カテゴリーアーカイブ:ものの見方

理想主義と現実主義と現実的理想主義

2019年1月12日   岡本全勝

理想主義は、「こうあるべきだ」という姿を目指します。反対は現実主義です。「世の中こんなものだ」とあまり無理をしません。

ところが、この言葉を使う場面に分けて考えないと、混乱します。
理想主義にも、その理想に至る道筋に、二つのものがあります。道筋を理想的に考える人と、道筋を現実的に考える人です。仮に、前者を「理想的理想主義」と名付け、後者を「現実的理想主義」と命名しましょう。
前者は、目指す理想はよいのですが、そこにたどり着く道筋が現実的でないのです。すると、時に空想主義に陥ります。
目指す理想状態は、簡単には実現しないから「理想」です。実現するためには、困難な過程が待ち受けています。

現実主義者も多くは、現状に甘んじることなく、改善しようと考えています。すると、「現実的理想主義」とは紙一重です。
違いは、現実的理想主義は、理想とする目標を持っていることでしょう。
私たち行政職員は、現実的理想主義がふさわしいと思います。

科学、市場経済、民主主義

2019年1月10日   岡本全勝

ヨーロッパ統合、成功の次に来た危機」の続きです。
近代西欧文明は、自然と社会を人間が制御できると考え、実際にそれを進化させてきました。これは、佐藤俊樹先生の『社会は情報化の夢を見る―“新世紀版”ノイマンの夢・近代の欲望』(2010年、河出文庫)で教わったことです。

近代産業社会は、人間が科学技術の力を借りて、自然を支配できると考えるようになりました(科学革命、自然の論理的認識)。あわせて、社会技術によって社会を制御できると、信じました。そして社会制御に関して、2つの大きな制度を持ちました。産業資本主義という経済制度と、民主主義という政治制度です(p205)。それぞれ、神の思し召しではなく、人間が経済を発展させ、人間が政治を操ります。「人間は、自然と社会を理解でき、制御できる」「人間は、自然と社会を理解でき、制御できる。2

長年、人類にとって大きな敵は、戦争、病気、貧困でした。20世紀後半に、先進諸国では、国際的には平和、国内では治安を達成しました。多くの伝染病にも打ち勝ちました。豊かさを手に入れ、飢餓と貧困からも脱却しました。3つの敵に打ち勝ったのです。これらは、科学技術、自由主義市場経済、民主主義によって、もたらされたものです。

科学技術、自由主義市場経済、民主主義。これら3つの考えの基にあるのは、神様や偶然が自然と社会を支配するのではなく、人間が自然と社会を理解でき、制御できるという思想です。人間主義(ヒューマニズム)が基礎にあります。もう一つ、個人がそれぞれ自由に考え行動してよいという自由主義が基礎にあります。

そして、この3つはものの見方であるとともに、自動的に発展を続ける仕組みを内在しています。参加者の行動が、それらの発展をもたらす仕組みになっているのです。
科学者は、自然のあらゆる現象を説明しようと、研究と重ねます。市場経済は、個人がより豊かになろうと、新たな富を生みだします。民主主義は、政治家と有権者が社会をよくしよう、特に自由と平等を達成しようと、法律や予算をつくります。
それぞれ、個人が努力することが、社会全体の発展につながります。個人を駆り立てるのは、名誉、金銭や権力への欲求です。
これまでは、この仕組みがうまく働き、豊かで、安心で、自由平等の社会を作り上げました。ところが、ここに来て、この仕組みの問題点が明らかになってきました。
この項続く

内包と外延、ものの分析、2

2019年1月8日   岡本全勝

内包と外延、ものの分析」の続きです。肝冷斎が、内包を研究することと外延を研究することの違いを、「深掘り」と「周囲確認」の違いとして絵に描いてくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

