今日は放課後、24年続いている懇談会に行ってきました。宮沢内閣時代、私が自治大臣秘書官の頃から続いています。私が大臣秘書官になったのは、平成4年12月、37歳でした。良く続いているものです。私が最年少で、これは24年間変わりません(当然ですね。苦笑)。
年に2回、ほぼ日を決めて、場所を決めてあります。それぞれが様々な分野で活躍しておられ、私の知らない話を教えてくださいます。これが、長続きの秘訣かもしれません。昔話をしているだけでは、面白くないですね。
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生き様-生き方
司馬遼太郎さんのサラリーマン向け人生講話
司馬遼太郎著『ビジネスエリートの新論語』(2016年、文春文庫)が、書評などで取り上げられています。司馬さんの本、サラリーマン向けの人生講話となると、読まないわけにはいきません。
各項目に古今の名言が掲げられ、それをテーマに、いつものと言うか、いつもの司馬遼太郎節よりさらに軽妙な文章が綴られています。例えば、「サラリーマンの元祖」は、鎌倉幕府の初期を支えた文官、大江広元の生き様を描き、サラリーマンの元祖として紹介しています。これなどは、さすがと思わせます。随所に、なるほどと思う記述があります。
もっとも、書かれたのは昭和30年、私の生まれた年です。司馬さんもまだ32歳、小説家としてデビューする前、新聞記者の福田定一として出版しています。
サラリーマンの一種を38年間続けた私としては、司馬さんは若くしてよくこれだけ見抜いているなあと思うとともに、まだまだ若いなあとも思います。大先輩に向かって失礼ですが。
また、戦後すぐの昭和30年と平成28年との、60年の社会の変化も感じられます。たぶん司馬さんも生きておられたら、原文のままの形での再刊は、同意されなかったでしょう。
アメリカの古書店
先日本屋を覗いたとき、何かのテーマ展示で見つけ、気になったので、買いました。「まあ、読まないだろうけどなあ」と思いつつ。寝床と新幹線で、一気に読みました。面白いです。お勧めです
ローレンス&ナンシー・ゴールドストーン著「古書店巡りは夫婦で」(邦訳1999年、早川ノンフィクション文庫)です。
夫婦の作家が、古書集めに引き込まれるお話しです。初版本を中心に、ただし高価なものは選ばない。そのあたりが、私たちも「ついて」行けます。ピーター・メイルの「南仏プロバンスもの」の路線と言ってよいでしょうか。表紙も、それに近いです。
古書を知ろうとしたら、古書店事情とか古書の手引きなどの概説書やハウツー本の方が手っ取り早く、全体を知ることができるのでしょう。しかし、門外漢にとっては、生身の人間それも素人が苦労しながらその世界に入っていく小説(ノンフィクション)がわかりやすいですね。ノーベル賞級の研究の概説書より、その先生の回想録の方が取っつきやすく、わかりやすいのと同じでしょう。
もっとも、出てくる古書のいくつかは、ディケンズ、マークトウェインなど私にもわかるのですが、知らない作家が多く、またアメリカの古書店はちんぷんかんぷんです。アメリカの古書業界の事情がよくわかります。結構面白いですよ。インターネットが発達した現在は、少し変わっているかもしれません。
さて、そこは本を読んでいただくとして。本筋とは異なり、気になったか所を、備忘録として書いておきます。
・・・(古書店の)キャビネットの側面は鉛筆のようなかたちをしていた。二本の鉛筆には、それぞれ2B or Not 2Bと彫ってあった・・・p272
もちろん、シェイクスピアのハムレットの名文句、To be or not to be のもじりです。
離れて住む93歳の父親(?)と電話での会話から。
・・・わたしにとって最高のたのしみは、毎朝、仕立てのいいスーツに着替えることだな。サミュエル・ジョンソン博士いわく、衣服は人を作る。その言葉はたぶん正しいと思うよ、うん。だから、わたしは毎朝スーツに着替える。もう耳にたこができているかもしれないが、世の中には朝食の席に半ズボンで出てきたり、シャワーも浴びずに出てきても平気な人間がいる。それがまちがいというつもりはないが、ナンシー、きみならわかってくれるだろう。なによりも最高なのは、早起きをして、さっぱりした体になり、ドレスシャツとシルクのタイと仕立てのいいスーツに着替え、すてきな朝食をとること。量はさほど多くなく、コーヒーとオレンジ・ジュースとバターを塗ったトースト、それに卵をひとつ。食事のあと、ゆっくりと腰をおちつけて、ウィンストン・チャーチルの本を読む・・・p15
NPOで働く
自らコントロールできることに集中する
朝日新聞8月7日、望月秀記・元日本水連広報委員の「メダル目標 公表しない米国競泳」から。アメリカ競泳チームは、メダルの獲得目標を公表しないのだそうです。
・・・米専門誌スイミングワールドのブレント・ルートミュラー編集長は「ここ一番で最高のパフォーマンスを発揮する考え方を、ジュニア時代から教え込まれているからだろう」と見る。
その考え方とは、いたってシンプル。自らコントロールできることに意識を集中する、というものだ。相手によって結果が変わり、自分でコントロールできないメダルの数や色が個人の目標の1番目に意識された時、「競技力が落ちる可能性がある」とも話す。
ロンドン五輪。米国選手は出場種目の約6割で、1カ月前の国内選考会のタイムを上回った。11個のメダルを獲得した日本が選考会の記録を上回った種目は、3割に届かなかった・・・
オリンピックなど競技を、国威発揚や周囲の期待から見るか、ベストを尽くすといった本人の視点から見るかの違いです。テレビの前の応援団は、お気楽に好きなことを言いますからねえ。マスコミも、周囲の人の代表です。もっとも、オリンピックは「記録会」ではなく、勝負の場ですが。