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BRICS、恨みが共通軸

8月30日の日経新聞に、ジャナン・ガネシュさんの「BRICS、「恨み」が共通軸 権威に憧れや承認欲求も」というファイナンシャルタイムズの記事が転載されていました。

・・・ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ(BRICS)によるサミット(首脳会議)が8月下旬、南アフリカで開催された(編集注、サウジアラビアやイランなど6カ国が新たにBRICSに参加することが決まった)。これらの非西側諸国をまとめている理念、あるいは戦略的な利益はあるのだろうか・・・

・・・BRICS、またはグローバルサウス(南半球を中心とする途上国)はどのような枠組みを標榜しているのだろうか。もし自由貿易に積極的でない場合、世界最大の輸出大国である中国は参加国としてこの問題にどのような立場を取るのか。
いずれの問いも適切な答えは見つからないはずだ。なぜなら、多様なBRICSの国を結びつけている共通点があるとすれば、それは「恨み」だからだ。西側の優位に対する怒り、過去の屈辱に対する鬱憤だ。そして、政治と人生を突き動かす力として、恨みはあまりにも過小評価されている。
膨大なエネルギーを生み出すとされる核融合に取り組んでいる物理学者には失礼かもしれないが、活用可能となった場合に宇宙で最も強力なエネルギー源があるとすれば、それは人間の恨みだと筆者は考える。

哲学者のニーチェは恨み(ルサンチマン)が世界を動かしていると論じた(ニーチェは第1次世界大戦の敗北で募った恨みがナチスドイツの台頭へとつながり、同胞のドイツ人を暴挙に駆り立てたことは見届けられなかった)。
ソ連時代から縮小した帝国となりルサンチマンを抱えていることを知らずして、現代ロシアは理解できない。
地政学から個人へ視点を移すと、恨みはさらに多くのことを引き起こしてきた。例えば、多くのポピュリスト(大衆迎合主義者)の指導者が、相対的にアウトサイダーといえる存在であることに注目すべきだ。
こうした指導者は大抵の基準に照らせば恵まれてきたが、「仲間」だとみられたい層からは疎んじられてきたと感じてきた・・・

・・・恨みは憎しみと同じではない。憎む人は、憎しみの対象と一切関わりを持ちたくない(国際テロ組織アルカイダの西側に対する態度を思い浮かべるといい)。
対照的に、恨む人は恨んでいる対象に半ば興味を持っている。ファラージ氏は明確に、罵詈(ばり)雑言を浴びせるエスタブリッシュメント(支配層)から承認されたいと思っている。
同様に、BRICS諸国のエリート層はロシア人に限らず、英ロンドン、南仏コートダジュールの高級保養地、フランスとイタリアの高級品、米国の大学をよく利用する。
ロシアのウクライナ侵攻に関する世界的な世論調査から判断すると、世界の大部分は西側のことを傲慢で偽善的だと考えている。一方で、西側は世界の大部分の人が移住したいと思っている場所でもある・・・

『ルポ リベラル嫌い』

津阪直樹著『ルポ リベラル嫌い──欧州を席巻する「反リベラリズム」現象と社会の分断』(2023年、亜紀書房)を読みました。勉強になりました。著者は、元朝日新聞ブリュッセル支局長です。駐在時代の取材を元に、書かれています。

日本が憧れ手本にした西欧が、政治、社会、経済で変調を来しています。それを紹介した代表的なものでは、ブレイディみかこ著『ヨーロッパ・コーリング――地べたからのポリティカル・レポート』(2016年、岩波書店)、堤未果著『ルポ 貧困大国アメリカ』 (2008年、岩波新書) などがあります。
原因には、若者の高い失業率、所得格差の拡大があります。さらに本書では、豊かな時代に育った団塊の世代、彼らが進めたリベラルやヨーロッパ統合への反発が指摘されています。そこに、生活文化・伝統文化を異にする大量の移民が流入し、標的になります。

貧しい人や困った人を救ってきた左翼政党が、右翼とともに緊縮財政を進めます。ヨーロッパ連合に加入していること、統一通貨ユーロを使っていることなども、制約になります。ドイツなどは、緊縮財政を要求します。ところがそれに反発し、いくつかの国で、反緊縮財政が国民の支持を受けます。緊縮財政は、失業や格差を悪化させるのですから。新型コロナウイルス感染拡大は、さらにこの問題をこじらせました。経済は停止状態に入るのに、国民の生活を支える対策費は膨大になります。
緊縮財政を一時棚上げせざるを得ません。かといって、野放図な歳出拡大は、永遠には続きません。必要なのは、一時の財政出動と、その財源を将来返す計画でしょう。日本は、ヨーロッパ各国より、後者については無責任な状態になっています。

西欧が世界の「先進国」であり、日本もその後を追いかけている(一部は先んじている)とすると、「今日のヨーロッパ」は「明日の日本」になるのでしょうか。

グローバル化の果て

6月28日の朝日新聞オピニオン欄、牧原出・東大教授の「グローバル化の果て 富の偏在進み固定、徳の失墜と無関心、民主主義が劣化」から。

ベルリンの壁に象徴された東西分断が終わり、グローバリゼーションが世界を席巻し始めてから約30年。世界の経済はつながり豊かになったが、その一方で社会の分断は進み、国際的な対立も激しくなっている。新たな壁が地球を覆うのか。我々は何をなすべきか。国内外の政治や行政を見つめ続けてきた牧原出さんに聞いた。