平原にある砦のようです、モグラ君は、敷地の中を深く掘り下げています。ニワトリ君は、物見櫓から周囲を見渡しています。どうやら、ライオンが岩陰から狙っているようです。内包と外延の違いが、よくわかります。ありがとうございます。

内包と外延、ものの分析

2019年1月3日   岡本全勝

少々わかりにくい表題です。
あるものごとを解説したり分析する際に、そのものごとの内部を深く分析します。これを内包的分析と呼びましょう。もう一つは、そのものごとが社会でどのような位置を占め、どのような影響を与えたかを分析します。これを外延的分析と呼びましょう。
この2つの区分には、もっと専門的な用語があるのかもしれません。ひとまずここでは、内包と外延という対語を使っておきます。

例えば、キリスト教を学ぶ際に、聖書を読むことは内包的分析です。それに対して、キリスト教が古代ローマ、中世ヨーロッパ、新世界、そして現在社会にどのような影響を与えたかを分析するのが、外延的分析です。
交付税制度を解説する際にも、その算式を説明するのは内包的分析です。交付税制度がなぜ必要なのか、どのような成果を上げているかを説明するのが、外延的分析です。

四角な座敷を丸く掃く」で、四角の仕事を深掘りするか、その周囲を広げて考えるかを書きました。今日の話は、この話にも通じます。

ところで、古典と言われる自然科学や社会科学の著作も、それだけを読んでいても、その著作がなぜ古典と言われるかは分かりません。後世に意味をもつ古典は、それまでにないことを書いた、あるいはそれまでの常識を打ち破り、社会を変えたのです。後世の者にとっては、その解説が必要です。
良い解説書は、対象とする物事が、どのような社会状況にあって、どのような影響を与えているかを教えてくれるものです。この項続く

汽車と新幹線、漱石と鄧小平

2018年12月26日   岡本全勝

中国 改革開放政策40年」の続きです。
10月23日の朝日新聞「鄧小平氏40年前にみた日本経済」に、次のような記述も載っています。
・・・東京から京都まで新幹線に乗車した際は「まるで首の後ろから金づちで打たれているようなすごいスピードを感じる」と感嘆。後に田島さん(当時の外務省中国課長)が中国側同行者から聞いたところでは、鄧氏はここでも「これは現在我々に求められているスピードだ。近代化が何であるかわかった」と述べた・・・

この話から、夏目漱石と比べました。
・・・汽車程二十世紀の文明を代表するものはあるまい。何百と云ふ人間を同じ箱へ詰めて轟と通る。情け容赦はない。詰め込まれた人間は皆同程度の速力で、同一の停車場へとまつてさうして、同様に蒸気の恩沢に浴さねばならぬ。人は汽車へ乗ると云ふ。余は積み込まれると云ふ。人は汽車で行くと云ふ。余は運搬されると云ふ。汽車程個性を軽蔑したものはない。文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によつて此個性を踏み付け様とする・・・(夏目漱石『草枕』1906年)

19世紀半ばに開国し、近代国家への脱皮を急いだ明治日本。漱石の記述は、それから半世紀が経ち、日露戦争に勝利した時期です。近代文明の本質を喝破しています。
さらにそれから70年、近代国家への発展に遅れた中国指導者が、日本を見て、「30年遅れた」と発言します。その際に、新幹線が象徴になっています。漱石とは違い「まるで首の後ろから金づちで打たれているようなすごいスピードを感じる」と思い、「スピード」を取り上げます。
鄧小平は若き日にフランスに留学していますから、西欧文明、汽車は十分に知っています。
漱石の近代文明は、人の個性を抑え、みんなを一緒に運んでいきます。鄧小平の現代文明は、みんなを後ろから金づちで打って、急がせます。

漱石の記述は、どこに書いてあったか思い出せず。『私の個人主義』かと思ってページを繰りましたが、見つからず。インターネットで検索したら、すぐにでてきました。便利なものです。「百年で読み直す漱石の文明批評
「中国改革開放の40年」はさらに次へ