カテゴリー別アーカイブ: 歴史

中国、文化大革命

8月24日の朝日新聞オピニオン欄は、歴史学者・米シカゴ大学講師である王友琴さん、文化大革命についての「絡み合う、被害と加害」でした。
・・・中国社会を大混乱に陥れた文化大革命の終結から43年。中国の人々はいまだにその傷痕を癒やすことができていない。1千万人にも上るとされる、その犠牲者一人ひとりの記録を独自に調査している米国在住の中国人学者がいる。見えてくるのは絡み合う「被害」と「加害」。私たちは歴史の記憶にどう向き合うべきなのか・・・

・・・文革が終わって大学入試が再開され、北京大学の中国文学部に合格します。そして徐々に文革でいったい何が起きたのかを調べ始めました。なぜですか。
「私の調べた北京の学校10校で1966年8月だけで校長3人と教師3人が迫害によって亡くなりました。しかし、校史には何の記載もありません。政府の発表にも被害者の細かな史実はありません。でも、そんなのはおかしい。死者には一人ひとり、名前がある。当時、必ず誰かが見聞きしていたはずです。単なる数字ではなく、すべての死者が尊重されるべきではないでしょうか。そのためにはまず、すべての死が記録されなければならない。そう思いました」・・・

・・・「南京大虐殺を調べる学者は支持され、募金の呼びかけもあるのに、文革を調べる学者は調査をやめろと言われる。同じように中国人の死について調べているのにですよ。ダブルスタンダードと言われても仕方ないですよね。すべての歴史に対し、事実は事実として認めるべきだと思います」・・・

・・・2013年ごろ、中国で当時の紅衛兵が自らの行為を謝罪する動きが出ました。これまでになかった文革での「加害」への自意識です。どう受け止めましたか。
「外相などを歴任した陳毅の息子の謝罪のことですね。彼は紅衛兵として文革時に自分が教師を批判したことを謝罪した。それ自体はいいことですが、詳細については語っていません」
「きちんと事実に向き合わない人も多い。例えば、私の学校の紅衛兵の『親玉』として有名だった女性は『副校長を守れなかった』ことにおわびをしました。でも、それは違う。直接に手を下したかどうかは別として、そうした状態をつくるのに彼女たちは関与したのではなかったのか」・・・

文化大革命は1966年から1976年です。私でも小学生~大学生の時代ですから、いまの若い人は分からないでしょうね。
当初は実態が分からず、その名前通りに受け取った人が多かったようです。実態は、毛沢東とその取り巻きによる権力奪還闘争、それも国民を大々的に巻き込んでの闘争だったようです。まずは、名称を変えないと、誤解は一人歩きします。

中国と中国共産党が、詳しい検証を公表していない、させないので、国民にとってもよく分からないままでしょう。
国家が歴史の解釈を独占することの怖さが、わかります。研究や報道を規制するということは、それだけ権力にとって「都合が悪いこと」なのでしょう。また、それだけ権力は「弱い」のでしょう(強くて心配ないことなら、規制はしないでしょう)。逆に、自由主義、民主主義の「強さ」が分かります。

歴史を動かす要素

ウィル・デュラント、アリエル・デュラント著『歴史の大局を見渡す』 (2017年、パンローリング)を本屋で見つけて、読みました。

アメリカの歴史家による、エッセイだそうです。歴史を大局的に見渡します。
そこには、歴史が何によって形作られるかの思索が綴られています。
人の性質、モラル、宗教、経済学、社会主義、政治、戦争といった要素と、発展と衰退、進歩といった見方が述べられています。

著者は、「哲学について全体像の感知、すなわち物事を「sub specie totius」(全的相の下に)見るものと考えた」(ウィキペディア)とのことです。
なるほど。
学問の世界は、社会科学も自然科学も、細かく分けて分析する流れにあるようです。しかし、それらを全体に見る見方、あるいは横串にした見方も欲しいです。

ただし、残念ながら、エッセイに終わっているようです。私なら、どのような要素を取り上げ、どのように記述するかなどを少し考えながら、読みました。
学問的に、このような大局観で歴史を分析したものはないですかね。それとも、歴史とは、簡単なものではなく、そのような大局的分析にはなじまないのでしょうか。

