玄関の椿に、チャドクガの毛虫が、なんと3か所にも発生。先日発生したので、剪定をして風通しを良くしたのですが(7月3日)、またまた発生。お向かいのお師匠さんのおられないときに、自己流で剪定しました。お師匠さんの評価では、「切りすぎ」とのこと。難しいものです。
今日、キョーコさんが、虫に食われている葉を発見。チャドクガの毛虫集団がうごめいていました。よく見ると、他にも2枚の葉に、それよりはるかに生育した毛虫軍団が育っていました。早速処分。
ところで、玄関の反対側に植えてある夏椿。大きなのと小さいのと2本が植わっているのですが。小さい方は、原因不明で葉が枯れました。大きい方も、まだらに葉が枯れています。お師匠さんによると、今回は水やりを怠ったのではない、土と場所に問題があるのではないかとの見立てです。少々無理な場所に植えてあるのです。このまま枯れると、かわいそうなことをしました。
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小説は読まない。たまった本の処理
小説は、めったに読みません。というより、そんな時間がないのです。時間があれば、ほかのことに使いたい。それに、小説より現実の方がもっと複雑で、奇々怪々で、奥深いのです。小説のように、単純明快には行かないのです。登場人物も、もっと多いです。困ったことも多いです。
といいつつ、エリス・ピーターズの推理小説「修道士カドフェル」シリーズを、4冊ほど読みました。あるところで紹介されていたのと、中世イングランドが舞台なので、興味を持ちました。読み始めると、結構引き込まれますね。推理小説なので筋書きが重要ですが、修道院の情景や夕方の空の描写、若い二人の心の表現など、著者の繊細さも魅力です。もっとも、私はそのようなところはほとんど読み飛ばして、先を追ってしまいます。まだまだ続編を読みたいのですが、ほかの本を読めないので、ひとまず中断します。
1冊目は買ったのですが、2冊目からは図書館で借りました。文庫本なので安いのですが、書斎の本をこれ以上増やしたくないので。「本は図書館で借りて読む」という友人が何人かいます。それぞれけっこうな読書家なのですが、置く場所がないというのが理由です。
別の友人は、退職を機に、本と資料を職場から引き取るため、家の近くにアパートを借りたそうです。うらやましいと思いつつ、我が身を振り返ると、「たぶんその本と資料は、2度と目を通さないだろうなあ」と冷静に想像しました(失礼)。それら資料を基に原稿を書くなら、使うのでしょうが。お互い本好き、捨てられない性分の短所です。
新居10年
家を建ててから、10年になりました。早いものですね。どこにも不具合が起きず、快適に暮らしています。太平建設さんのおかげです。ありがとうございます。もう少し広かったらとか、欲を言えばきりがありません。東京で戸建てですから。
10年暮らすと、体や暮らしになじんできました。洗面所にしろお風呂にしろ、いつも使う物がいつもの場所にある。落ち着きます。よって、私はどんな良い旅館やホテルより、自宅が好きなのですが。キョーコさんは、旅行が好きです。
一番の変化は、書斎が本の置き場と化したことです。若いときに読んだ本、たぶんこれから読みもしない本を捨てることができず。他方で、毎週末に紀伊國屋に行って、気になる本を買ってしまい・・。本棚はとっくにあふれて、机の上と床に、山積みになっています。いずれ、きっしょをつけて、処分しなければなりませんが。
50歳の11月に完成したので、ちょうど私の50代と重なります。この10年間に、さまざまなしかも責任ある仕事をさせてもらいました。振り返るとそれぞれに思いはあるのですが、というかありすぎて、考えがまとまりません。
わが家の椿開花
東京も寒くなりました。わが家の椿が、早くも1輪花を咲かせました。膨らんで赤く色づいたつぼみもあり、次々と咲きそうです。例年より早いです。11月というか、年内に咲いたのは、初めてではないかな。
この椿は、毎年たくさんの花をつけて楽しませてくれたのですが、昨年夏に私が枝を刈り込みすぎ、昨冬(今年の春)は花を咲かせなかったのです(2015年3月17日の記事)。そこで、お向かいのお師匠さんに助けてもらいました(5月23日の記事)。その甲斐あって、今年はたくさんのつぼみを付けています。もっとも、なぜか下半分の枝だけです。
玄関に対にして植えてある夏椿(これも初代を枯らしてしまい、現在のは2代目です)は、きれいに紅葉しています。
蔵書の苦しみ
今日午後に、ある省の幹部に伝えたいことがあって、携帯メールしました。用件の後に、「三会堂ビルは、静かで涼しいよ~」と書いたら、彼から「こっちは、蒸し風呂状態です」と返ってきました。私の民間ビルは休日でも冷房が入っていて、彼の役所のビルはもちろん入っていないのです。申し訳ない。と書きつつ、今日伝えたいネタは、これではありません。
「もう、本屋には寄らないぞ。寄ると買うから」と固い決意でいたのですが、日曜の各紙に載る読書欄を見て、やはり帰り道に、紀伊國屋に寄ってしまいました。で、また数冊を買い込んで・・。
岡崎武志著『蔵書の苦しみ』(2013年、光文社新書)は、おもしろいです。2万冊を超える蔵書家だそうですが。文章の一つひとつに、うなづきます。あとがきに、次のようなくだりがあります。
・・いちばん問題なのは、当の私が、蔵書を減らしてすっきりしたいと想っているかどうか、本当のところは、よくわからないということだ
・・わかったことは、「本が増えすぎて困る」というぼやきは、しょせん色事における「のろけ」のようなもの、ということだ。「悪いオンナに引っかかっちゃってねえ」「いやあ、ぜいたくなオンナで金がかかって困るのよ」、あるいは「つまらないオトコでさ、早く別れたいの。どう思う?」など、これらを本気の悩みとして聞く者はいない。そして「苦しみ」は多分に滑稽でもある・・
私は色事は縁がありませんが、なるほどと納得。著者に同情しつつ、我が身を振り返って、涙を流して笑えます。
ただし、私は蔵書家ではなく、ただ本を捨てることができないだけです。世の中の同病の方に、お勧めします。肝冷斎も、ぜひ読むように(私が読み終えたら、貸してあげるわ。あんたの部屋も、蔵書で底が抜けそうだから)。
このテーマは、しばらく不定期連載します。