座談会の続きです。
新井総監:福島第一原発における活動において、大きな反省点は、第一陣が福島第一原発に入ったときに、最高責任者がやや不明になっていたことです。ハイパーレスキュー隊中心に入ってもらったのですが、おおぜい隊長がいて、全体を誰が仕切るのかが不明だった。
また、福島原発内の舞台とJビレッジの後方部隊との連絡が取れなくなりました、これが誤算でした。本庁とJビレッジとも連絡が困難な状況でした。連絡さえ取れれば、Jビレッジで仕切れたのです。連絡手段の確保の大事さを痛感しました。
東京電力との情報交換がうまく行かなかったことがありました。お互いが知っているものだと思い込んでいたために、情報が伝わらなかったようなのです。国も東京電力も、東京消防庁は免震重要棟の存在を知っているものと思い込んでいて、説明がなかった。我々は、知らないから聞けなかったということだったのです。現場の状況は行ってみて初めて知らされたことも多く、安全面、活動面において、大きな支障となりました。特に、免震重要棟の存在は当初全く知らされずにいたので、作戦の樹立自体に大きな影響を与えました。
五十嵐副参事:当初我々は、現地に行って水を出してくれさえすればいいと言われているものと思っていました。免震重要棟の存在を知らなかったし、東京電力からも説明はなく、とにかく水を出してくださいとのことでした。道はどうなっているのか聞いても、よくわからない・・
松井救助課長:東京電力で、意思決定できる人がJビレッジにいなかったのです。図面を見せて欲しいというと、図面はありませんと言って、手書きで図を書いて説明を始めるのでした・・
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生き様-仕事の仕方
東京消防庁の活躍、板書が有効
座談会の続きです。
新井総監:3.11直後は、部長以上が集まる最高作戦会議を、1日に朝夕の2回行っていました。
松浦参事(作戦室長):最高作戦会議のための資料作りも、(事前に作ってあった)作戦室運用マニュアルとひな形のおかげで、異動直後の人であっても、報告などに漏れがないようにできていました。
最近は、パソコンを使って情報を整理するという風潮ですが、ホワイトボードにどんどん書き込んだ方が、早いし整理もしやすかったです。いつまで昔ながらのやり方をするのだと言われることもありますが、結果的には、ホワイトボードに書いたものをベースに報告書を作成するのが一番だと思います。
松井救助課長:ホワイトボードには、要点だけを書きます。余計なことを書かないので、一番信頼できるし、皆が同時に見ることができます。
五十嵐副参事:板書は、本当に訓練の賜物です。宮城県の災害対策本部で、訓練どおりに板書をすると、皆が情報を理解できるようになりました。時系列で書いて、必要な情報を後から、追記できましたし、こういう時はアナログが一番です。
松井救助課長:シナリオ訓練しかやっていないと、本番で書けないのです。実践的なブラインド型訓練をしていないと駄目ですね。
新井総監:長期間活動をどう行うのかも問題点です。東京の場合、最初は1週間交代くらいで出したわけですが、片道十何時間もかかる往き帰りが結構大変で、隊員の疲労が問題でした。十何時間かけて現地へ行って、3日間くらい被災地で活動して、十何時間かけて戻ってくる。現地の地理がようやく把握できた頃に、交代することになるといった状況でした。
最初に行った隊員は、休みを取れない過酷な活動になるのは仕方がないのですが、半月後やひと月後に行く隊員は、もう少し長期間現地で活動できるような体制、要するに兵站を十分に確保しなければならないと思います。最後には、観光バスを借り上げて、隊員を観光バスで送り込みました。消防車両は現地においたままで、人だけを入れ替える方式をもっと早く導入できたら良かったと思います・・
不作為型不祥事、幹部の責任
11月4日の日本経済新聞法務欄「不作為型の不祥事、教訓は」は、経営陣が問題への適切な対応を怠ったために危機に直面する「不作為型の不祥事」が続発していることを取り上げていました。JR北海道(線路の異常か所の放置)、みずほ銀行(暴力団への融資を放置)、カネボウ化粧品(化粧品による病状発生を放置)、高級ホテルでの長期間の食材偽装などです。問題は、事故や事件が起きたことではなく、それを放置していた経営者の対応と責任です。