ところで、翻訳には、原著の出版年や解説がついていません。この本が、どのような位置づけにあるのかわかりません。少々不親切ですね。

人類進化の理由

人類が、どのようにサルから分かれて進化したか。興味がありますよね。さらには、生物の進化、日本人がどこから来たかも。私も、これまで何冊かの本を読みました。
8月10日の日経新聞夕刊、親子スクール「人類はいつ生まれたの」に、近年の研究成果を踏まえて、簡単に整理されていました。

一番のなぞは、二本足歩行、脳の発達、言語の習得でしょう。一番と言いながら、三つもありますが。
かつては、私たちのご先祖様は、他のサルとの争いに負けて森から追い出され、草原で生きていくようになった。その際、立っていると遠くが見えたとか、逃げるのに速かったから二本足になったと言われました。
その説もそれなりに納得したのですが、二本足で逃げるのと四本足で逃げるのには、そんな差がありませんよね。どちらにしても、すぐに疲れるし。直立したから、脳が大きくなったのではないでしょう。

最近有力な説は、オスがメスにあげる食料を、手に持って運んだからだそうです。チンパンジーは、メスをめぐってオス同士が争います。人類は、オスとメスが一組のペアになりました。そこで、オス同士の争いより、メスの気を引く方が重要になったのだそうです。
取っ組み合いより、貢ぎ物と挨拶です。気に入られるために、知恵も必要になります。

草原が人類を生んだという環境原因説より、オスがメスの気を引くためという社会原因説の方が、面白いですよね。
おかげで、700万年後の子孫である私たちオスも、メスのためにせっせと働いて、気に入られようとしています。男女は同権だと主張しても、生物的社会的に、オスは弱いものですわ。続く。

歴史の見方、思想が動かすか情念が動かすか

歴史の見方、指導者の歴史と民衆の歴史」の続きです。
もう一つの区分に、歴史は理念で動くとみるのか、情念が動かすとみるのか、があります。
思想の歴史といった書物を読むと、哲学者の思想が並んでいます。確かに、彼らの思想が社会を動かしたこともありますが、大衆はそれを知らなかったことも多いです。
江戸時代の思想とか、昭和時代の思想といった場合、大学で講義されていた思想や書物に表されていた思想は、それぞれの時代の思想の一部でしかありません。というより、大衆からは離れ、ごく一部の人の思想だったでしょう。本屋に並んでいるのは、(ヨーロッパから輸入した)最先端の思想書です。

確かに、ルソーやモンテスキューの思想が、近代市民革命の思想的基盤になったのでしょう。しかし、フランス革命とナポレオンを支えた民衆は、そのような思想ではなく、情念で動いていたと思います。また、フィレンツェで、サボナローラの神権政治を支えた市民も、たぶん情念で動いていたのでしょう。
民衆だけでなく、指導者にあっても、鹿島茂さんが『ナポレオン フーシェ タレーラン 情念戦争1789-1815』で描いたように、情念で動いているようです
情念が時代を動かす

歴史の見方、指導者の歴史と民衆の歴史

歴史を語るときに、エリートや指導者を見るのか、民衆を見るのかの違いがあります。前者は、王様や英雄を語ることで、歴史を書きます。後者は、社会の変化を見ます。
これまでの歴史学は政治史が中心で、前者に偏っていました。年表は支配者の交代で時代が区切られ、記述も戦争や支配形態が主でした。読み物も、英雄の伝記が多かったです。

それはそれで面白いのですが。政治史では、民衆がどのような暮らしをしていたのか、どのような変化があったのかわかりません。
王様が交代しても、民衆はほとんど変わらない生活をしていたのでしょうね。他方で、生産技術の向上、思想や信仰の変化、生活はどのように変わったのか。そのようなことを知りたいです。社会史や文化史の視点が必要です。
この項続く

歴史の見方の変化」「加藤秀俊著『社会学』」「覇権国家イギリスを作った仕組み、10。エリート文化と民衆文化