朝日新聞夕刊のニッポン人脈記、「分権のあしたへ」が完結しました。
分権推進法ができてから10年、第一次分権改革に引き続き、三位一体改革を成し遂げました。もちろんまだまだ不十分ですし、10年かかってここまでしか進んでいないのか、という批判もあります。しかし、戦後50年間に、強固に作り上げられた「この国の仕組み」を変えるには、大変なエネルギーがいるのです。そして、それは現在の政治権力への挑戦なのですから。
この連載に登場された政治家・学者・地方団体関係者や、ここに登場しなかった人々の努力のおかげです。もちろん、首相・総務大臣らのレーダーシップや、時代の背景も重要な要素でした。マスコミの支援もありました。
さて、次なる改革には、理論・戦略・エネルギー、世論の後押しなどなど、いろんな要素が必要です。そして、まだ十分登場していない「住民の力」が必要でしょう。私たちは、それを組み立てなければなりません。放っておいては、この改革は進みません。
欧米先進国に追いついた日本、その過程で中央集権システムにとことん染まってしまった日本。この延長線上には、発展と幸せはありません。地方分権は、この国のかたちを変えることであり、日本の新たな発展のための仕組みを作ることなのです。数年前には、このような連載は考えられなかったでしょう。「地方分権」「税源移譲」はスローガンや理論であっても、現実ではなく実績もなかったのです。近い将来の実現可能性も、関係者のほとんどは信じていなかったでしょう。坪井ゆづる論説委員、ありがとうございました。
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地方行財政
分権へのあしたへ
20日の朝日新聞夕刊のニッポン人脈記「分権のあしたへ」9は、神野直彦先生などでした。機関委任事務制度を廃止し、国と地方の関係を上下から対等の立場に変えたのが、第1次分権改革(2000年)です。これは、西尾勝先生がおられなかったら、達成できなかったでしょう。三位一体改革(3兆円の税源移譲)は、神野先生がおられなかったら、達成できなかったでしょう。
学者が理論・改革案を提示するだけでなく、熱意を持ってそれを実現されました。予算を獲得してプロジェクトを作り上げるとか、役人の仕事にお墨付きを与えるといった関与でなく、お二人の仕事は現状の政治行政を敵に回して、改革するというものです。日本の政治・行政・学問の世界で、珍しい例だと思います。
分権へのあしたへ
朝日新聞夕刊1面の連載「ニッポン人脈記」は、10日から坪井ゆづる論説委員による「分権へのあしたへ」が始まりました。(4月11日)
朝日新聞17日夕刊のニッポン人脈記「分権のあしたへ」第6回は、五十嵐広三元官房長官による地方分権推進法の仕掛けと、それが細川内閣、村山内閣で、武村正義元官房長官、野中広務元自治大臣らによって実現していく過程の回顧談でした。
このあたりの話になると、私も同時代人として参画していました。10年はあっという間ですね。若い方は、そのいきさつをご存じないと思いますので、ぜひお読みください。結構大変なドラマだったのですよ。
三位一体改革68
2月1日の経済財政諮問会議で、歳出・歳入一体改革の考え方の議論「財政健全化目標の明確化:③ 国および地方の権限と責任を明確にした国、地方それぞれの目標(国と地方の財政健全化のバランスに留意)」に関して、竹中総務大臣が次のような発言をしておられます(議事要旨p8)。
「2ページ目の③で、国・地方それぞれの目標を掲げろという指摘は正しいと思う。地方にとっては大変だと思うが、地方財政はどのような目標を立てるか私も真剣に議論したい。もちろんその際に重要なのはフローの目標、つまりGDP比の赤字だけではなく、ストックの目標もその中に入れるということだと思う。なぜならば、国の債務残高は、今はOECD平均の2.2 倍あるから大変だが、実は、地方の債務残高はOECD平均の5.9 倍もある。このように、フローで見ると地方財政の方が少しいいように見えるが、ストックで見ると地方の方が悪いという姿がある。だから、フローとストックの観点から、国と地方を見る必要があるということだと思う。
