「社会の見方」カテゴリーアーカイブ

人工知能の愛着が生む危険

8月20日の日経新聞オピニオン欄、リチャード・ウォーターズさんの「AIへの愛着に潜む危険」から。表題には「AIへの愛着」とありますが、記事を読むと「AIの愛着」とも考えられます。

・・・チャットボットとの会話が日常になるにつれ、ユーザーの一部は新しい行動パターンを示しはじめ、これが深い依存関係を招いていることに、テクノロジー企業も気づきはじめている。
多くの人々がAIを純粋に便利なデジタルツールではなく、セラピストやライフコーチ、創造力を刺激する存在、または単なる話し相手として扱うようになっている。米オープンAIのサム・アルトマン最高経営責任者(CEO)は、近い将来「何十億もの人々」が、「人生の重要な決断」について「Chat(チャット)GPT」に助言を求めるようになると予測する。
このように個人的なニーズを満たす方法を習得した企業は、ユーザーと深い関係を築く機会を得られる。しかし、これにはリスクも伴う。新しい技術にありがちなことだが、最前線で取り組む企業は慎重に物事を進めるよりも、問題が発生してから対応する傾向が強い。

オープンAIで最近起きた2つの出来事は、その可能性とリスクの両方を浮き彫りにした。
オープンAIが4月にリリースした「GPT-4o」の新バージョンが、憂慮すべきほどユーザーに迎合する振る舞いをするようになった。その結果、同社の言葉を借りれば、「(ユーザーが抱える)疑念をまるで正しいかのように認めたり、怒りをあおったり、衝動的な行動を促したり、否定的な感情を助長したりする」事態を引き起こした。
一連のネガティブな行動や感情を増幅させるきっかけになったのは、人々がチャットGPTに「極めて個人的な助言」を求める動きが、予想外に急増したことだと同社は説明している。AIは人々の役に立つ存在として設計されていたが、ユーザーが持ち込んだ個人的な感情を増幅させる傾向があまりにも強すぎたのだ。

そして、オープンAIが7日に発表した待望の新モデル「GPT-5」で、チャットGPTの基盤となる技術に過去2年間で最大規模の変更が加えられた。この出来事は思わぬ反発を引き起こした。同社の旧モデルに依存するようになっていたユーザーが、後継モデルは共感力がはるかに低いと感じたのだ。
アルトマン氏によれば、この反発は「過去のどの事例とも異なる、強い」ユーザーの愛着レベルを浮き彫りにした。旧モデルは、多くのユーザーが自身を肯定してくれていると感じさせる特性を備えていたため、その消滅は深刻な個人的喪失感につながった・・・

新型コロナが生んだ不信

8月20日の朝日新聞「変容と回帰 コロナ禍と文化 5」「互いに、政治に、社会に「不信」」から。

・・・国内で市中感染が広がりはじめた2020年3月。新型コロナウイルス対策の特別措置法が成立し、緊急事態宣言の可能性が高まっていた。
個人の自由を尊重する民主主義のもとで、移動や集会の制限はどこまで許されるのか。当時、政治社会学者の堀内進之介さん(現・立教大特任准教授)に聞いた。「緊急時には人権を総体として擁護するために、一部の私権を制限する必要がある」。そんな見解の一方で、堀内さんは古代の共和政ローマの例を挙げながら、つけ加えた。「あいまいな理由で緊急時の権力を振るっていいわけではない」

あれから5年。コロナ下の状況について、再び聞いた。
「政治の責任をうやむやにしてはならないという懸念が現実になった。よくも悪くもロックダウン(都市封鎖)などの強い権力を行使せず、『自粛』という形で実質的な強制力が働きました」
法的強制力のかわりに、同調圧力にものを言わせた「自粛警察」が人々を追いこんだ。「『空気』による強制は、市民社会への『丸投げ』でした。極限状態に置かれた医療従事者も、営業自粛を余儀なくされた飲食店の関係者も、互いの善意に期待するしかなかった」・・・

