きな組織できちんと仕事をしてきた管理職経験者が欲しい、という中堅企業も増えています」

――中高年以降の働き方、生き方が変化しているのでしょうか。
「働く理由を中高年に問うと、多くの人は給料のためと答えます。管理職研修でも、誰かの役に立ちたいという外向きの答えが少ない。収入を得るのは大切ですが、生活のために耐えるというモードでは自分がもちません。どんな価値を社会に提供できるか、考えましょう」

殿様は目黒でサンマを食べたか

2022年9月24日   岡本全勝

サンマの季節になりました。
古典落語「目黒のサンマ」を、ご存じの方は多いでしょう。8月29日の読売新聞に、「どうして「さんまは目黒に限る」?」が載っていました。

ところで、この落語は江戸時代ではなく、最近になって作られた話ではないかと、教えてもらいました。
先月、気仙沼に行った際のことです。江戸時代の記録には、気仙沼でサンマが獲れたという記録がないそうです。サンマは寒流の魚で、沿岸近くには寄ってこないのです。動力船ができて、沖合まで行けるようになってから、獲れるようになったというのです。すると、江戸近海では獲れなかったのではないか。そして、冷蔵技術がないと、消費地まで運ぶことができません。
江戸時代には、動力船と冷蔵技術がないので、目黒でも江戸市中でも、サンマは食卓に上らなかったのではないでしょうか。

もう一つ興味深い話を。私たちが口にする魚の多くは、一文字で表すことができます。鮭、鰯、鯛、鰊、鱸、鱧、鯉・・・。お寿司屋さんの湯飲み茶碗に、書かれていますよね。
ところが、サンマは一文字がないのです。秋刀魚とあてますが、一文字ではないのです。するとサンマは、食卓には意外と新しい魚なのかもしれません。

実用の学と説明の学

2022年9月22日   岡本全勝

連載「公共を創る」で、社会を変えるために社会学への期待を書きました。第127回
政治学・行政学や経済学・財政学が、社会の現象を分析するとともに、政治や経済を良くするように提言もします。ところが、社会学の多くは分析にとどまっていて、提言が少ないように思います。

この背景には、マックス・ウエーバーが提唱した、学問の「価値中立性」「価値自由」の考えがあると思います。学問において、価値判断を避け、事実判断に徹すべきだという主張です。マルクス経済学のように、価値が先にあって学問はそれに従属するといった態度は論外ですが、現実には価値判断から自由な研究は難しいです。

哲学や遠い昔の歴史を研究する場合は、私たちの現実生活とは少々離れた研究ができるでしょう。現在日本の不安である格差や孤立の研究などは、現実を分析するとともに、対策も提言するものが多く、またそれを期待したいです。「孤独に悩む人がたくさんいるが、私は関係ない」と言えないでしょう。

現実問題と取り組む学問を「実用の学」とするなら、分析だけにとどまる学問を「説明の学」「理解の学」「批評の学」と言ってよいでしょう(この表現は、ある社会学者に教えてもらいました)。「長谷川公一先生
これまでの社会学は、出来事の説明にとどまるものが多かったようです。もちろん、実用の学として提言するためには、分析と説明が必要です。この項続く

ゴルバチョフ氏の理想と限界

2022年9月22日   岡本全勝

9月7日の朝日新聞夕刊、塩川伸明・東京大学名誉教授の「ゴルバチョフ氏、言葉の力を信じ」から。

ミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領が世を去った。退陣から30年を経た今では現実政治的には「過去の人」だが、「現在に近い時代の歴史」という観点からは依然として最大級の重要人物である。
歴史上の重要人物の常として、彼の評価には極度に高いものから低いものまで、大きな幅がある。ソ連の民主化と世界の平和に尽力した偉人、何の展望もなしに思いつき的な「改革」を進めて国の混乱を拡大した大馬鹿者、決断力を欠き、右往左往しているうちに政敵に排除されてしまった弱い政治家、その他その他である。

彼がソ連共産党書記長に選出された1985年3月の時点では、その後の大変動を予期していた人は皆無だった。彼自身、当初想定していたのは、体制の抜本的な変革ではなく、限定的な体制内改革だった。そのようにして出発した「ペレストロイカ」は、言論自由化の影響もあって、時間とともにエスカレートし、ある時期以降は事実上全面的な体制転換を視野に入れるようになった。彼の一つの特徴は、言論自由化に伴う改革構想のエスカレートを抑止しようとせず、むしろ自らそれに適応しようと努めた点にあった。
彼がそういう態度をとった一つの要因として、彼が言葉の力を信じるタイプの人間だったということが挙げられる。そのことは内外知識人たちの間に大きな反響を呼び、理想主義的な観点からの期待感を広めた。結果的には、「言葉ばかりが多すぎて、実力の伴わない弱い政治家」という評判をとるに至ったにしても、とにかくそれが彼のスタイルだった。

彼も権謀術数と完全に無縁だったわけではないが、他の政治家たちとの相対比較でいえばマキャベリズムに欠けるところがあり、それがエリツィンに敗北する要因となった。政権末期のゴルバチョフが構想していたのは、もはや集権的でも共産主義でもない、分権的で社会民主主義的なソ連の後継同盟だったが、その構想はソ連解体で潰えた。

みっともない

2022年9月18日   岡本全勝

いつものスマホ批判です。

歩きスマホで前の人とぶつかりそうになる人。周りの人に気づかないひと。これらは、他者に迷惑をかける「悪い人」です。「気配り破壊器
駅や電車の中で、ゲームに熱中して指を高速で動かしている人。漫画や映画にのめり込んでいる人。これらは、通行の邪魔にならなければ、周囲に迷惑をかけていませんが、その行動が「恥ずかしい人」です。
それらは各人の趣味ですが、人前で熱中することは、恥ずかしいことです。電車が到着した際に周囲に気を配らず、他人を押しのけて空いた座席に突進する(そして直ちにスマホを操作する)ことも、みっともないことです。

「してはいけないこと」の次に「気配りが足らない」があり、その次に「みっともない」があります。人前での行動の評価であり、作法です。
「迷惑をかけていないから良いでしょ」と答えるかもしれませんが、その行動は周囲から低く評価されます。あなたが結婚相手を選ぶとき、職員採用をするときに、順位は落ちるでしょう。

「みっともない」「はしたない」という言葉は、死語になったのでしょうか。皆さん、自分を美しく見せようと、化粧をしたり服装に気を遣います。なのに、そのような恥ずかしい行動には、気がつかないのでしょうか。礼儀作法を教える方法や機会はないものでしょうか。「公衆の場でのスマホ操作、両耳イヤホン」「君は間違っていない、しかし