地方交付税については、ご承知のように、本間議員にも入っていただいて大変抜本的な議論をしているので、その議論をぜひ反映できるようにしたい。ただ、社会保障や公共投資と同じ序列で地方交付税が出てくるというのは、正確ではないと思う。社会保障は最終支出だが、地方交付税は中間支出だ。例えば、あえて極端な議論をするが、地方交付税をゼロにして、それと同額の地方債を発行するということもできる。また地方交付税をゼロにして、それと同額の税源移譲を国から地方にするということもできる。この両方とも地方交付税は減るが、国・地方全体のプライマリー・バランスは何の影響も受けない。そういう改革であってはいけないわけだから、最終支出を減らすということと中間支出の扱いはきちんと分けて議論をしなければいけないと思っている。
それと、地方交付税制度の改革をやるが、その改革だけで国と地方の権限と責任の明確化をすることはできない。やはり国と地方の税源配分をどうするかという、まさに根本的な議論をしなければならないと思う。先ほどの与謝野議員ペーパーには税源配分の問題も明記されていたので、この観点についても当然議論がなされると思っている。」(2月12日)
2日の読売新聞解説面では、高倉正樹記者が都道府県の新年度予算案を解説していました。各県とも税収が増えても、三位一体改革によって実質的に歳入減になること、団塊の世代の大量退職による退職手当の増加によって、歳出削減が進んでいることを指摘しています。(3月2日)
6日の朝日新聞社説は、「分権改革、地方交付税に注目だ 」でした。
「霞が関の官庁街に『分権疲れ』が広がっている。いわゆる三位一体改革が一段落したためだ。1993年に衆参両院が地方分権を進める国会決議をして以来、税源や権限を自治体に渡せと言われ続けた。『そろそろ分権はお休みにしたい』ということらしい。しかし、昨年末に政府与党は『地方分権に向けた改革に終わりはない』と宣言している。立ち止まっている場合ではない・・・」(3月6日)
7日の経済財政諮問会議で、歳出削減の中心として社会保障と地方財政が議論されました(8日付け朝日新聞・日経新聞による)。経済財政諮問会議が「骨太の方針」を出し始めた2001年も、歳出削減の柱として公共事業・社会保障・地方財政がやり玉に挙げられました。その時の議論は、「地方財政改革論議」に整理してあります。
地方財政は国の歳出削減の対象されますが、補助金や地方交付税は地方にとっての収入です。何度も説明したように、国が地方に対して義務教育や介護保険を義務づけておいて補助金や交付税を削減しても、別途地方は借金をしなければなりません。交付税は独立変数でなく、多くが国の義務づけによる従属変数なのです。
また、竹中大臣は、近年のプライマリーバランス改善は地方の努力によるところが大きいと説明しています(諮問会議資料)。かつて、バブル期の税収増を、地方財政は過去の特例的借金の返済に充てました。一方、国家財政はそのようなことはせず、使ってしまいました(「新地方自治入門」p122)。地方の借金残高が国よりも少ないのは、このような努力にもよるのです。こんなことも、思い出しました。(3月8日)
昨日書いた7日の経済財政諮問会議について、何人かの人からメールが来ました。「与謝野大臣が記者会見で『仕送り先でうな重だ・・・・』と言っておられますが、当町では吉野家の牛丼すら食べることができません」とか「諮問会議の委員に、地方の実情をもっと説明してください」とか。
そうなんですが、東京の人は、地方の町村がどんな苦労をしているか知らないのです。新聞や週刊誌は、一部の自治体の無駄遣いや変な手当を報道します。それがすべての自治体だと思っています。でも一部の自治体とはいえ、事実なので反論のしようがないのです。まず、そんな無駄は早くやめてください。他のまじめな自治体にとって、えらい迷惑です。
