6月21日の日経新聞夕刊「映画でみる 大国インドの素顔(3)」、インド映画研究家・高倉嘉男さんの「お受験熾烈、英語力で決まる人生」から。
・・・2023年に中国を抜いて人口世界一に躍り出たとされるインドは、単に人口が多いだけでなく、若年層が総人口の半分を占める若い国でもあり、受験戦争も熾烈だ。
さらに、インドには言語が教養人と無学者を分断してきた歴史がある。庶民の言語とは異なる高等言語が政治や文学の場で使われ、その言語にアクセスできない者は無学者扱いされた。古代の教養語はサンスクリット語だったが、中世、イスラーム教の浸透に伴ってペルシア語がそれに取って代わり、英国植民地になった後の近現代では英語が教養語に躍り出た。
現在、インド人英語話者の数は総人口の1割ほどとされている。この1割がほぼそのまま上位中産階級から上流階級までの社会的上層を形成し、富と権力を手中に収めている。インドの身分制度というとカースト制度が有名だが、カースト制度以上に古代からインド社会を分断してきたのは言語だ。
近現代の都会を舞台にしたインド映画を観ると、台詞には現地語に加えて英語がかなり使われていることに気付く。単に現地語文の中に英語の単語やフレーズを交ぜるだけでなく、現地語文と英文を往き来しながら会話をする。日本人の耳には奇妙に聞こえるのだが、これが教養あるインド人の一般的な話し方であり、インド映画はかなり写実的にそれを再現している。英語を適宜交ぜながら会話をすることで、彼らは自身の教養を証明し、エリート層としての仲間意識を確認し合うのだ。
それだけではない。多言語国家インドには無数の現地語があるため、英語には共通語の役割もある。IT企業など、高収入が期待される多国籍企業が就職先として人気だが、その絶対条件も英語力だ。つまり、インドにおいて英語ができない人は、教養層から排除され、社会的・経済的な地位の向上も難しく、異なる地域から来た人とのコミュニケーションにも困ることになる・・・