カテゴリーアーカイブ:社会の見方

経営の専門家をつくる2

2025年11月5日   岡本全勝

経営の専門家をつくる」、10月16日の日経新聞経済教室、松田千恵子・東京都立大学教授「日本企業は経営のプロを生み出せるか」の続きです。

・・・より大きな問題は、教育にしろ修羅場にしろ体験する年齢が遅すぎることだ。40歳未満の社会人が管理職研修を経験する割合は米国が20.7%、中国が30.8%である一方、日本では7.4%しかない(ベネッセ教育総合研究所の調査)。経営者として実戦で輝くべき世代になってから、ようやく基本の勉強が始まる。
この傾向は、執行役員研修などで顕著にみられる。仮にも「役員」と名の付く人材が、こぞって経営や財務の基本を叩きこまれているのは実に奇妙な光景だ。オペレーショナルエクセレンスに秀でることと、マネジメントプロフェッショナルを極めることは、似て非なるものであり、日本企業に欠けているのは、早いうちから意識的に後者を選抜し、育成する仕組みや仕掛けである。

企業における「経営」や「経営者」の定義が曖昧であることも、それを目指す人々に混乱を与えている。経営の勉強はまだこれからという人材ならば、「執行役員」と呼ぶのもそろそろ見直した方が良かろう。呼ばれる側も焦るかスポイルされるかどちらかである。コーポレートガバナンス上も、法的な責任範囲が曖昧になりがちで、経営判断に対する当事者意識が希薄になるといった問題が懸念される。

「管理職」という名称も評判は悪い。本来、どんなに小さな単位でもチームを束ねる存在は「マネジャー」としてチームの経営を担うはずだ。しかし、多くの場合中間管理職はプレイングマネジャーとして働くことを求められ、マネジャーの仕事は定義もされず、経験を積むことも学習機会を与えられることもなく劣後しがちだ。その結果、マネジメント不在による問題が多発し、仕事は苦情受付と事後処理ばかりとなる。これでは管理職になりたい若者が激減するのも当然だ。

本来、経営とは統合的・俯瞰(ふかん)的な視野に立ち、人々との協働によって目指す未来を実現するエキサイティングな仕事であるはずだ。せめて管理職ではなく「経営職」と呼ぶことから始めてはどうか。
「経営」について真剣に考え、将来を担う経営者候補を選抜し育成する仕組みや仕掛けを抜本的に設計し直すことは急務である。「マネジメントのプロフェッショナル」を生み出せない企業が生き残るのは、今後ますます難しくなっていくだろう・・・

経営の専門家をつくる

2025年11月4日   岡本全勝

10月16日の日経新聞経済教室、松田千恵子・東京都立大学教授「日本企業は経営のプロを生み出せるか」から。

・・・「適任者がいない」――。経営の重要なポジションの話になるほど、こうした悩みを聞くことが増える。人的資本経営が注目され、従業員のリスキリング(学び直し)の必要性が叫ばれるが、日本企業における最も深刻な人材問題のひとつは経営者の側にある。
その結果、大胆なリスクテイクを伴う未来への投資が進まず、経済成長もままならない現実が生まれているのではないか。少なくとも、コーポレートガバナンス(企業統治)の観点から見た場合、日本企業が解決すべき人材問題は「高度経営人材の不足」に尽きるようにみえる。

この悩みは、指名委員会の活動において端的に表れる。そもそも指名委員会自体が実効性不足だ。独立取締役に権力の源泉たる人事権を全て奪われるといった誤解もまん延している。
経営者の選解任や後継者計画はもちろん、その資質や選抜、育成などの議論は人事部任せにはできない。それにもかかわらず、内向きの論理に固執し、真摯な議論の場が形成されないことで、「高度経営人材の不足」という問題は深刻となってきた。
この風潮には変化の兆しもみられる。指名委員会の実態を調査した筆者の共同研究によれば、トップ企業群では外部の視点も採り入れ、時間をかけて経営人材について議論するようになっている。議論の内容も、最高経営責任者(CEO)のみならず、取締役やCxO、執行役員やさらには本部長まで広範囲に及ぶこともあり、長期的な視点で経営体制を検討している。こうした議論の場はこれからの経営には不可欠である。
ただし、まだ課題もある。外部人材も含めて検討しようという動きはみられるものの、現在の経営人材プールのほとんどは、相変わらず内部登用者が占めていることだ・・・