――グローバリゼーションが生み出した変化とは何でしょうか。
「東西世界を引き裂いていた『壁』が崩壊して冷戦が終わった時、最大の問題は旧ソ連、旧東欧圏の国々をどうやって民主化するか、そして資本主義に取り込むかでした。私が大学の研究員として英国に向かった2000年から数年は、EU(欧州連合)で共通通貨ユーロ導入が本格化した時期です。これら旧社会主義圏の取り込みによるEU拡大を、フランスは官僚制の枠組みで、ドイツは連邦制の手法で、英国は投資先の広がりとして捉えているとまで報じられていました」
「当時、グローバル化には希望がありました。ピュリツァー賞受賞者の米ジャーナリスト、トーマス・フリードマンの著書『フラット化する世界』がこの頃出版されます。そこでは、中国やインドの経済成長をインターネットが促す結果、世界経済は一体化し、どこでも共通の条件で競争できる、という世界が描かれていました」

「しかし、その後の現実は異なりました。中間層が縮小し、現代化に向けた改革も世界標準を喪失し、各国独自の方向を探らざるを得なくなりました。経済成長を前提とする『希望のグローバル化』も、成長エンジンだった中国は鈍化し始め、インドもそれに代わるだけの力が見えません。コロナ禍とウクライナ戦争は、そうしたマイナス面を推し進めました」

――結局、プラス面よりマイナス面が大きかったのでしょうか。
「グローバル化の結果、19年の世界のGDP(国内総生産)総額は85・9兆ドルと、1960年の約60倍にもなりました。一方でG7(主要7カ国)の世界経済でのシェアは、00年の65%から20年には46%と急速に小さくなっています。同じ時期に4%から17%に急拡大した中国と対照的です。世界はそれなりに豊かになり、最貧国も貧しさの度合いは確実に改善した。その半面、『壁』がなくなり、グローバルな規模で移民が拡大して先進国にグローバル水準の貧困が流入し、新たな分断が起きています。貧しかった国でも、富が一部の層に集まり、貧富の分断が起きています」

「問題は、こうした富の偏在が是正されなくなっていることです。欧米や韓国などでは、富を自分の家族の中で蓄積させて、子や孫らを高学歴とするための獲得原資に充てようとする傾向が強まっています。米国では大学の授業料があまりに高額になり、授業料ローンを返済できない学生も現れています。結局返済できるのは高額所得を確実に得られるか、親が富裕層の場合だということになっています。教育による富裕層の固定化と言えるでしょう。そこで何が起きたかというと、『徳』の失墜とも言うべき現象です。高等教育を受けて高度専門職に就くと高額の所得を得ますが、そのために不正が行われたり、貧困層への関心を失ったりする傾向が目立ち始めました。彼らの中には一部の市民をどこかで軽蔑している者もいる、とまで指摘する人もいます」

言語が階級を作るインド

6月21日の日経新聞夕刊「映画でみる 大国インドの素顔(3)」、インド映画研究家・高倉嘉男さんの「お受験熾烈、英語力で決まる人生」から。

・・・2023年に中国を抜いて人口世界一に躍り出たとされるインドは、単に人口が多いだけでなく、若年層が総人口の半分を占める若い国でもあり、受験戦争も熾烈だ。
さらに、インドには言語が教養人と無学者を分断してきた歴史がある。庶民の言語とは異なる高等言語が政治や文学の場で使われ、その言語にアクセスできない者は無学者扱いされた。古代の教養語はサンスクリット語だったが、中世、イスラーム教の浸透に伴ってペルシア語がそれに取って代わり、英国植民地になった後の近現代では英語が教養語に躍り出た。
現在、インド人英語話者の数は総人口の1割ほどとされている。この1割がほぼそのまま上位中産階級から上流階級までの社会的上層を形成し、富と権力を手中に収めている。インドの身分制度というとカースト制度が有名だが、カースト制度以上に古代からインド社会を分断してきたのは言語だ。

近現代の都会を舞台にしたインド映画を観ると、台詞には現地語に加えて英語がかなり使われていることに気付く。単に現地語文の中に英語の単語やフレーズを交ぜるだけでなく、現地語文と英文を往き来しながら会話をする。日本人の耳には奇妙に聞こえるのだが、これが教養あるインド人の一般的な話し方であり、インド映画はかなり写実的にそれを再現している。英語を適宜交ぜながら会話をすることで、彼らは自身の教養を証明し、エリート層としての仲間意識を確認し合うのだ。
それだけではない。多言語国家インドには無数の現地語があるため、英語には共通語の役割もある。IT企業など、高収入が期待される多国籍企業が就職先として人気だが、その絶対条件も英語力だ。つまり、インドにおいて英語ができない人は、教養層から排除され、社会的・経済的な地位の向上も難しく、異なる地域から来た人とのコミュニケーションにも困ることになる・・・