また、まじめにやっている市町村は、記者さんたちに「我が町はこんな苦労や工夫をしています」ということを発信してください。ぼやいているだけでは、良くならないのです。(3月9日)
10日に参議院本会議で地方財政計画・交付税法・地方税法が質疑されるなど、国会審議が続いています。主要な論点は、次のようなものです。
今回の三位一体改革は、不十分ではないか。
義務教育の負担率を引き下げたのはなぜか。生活保護の負担率引き下げがなかったのは良いとして、児童扶養手当などが引き下げられたのはなぜか。
補助率引き下げは、地方の自由度を高めない。三位一体改革の目的に反する。そもそも、方針に含まれていなかったのではないか。
施設費補助金の税源移譲率5割は少ない。
公共事業の補助金廃止税源移譲はどうするのか。
4兆円の補助金廃止に対し、税源移譲は3兆円であり、地方はそれだけ苦しくなっている。
所得税から3兆円税源移譲したことで、交付税率をそのままにしては3兆円×32%=1兆円が地方の減収になっている。交付税率を引き上げるべきではなかったか。
今後三位一体改革その2は、どう進めるのか。
交付税総額が大きく減っている。今後の見通しはどうなるのか。
(3月11日)
13日の毎日新聞社説は、「地方交付税改革、分権と同時並行で進めよ」でした。「国と自治体という財源調整では、補助金のみならず交付税にも見られるような、国が権限を確保するという関係が残りかねない。地方の自主性を尊重した改革にするというのであれば、三位一体改革の一環であった税源移譲を大幅に進めることだ・・」(3月13日)
読売新聞「時代の証言者」では、石原信雄さんの「国と地方」が続いています。17日は、1960年代の交付税の変化(総額の増加と配分方法の変更=事業費補正の導入)が述べられていました。(3月18日)
20日の読売新聞「時代の証言者」石原信雄さん「国と地方」は、高度成長期の中央集権化がテーマでした。特殊法人の設立や管理権を国に引き上げることで、地方が持っていた仕事が国に吸い上げられたのです。私たちは「明治以来の中央集権」と言いますが、実は戦後に強化された部分も多いのです。義務教育の国庫負担制度もその一つでしょう。(3月20日)
読売新聞「時代の証言者」石原信雄さん「国と地方」は、23日はオイルショック後の借金財政でした。交付税特別会計で借金をするという知恵を、大蔵省と一緒に編み出されました。もっとも、この方法については、後に「隠れ借金」という批判が出ました。その点について、次のように言っておられます。
「まるで子供の生活費を親が内緒で借金するようなもので、本来は絶対やってはいけないんです。私は『あくまで緊急措置なんだ』と自分に言い聞かせました」。
24日は、1985年の国庫補助率削減です。「奥野(誠亮)さんによれば、日本のような単一主権国家では、国民向けの重要な行政の中には、国が立案して責任を負う仕事があって、その経費の負担割合は国の責任に応じて決まり、これが国と地方の財政の『大黒柱』になるので、安易に変えてはならない、と言う訳です。もっとも、こうした大黒柱は未来永劫に続くのではなく、国と地方の役割を見直せば変わることもありうるでしょうが、少なくとも地方へ安易に財政赤字のつけ回しをする発想はいけないということです」
「今度の三位一体改革は、奥野さんの言う『大黒柱』を歴史的に変えるかどうかの重い意味がありました。しかし、生活保護費をめぐる一連の国庫負担率引き下げ議論のように、『地方が怠けているから負担を重くすればまじめにやるだろう』と言ったり、義務教育費の国庫負担金問題のように、国の負担率を3分の1に減らすだけで国と地方の責任のあり方を変えなかったりしたのは、私には理解できません。もっと徹底的な議論をすべきことだったのです」(3月25日)
2006.03.05
5日の朝日新聞は、道州制についての知事アンケート結果を載せていました。27人が賛成、2人が反対です。「実現の最大の障害は、権限や財源移譲に抵抗する中央省庁だと思うか」については、25人がそう思うと答えておられます。