・・・我が国企業における人的資本投資の割合は低いといわれる。最近では選抜型の経営幹部研修や役員向けコーチングなども増えてきたが、取り組みは緒に就いたばかりである。
経営の基本を学ぶ経営学修士号(MBA)など高等教育も活用されてこなかった。時価総額上位100社のCEOにおける大学院修了(修士・博士)の割合は米国が67%であるのに対し、日本では15.3%に過ぎない(文部科学省の資料)。経営はアートとクラフトとサイエンスから成るといわれるが、体系的な知識に基づく「サイエンス」の視点で学ばれることはほぼ無いということだ。
実際、日本企業が経営人材育成施策として高等教育を挙げる割合はわずか5%で、最も多く挙げられるのは「修羅場体験」(53%)だ(図表に示した調査)。これも重要だが、この言葉自体が、やや思考停止用語に近くなってはいまいか。成熟経済下での大企業では本当に修羅場といえる機会自体が少なく、その程度や範囲も限られがちだ。これまでの卓越した経営者における修羅場体験の成果は、個人の努力と終身雇用を前提とした人事異動による「偶然」に委ねられていた。引き続きその幸運だけに依存するのは難しかろう・・・
この項続く。

日本型雇用慣行が制約する起業

2025年11月3日   岡本全勝

10月15日の日経新聞経済教室、本庄裕司・中央大学教授の「日本企業、安定から挑戦の循環へ」から。

・・・言うまでもなく、創業者は企業の誕生と成長に不可欠な存在だ。創業者は、自身の信念や時には思い込みから事業を始め、それが競合他社の模倣を許さないイノベーション(革新)や迅速な事業化につながることもある。
スタートアップ企業の誕生は、創業者が他の選択肢ではなく起業(創業)を選ぶことから始まる。国際的な調査プロジェクト、グローバルアントレプレナーシップモニター(GEM)によると、アントレプレナーシップの水準は、多くの先進国よりも発展途上国で高い傾向が見られる。
その理由の一つが、代替となる魅力ある就業機会が乏しいことだ。かつての日本も、これに近い状況だった。第2次世界大戦後、安定した就業機会が限られ、井深大と盛田昭夫(ソニー、当時、東京通信工業)、稲盛和夫(京セラ、当時、京都セラミック)ら、多くの優秀な人材が起業の道を選んだ。
ところが、高度経済成長期を経て既存企業への安定した就職が浸透すると、状況は一変した。新卒一括採用、年功序列、終身雇用、生え抜き人事、定年制などの伝統的な日本型雇用システムが確立し、優秀な人材が既存の大企業に流入した。こうした企業における就職の安定化は、起業をよりリスクの高い選択肢へと追いやった。さらに、終身雇用や生え抜き人事といった慣習は、優秀な人材を組織内に囲い込む効果をもたらした。

日本型雇用システムのもとでは、ファミリー企業などを除き、次期経営者は社内での出世競争を勝ち抜くことが求められる。そこでは、リスクを取って新しい事業を生み出すアントレプレナーシップを持つ者が勝者になるわけではない。
出世のトーナメント競争では、むしろ組織内での広範な支持が不可欠だ。そして経営者の座を射止めた者は、合意形成を図る調整役としての手腕が試される。その結果、既存事業の維持を優先し、新しい事業への意欲や市場の変化に対応する意識が希薄になる。組織の秩序を優先する日本の経営者が陥りやすい点だ。 