・・・加えて、コロナ禍からの回復期には「V字回復」ではなく「K字回復」、二極化が起こったという。
「医療や介護など対面で働くエッセンシャルワーカー。地方から上京したばかりの学生。不自由の直撃を受けた人も、受けなかった人もいた。大きな不均衡が生じました」
自分の意見や行動が政治や政策に少しでも影響を与えていると感じる「政治的有効性感覚」が下がり、既存の政党への期待度も下がった。
「政治だけでなく専門家への不信が高まり、科学技術やメディアを含めた既存のシステム全体に不信が及ぶ『三重の不信』が生じました」・・・

人生100年時代構想会議

日経新聞夕刊連載、エッセイスト・酒井順子さんの「老い本の戦後史」は、時代時代に売れた「老いの本」を取り上げ、その変化を分析するものです。
「孤独に死ぬのが怖い。老いて子に迷惑をかけるのが恐ろしい。そんな老いの不安と向き合うエッセイやハウツー本が書店で売れている。戦後のベストセラーを時代ごとに読み解いていくと、高齢者と家族が抱える悩みの移ろいが見て取れる。エッセイストの酒井順子さんが解説する」
時代の変化や国民の意識の変化が、よくわかります。

8月20日は、2000年代のベストセラーで「「何がめでたい」 老後の生活不安が生んだ」でした。
そこに、2017年に、安倍晋三首相が「人生100年時代構想会議」を発足させたことが指摘され、内閣府に「人生100年時代構想推進室」の看板を掛ける写真が載っています。
そういえば、そのような政策取組もありましたね。皆さんは覚えていますか。そしてどのような具体政策が実行され、どのような成果があったかを。
ウィキペディア

歩きスマホに見る日本

鉄道各社が「やめましょう、歩きスマホ。」キャンペーンを実施しています。共通ポスターは、わかりやすいです。みんなが、スマホをのぞき込みながら歩いています。私は、この光景が今の日本を象徴しているように見えます。そして未来をも。

1「いま、ここ、わたしだけ」
スマホを見るのはとがめませんが、歩きスマホはやめて欲しいです。危ないです。
他人のことを気にかけず、自分の興味を優先する。それは、歩きスマホだけでなく、電車の中でもです。足の不自由な人や高齢者が乗ってきても、気づかず、知らんふりをして、画面に夢中になっています。困ったことです。

2 姿勢の退化
人類の進化を示す図があります。猿が、手を握って地面につけて歩きます(ナックルウオーク)。類人猿しだいに立ち上がり、猫背で歩きます。そして人類が直立歩行をします。その姿を、側面から図示したものです。
ところが、歩きスマホは猫背になって、人類が退化しているように見えます。超長期には、このようになるのでしょうか。

3 思考の変化
スマホ画面に夢中になるのは、人間の興味を引きつけるような内容だからです。刺激の連続です。そこには、ゆっくりと考えることがありません。また何かに悩んだときに、考える前にスマホで検索します。一定の答えが出ます。それは、まちがいかもしれません。しかしそれで満足して、それ以上の考えには進みません。
若者が新聞や本を読めなくなったとも言われます。スマホに依存することで、「待つ」ことができない人間も増えるでしょう。
川北英隆先生「スマホ見歩きのマイナス効果

電車の定時運行が社会を変える

日経新聞夕刊1面コラム「あすへの話題」、8月18日は市川晃・住友林業会長の「ジャカルタ都市高速鉄道」でした。そこに、次のようなことが書かれています。

ジャカルタは世界最大の渋滞都市ともいわれるように、市内の移動はまったく時間が読めず、スケジュールの変更も日常的です。なので時間に寛容な社会ですが、この地下鉄は定時運行をしています。住民は、時間通りに次々と電車が来ることに驚いたそうです。

さらに、、時間通りに電車が来るので、人が整列して乗車を待つようになったそうです。市川さんは次のように、書いておられます。
「定刻に列車を発車させるには整列乗車は有用であり、時間を守るということが人の生活習慣や価値観に大きな影響を与えている。地下鉄という新たなインフラがこれからのジャカルタ社会にどのような変化をもたらすのだろうか」

実は日本も同じ経験をしました。明治初年に鉄道を敷設した際、工事の監督に当たった外国人は、日本人が時間を守らないことに驚いています。そもそも、庶民の暮らしには、時計がなかったのですが。お寺の鐘も、2時間に1度鳴っていました。それも不定時法でです。午の刻は、昼の11時から13時でした。