カテゴリーアーカイブ:社会の見方

京都市の外国人観光客数、50万人から800万人へ

2024年3月25日   岡本全勝

3月18日の朝日新聞夕刊「現場へ!世界遺産の人々1」「京都登録30年、静かな節目」から。

「古都京都の文化財」が世界遺産に登録されて、今年で30周年を迎えます。その課題を追った記事ですが、ここでは、急速な外国からの観光客を取り上げます。
記事によると「統計方法の変更で単純比較はできないが、登録時に年間50万人ほどだった京都市の外国人観光客数は、今や800万人」とのこと。

外国人観光客が増えたなあと感じていましたが、こんなに増えていたとは。京都市民は140万人余り。路線バスはいつも混雑し、迷惑に感じている人も多いようです。
詳しくは記事をお読みください。
世界的観光地になったことはうれしいことですが、住民との共存を考えないといけませんね。

気象神社

2024年3月23日   岡本全勝

3月17日の日経新聞日曜版に、天気予報が特集されていました。記事に、気象神社が出てきます。
次のようなことが、書かれています。
「現代では祈る内容も多種多様だ。結婚式当日の好天を祈るカップルが多いが、エアコン会社は猛暑を、タイヤメーカーやスキー場の運営会社は降雪を、使い捨てカイロの製造会社は厳冬を祈る」

稲作時代はみんなで、田植えの時期に雨を、それ以外は晴れと適度な雨を祈ったのでしょうが。これだけ多様な、かつ相反するお願いをされると、神様も大変でしょうね。

気象神社は高円寺駅前、氷川神社の境内にあります。氷川神社が我が家の氏神になるので、初詣などに行きます。説明によると、「気象神社は、1944年(昭和19年)4月、大日本帝国陸軍の陸軍気象部(杉並区馬橋地区)の構内に造営されました。軍にとって気象条件は戦略、作戦を講じるのに大事な要素であったため、科学的根拠に基づいた予報がされていましたが、予報的中を祈願するなど、気象観測員の心のよりどころとされていたそうです。
その後、戦後の神道指令で撤去されるはずの気象神社でしたが、調査漏れにより残存。先々代宮司の山本実が受入を決断して、高円寺氷川神社に遷座されることになりました」とのこと。

陸軍気象部は戦後、気象研究所となり、それが筑波に移転した跡地が馬橋公園になっています。孫と遊びに行く場所です。

「憧れの東京」に異変?

2024年3月23日   岡本全勝

3月12日の読売新聞解説欄に「「憧れの東京」に異変?」が載っていました

・・・そろそろ桜の便りが届く季節だ。新生活を始める若者の中には進学のため期待と不安を胸に上京する人もいるだろう。かつては地方から東京に行き、立身出世や自己実現を図るというのがロールモデルの一つとなっていたが、近年は首都圏の大学に通う地方出身者の割合が減っている。上京への憧れは薄れつつあるのか・・・

夏目漱石の「三四郎」は、約百年前に九州から東京帝国大学へ、小生は約50年前に奈良の明日香村から東大へ。東京に向かいました。50年前は現在と比べ、奈良から東京は遠く、また大学も「遠いところ」にありました。百年前は、なおさらです。

記事では、文部科学省の統計で、首都圏(東京、埼玉、千葉、神奈川の1都3県)にある大学の新入生のうち、首都圏以外の高校出身者は1973年度に50.3%を占めたが、2023年度は32.6%まで減ったとのことです。
生活費が高額になったことを、理由の一つに挙げています。

そのほかに、地方にも大学がたくさんできたこと、かつては大学進学は一部の人に限られていたこと、そして日本の人口の東京集中もあるでしょう。人口の3割が東京圏ですから、地方出身者が減ります。

百人一首、編纂者は定家ではない

2024年3月21日   岡本全勝

田渕句美子著『百人一首─編纂がひらく小宇宙』 (2024年、岩波新書)を読みました。
「小倉百人一首」として知られていて、カルタ取りでもおなじみです。皆さんも、いくつかは覚えておられるでしょう。全部言えるという人もおられるでしょうね。ところが、「百人一首」は定家の作ではない。小倉山荘のふすまに貼ったのは嘘。最近の研究では、そうなっているとのことでした。

「百人秀歌」という、百人一首に似た歌集があり、それが定家の作ったものだそうです。定家の日記「明月記」の記述も符合します。百人秀歌は1951年に発見されました。101歌、百人一首と97歌が共通です。
小倉山荘で作ったということも日記からは否定され、ふすまに百首の色紙を貼ったというのも、間違いのようです。当時そのような風習がなかったようです。百枚も色紙を貼ろうとすると、かなりの面積のふすまが必要ですよね。
百人一首が広まったのは、はるか後世の室町時代以降だそうです。和歌の模範となり、定家が神格化されます。百首という簡便な形が、広く広がった理由の一つでしょう。余り多くて専門的な難しい歌集だと、覚えられませんから。

定家が日記を残したこと、それが現在まで伝わったことが、このような考証を成り立たせています。藤原道長の日記「御堂関白記」といい、よくまあ千年や八百年前の和紙に毛筆で書かれた直筆が残っているものです。
詳しい謎解きは、本を読んでください。一種の推理小説です。

春すぎて夏来にけらし白たへのころもほすてふあまの香具山 持統天皇
田子の浦にうちいでて見れば白たへの富士の高嶺に雪は降りつつ 山部赤人
あまの原ふりさけ見ればかすがなる三笠の山にいでし月かも 安倍仲麻呂
花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに 小野小町
ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ 紀友則
あひ見ての後の心にくらぶれば昔はものを思はざりけり 中納言敦忠

人的投資抑制がデフレを助長

2024年3月20日   岡本全勝

2月29日の日経新聞「物価を考える、好循環の胎動」は、柳良平・元エーザイCFO「人的投資抑制、デフレを助長」でした。

――日本企業は人件費をどう捉えてきたか。
「これまで企業価値の物差しは有形資産で、道具として財務会計を使ってきた。人件費は費用で利益にマイナスに働くものという考え方が当たり前だった」
「かつて企業価値の大半を占めていた有形資産なら財務会計で説明できたが、近年は人材価値や知的財産など無形資産が過半以上を占めるようになった。従来の方法では企業価値の半分も測定できなくなった」

――人的資本の効果を測る「柳モデル」を作った。
「製薬会社エーザイの最高財務責任者(CFO)時代に『人件費を使いすぎ』と投資家から批判があった。人件費は企業の将来価値を高めるものだと、証明したかった。人件費を投資した5年後に企業価値を計る指標のPBR(株価純資産倍率)が約13%増える正の相関があった」
「人件費は費用ではなく将来の企業価値を生む投資であると、ESG(環境・社会・企業統治)を重視する長期投資家を中心に考え方が変わってきた」

――人的投資の認識の高まりはどう影響するか。
「企業はバブル崩壊後に賃金を費用とみて抑制することでしのいできた。その結果として、デフレや企業価値の長期低迷につながった。企業経営者は今後は確信をもって人材投資を積極的にできるようになる」

――今後の課題は何か。
「人的資本の開示が前期の有価証券報告書から義務付けられた。他社と同じ『横並び主義』、当局の要求に最低限応える『形式主義』に陥るリスクはある。なぜ企業価値に資するのか、説明責任が今まで以上に問われていく」