もっともスタートアップ企業であっても、成長して組織が拡大すれば、必然的に組織内のマネジメントが求められる。それまでの創業者の独断的な意思決定も、いつしか組織的・民主的な方法に改められる。時には組織内の政治的活動や組織外のロビー活動も必要になる。組織の拡大に伴って、本来持ち合わせていたアントレプレナーシップの発揮が困難になる。いうなれば「成長のわな」だ。
こうした限界を考えると常にスタートアップ企業が登場する環境が必要だ。企業の誕生と成長には人材、資金、技術といったリソース(経営資源)が欠かせない。また、組織の人材には経営、技術、財務といった専門能力が求められる・・・

・・・バブル景気崩壊以降の30年間、日本経済は成長力を失い、かつて時価総額ランキング上位を占めていた日本企業はその存在感を大きく低下させた。2025年8月末時点で上位に並ぶのはエヌビディア(1993年設立)をはじめ、GAFAMなど米国のテック大手であり、トップ50に入る日本企業は、トヨタ自動車(1937年設立)が唯一だ。比較的若い企業が台頭する米国や中国の企業とは対照的に、日本では若い企業の存在感が乏しい。いまの日本で急成長するスタートアップ企業が誕生していない一つの証左だ。

高度経済成長やバブル景気を支えた日本型雇用システムは、その後の新しい事業創出にプラスに作用したとは言い難い。新卒一括採用や終身雇用は、若年層を含む雇用の安定に一定の役割を果たしてきた一方、その安定が低い人材の流動性につながり、結果としてスタートアップ企業の誕生と成長を停滞させた側面は否めない。ではどうすればよいのか。多くの人材がリスクを取って新たに挑戦できるよう、セーフティーネットをはじめとした政策の検討がその一つだろう。また、未上場株式市場の整備や規制緩和など、新たな事業に挑む人材に十分に資金を供給できる制度設計も欠かせない。
もはや、戦後でも、高度経済成長でも、バブル景気でもない。既存の大企業であっても、新たな挑戦を目指さなければ市場で生き残ることは難しい。これからの時代では、これまでリスクと無縁だった既存企業の人材にも挑戦を促すことが求められる。
優秀な人材が流動化し、新たな事業に挑む人材への出資が機能すれば、それがスピンアウト創業者の誕生につながる。こうした創業者の生み出すスタートアップ企業が、既存企業との健全な競争を通じて、日本の産業や経済に再び活力を与えることを期待したい・・・

外国人歓迎食事会

2025年11月2日   岡本全勝

先日、外国人の訪日団を歓迎する夕食会に参加しました。相手はヨーロッパで、会話は英語です。単語が出てこなくて、負担なのですが。提供された食事はフランス料理、ワインもフランスワインでよいものでした。

話が弾んで、日本食と日本酒に及びました。で、「日本酒も出そう」と係の人に言ったら、焼酎しか置いていませんでした。残念。
そこで考えたのですが、海外からの訪日客に、洋食を出すのは考えた方が良いのではないでしょうか。私たちは、おもてなしと思っていても、向こうさんにとっては、ふだん食べている料理であり、飲んでいるお酒です。日本に来たら、日本食と日本酒、日本のビールを出した方が、喜ばれると思います。昔のように、日本食が珍しい時代ではなくなりました。

少し状況が異なりますが、思い出したことがあります。若い頃、山奥の村役場を訪れたときです。夜の意見交換会で、山の幸が出ると思ったら、刺身が出ました。当地では生魚は珍しく、貴重品だったのでしょう。精一杯のもてなしをしてくださったのです。同行した先輩が、「ここで刺身を食べなくても良いけど」と小声でぼやいていました。私は、せっかく出していただいたので、おいしくいただきました。