長友英資・元東京証券取引所最高自主規制責任者:最近の(やるべきことをやらなかった)不作為型不祥事の原因は、危機の芽に対する経営トップの感度が低すぎることだ。単に組織とルールを整備するだけのコンプライアンスでは解決しない。問題のきっかけをつかむ情報を「部下が対処すべきこと」と考え、経営者が自らの問題だと判断できなかったのだろう。
みずほ銀行はコンプライアンス担当執行役員を更迭したが、違和感を覚えた。資料が膨大で問題の部分に意識を向けられなかったというが、膨大な情報の中からリスクをかぎ分けるのが経営者の能力であり責任だ。
浜田真樹・日本公認不正検査士協会理事長:企業は同じような能力・背景などを持った人材の集積度合いが高いほど、業務成果が上がる。一方で、反対意見を排除したり情報収集に偏りが出たりして、誤った方向に進みやすくもなる。
視野が狭まった組織の暴走を防ぐには、最終的にはリーダーの力しかないとされる・・ネガティブな細かい情報でも把握して議論できる組織を整えるのは経営者の責任だし、その経営者を外部の眼で監視する仕組みも必要だ。
増田英次・弁護士:・・コンプライアンスそのものを目標とせず、企業理念の実現や目標達成の過程の中に法令順守や問題点の発見を含むことだ。前向きな作業の中に位置づけなければならない。今のコンプライアンスは、あまりに無味乾燥。大切なのはルールではなく、社員の意識と企業風土を変えることだ。社員の仕事に対する情熱や喜びのような「感情」を軽んじたコンプライアンスは決して成功しない。
長友氏:・・過去の判例でも、取締役が「知らなかった」ことの責任を問われ得ることは明確だ。日本野球機構の統一球問題ではコミッショナーが「昨日まで(仕様変更を)知らなかった。不祥事ではない」と言ったが、本来は大いに恥ずべきことだ。
増田氏:重要なのはコミュニケーションだ。不祥事が起きる組織では上司と部下がうまく意思疎通できていない。組織が目指す理想の将来像を社員が共有することに力を入れるべきだ・・
詳しくは原文をお読みください。
愉快な職員たち、その2
今日の放課後は、復興庁内のある班の打ち上げでした。レストランの小さな部屋を貸し切っての、パーティです。
前回に引き続き、今回も愉快な出し物で、盛り上がりました。今回は、前回(2013年5月22日)に懲りて、「岡本統括官2号」を出すことは、事前に禁止しておきました。それでも、知恵は出るものです。苦しかった仕事を、笑いの種にしてしまいます。参加者全員が、おなかを抱えて笑いました。
このような愉快な仲間たちのおかげで、職場が明るくなります。ありがとう。
企業統治、指揮と統制
7月16日(すみません、3月以上も前です)の日経新聞経済教室「企業統治を考える」、大杉謙一・中央大学教授の主張から。
先生の主張によれば、コーポレートガバナンス(企業統治)には、会社を「指揮、ディレクトすること」と、「統制、コントロールすること」の二つがあります。
このうち、統制については、日本と欧米諸国で大差はない。日本では監査役、欧米では監査委員会で、形に違いはあるが、果たすべき役割は共通しており、水準もほぼ同等である。
ところが、指揮については、日本企業と欧米企業では差がある。欧米では取締役会のメンバーの多くは社外取締役(国によって比率に差はある)で、戦略を策定するのは経営者であるが、社外取締役を含む取締役会がこれを精査し、承認する。そして社外取締役を中心とする各種委員会が、経営者の業績を評価し、その結果を役員人事や報酬の決定に反映させる。経営者と社外取締役の緊張関係の中で企業の舵取りが行われる。
一方、わが国の多くの企業では、社外取締役はゼロかごく少数しか存在せず、取締役会には社長のほか具体的な業務執行に責任を負う経営幹部も参加している。取締役会の議案の多くが執行案件の承認であるため、取締役会は戦略をつかさどる機関なのか、執行案件についての情報共有・意思統一のための機関なのかが曖昧である。
大杉教授の考えでは、戦後の高度成長期、未開拓の事業機会が多く、そのフロンティアに進出する場合には、日本型のガバナンスが利点が大きかった。しかし、事業立地が細りつつある場合には、立地の転換を含めて大胆な戦略が必要になる。不採算部門からの撤退など、社内の利害対立が先鋭な問題にも取り組まざるを得ない。すると、数多くの取締役(経営幹部)がすりあわせる日本型では不向きになるという見方です。
もちろん、それぞれの型に欠点があり、アメリカ企業の失敗には「現場から乖離した戦略の不発」が多く、日本企業の失敗には「慢性の無為無策」が多いのだそうです(三品和宏『戦略の不全』)。
もっとも、最近話題となっている、大手銀行の暴力団への融資見逃し、大手ホテルでの食材偽装は、統制の方の問題です。