新薬承認の遅れの構造

2025年11月2日   岡本全勝

10月12日の読売新聞「あすへの考」、藤原康弘・医薬品医療機器総合機構理事長の「創薬国復活 臨床試験改革から」から。
・・・海外で承認された医薬品が日本で使えない「ドラッグロス」が深刻化している。かつて米国に次ぐ創薬国だった日本の地盤沈下も課題だ。こうした事態に、政府は医薬品産業を「基幹産業」と位置付け、ドラッグロス解消や創薬力強化へ対策に乗り出した。
必要な薬を患者に届けるには何が重要か。長年、腫瘍内科医としてがん診療に携わり、薬の承認審査などを担う医薬品医療機器総合機構(PMDA)の藤原康弘理事長は「臨床試験の実施体制整備や予算拡充が急務だ。薬が臨床試験を経て世に出る流れを医療者が学び、新たな医療を国民皆で創っていくという意識改革も求められる」とし、この数年が再起への最後の機会になると訴える・・・

・・・2000年代初め、海外で承認された新薬が日本で使えるまでに遅れが生じる「ドラッグラグ」が社会問題化しました。今の「ドラッグロス」は、海外の新薬が日本に導入される予定が立たず、使えないままになることで、問題はより深刻です。
厚生労働省によると、23年3月時点で国内未承認の143品目のうち、86品目がドラッグロスの状態でした。また、ボストンコンサルティンググループの調査では、希少疾患だけでなく、今後、乳がんや糖尿病関連疾患など患者の多い病気の薬にも拡大する恐れがあるとしています。
私が、日本の状況に「何かまずいな」と懸念を抱いたのは、もう25年も前。米国留学から帰国した1997年に、現在のPMDAの前身となる「医薬品医療機器審査センター」が発足し、最初の医師の審査官として着任した頃です。
薬が医療現場に届くまでには、臨床試験で安全性や有効性を確認し、薬事承認を得る必要があります。海外で承認された薬でも、人種差による副作用の出方や医療環境の違いから、日本人での臨床試験が原則必要です。しかし、私が医師になった80年代はもちろん、その後も医師の多くは薬がどう開発され、承認されるかに関心が低く、学ぶ機会もありませんでした。
一方、米国では、80年代からがん領域を中心に臨床試験の方法論が議論され、候補薬を初めて人に投与する初期段階の第1相試験、多くの被験者を無作為に複数グループに分けて効果などを検証する最終段階の第3相試験など、現在の形を生み出していきました・・・
・・・この経験から、帰国後、審査業務に携わることになりましたが、臨床試験に対する日米の意識差を痛感しました。日本では、病院は「治験をしてやっている」、患者や社会は「実験台にされる」との意識が根強かった。米国では、研究者や医療者、企業、患者会、行政がタッグを組み、一緒に新薬を世に出して医療を向上させようとの機運があり、日本もそんな社会にしたいと思いました・・・

・・・その後、国は審査の迅速化や安全対策強化のためPMDAを拡充し、医療関係者らは国際共同治験に参加する動きなどを進め、ドラッグラグは一度、解消しました。
しかし、16年頃から再び国内未承認薬が増えてきました。調べると、聞いたことがない新興バイオ企業が開発した薬が多いことに気づきました。まさに創薬の主役が、国際的な大手製薬企業から、米国を中心とする新興企業に変わってきた時期。画期的な新薬を開発しても、遠い日本の市場など視野に入っておらず、臨床試験の予定もないことが分かりました。
「このままではロス(喪失)になる」と危機感を覚え、これらの薬のデータをまとめ、20年に日本癌学会で発表し、政府の会議などで対策の必要性を訴えました。
日本の創薬力低下も目立ってきていました。高度で多様な専門技術が必要なバイオ医薬品の開発に出遅れたことが一因です・・・

・・・ ただし、その実現には日本の「臨床試験力の強化」が最も重要です。国際水準の臨床試験が実施できる環境整備や人材育成など、必要なことは20年前の科学技術基本計画から指摘されています。これまで「臨床研究中核病院」など拠点整備は始まりましたが、多くの医療機関は日常診療に追われ臨床試験を行う余裕がなくなっています。また、日本企業が主導する国際共同治験は世界の1割程度しかなく日本の先導力が低下しています。中国の台頭もあり、この数年が、日本が創薬国に再興する最後の機会になる可能性がある中、政府は臨床試験の充実に予算をもっと投じるべきです・・・