カテゴリーアーカイブ:行政

官僚機構改善論1―バックオフィスの重要性

2018年6月13日   岡本全勝

先日、日経新聞夕刊コラムに「内閣官僚」を書きました。また、5月23日の毎日新聞にインタビュー「現場の声 政策に生かせ」が載りました。そのほか、官僚の問題について、いくつかの取材も受けました。
そこで考えたことを整理して、簡単に書いておきます。私の基本的考え方は、官僚の劣化と言われる事象の背景にあるもの、構造的な問題です。
端的に言えば、社会が変わったのに、官僚と官僚機構が変革に遅れているということです。「バックオフィスの管理」「人事政策」「官僚のあり方論」に分けて書きます。

まず、バックオフィスの管理についてです。
組織を管理する際に、2つの部分に分けて考えます。
会社では、営業系と総務系があります。前者は、製品やサービスを作り、売ることを任務とする人たちです。後者は、その人たちを支える、会計、人事、庶務の人たちです。フロントと、バックオフィスです。
役所も同じです。政策を考え、実行する原局と、人事や予算で支える官房です。
後者は、「事務・組織管理部門」といったら良いでしょうか。
霞が関の各省あるいは全府省を通して、おろそかになっていることがあります。この事務・組織管理部門=バックオフィスの管理です。
会社にしろ役所にしろ、製品を売ったり、政策を考える部局が「花形」で、バックオフィスはそれを支える「縁の下の力持ち」です。しかし、営業系が活躍するためには、縁の下系がしっかりと支えなければなりません。

これまでは、後者については、系統だった職員育成や組織運営を考えることは少なかったようです。前例に従って処理する。新しい機械がでたらそれを取り込む、新しい課題が出たらその都度対処する。職員も、先輩たちのやり方を見て学ぶ。という「古典的な職場作法」でやってきました。「官僚機構改善論2」へ。

予算偏重の時代錯誤

2018年6月5日   岡本全勝

日本社会が大きく変わったのに、行政や国民の意識が変化していないことの一つが、予算偏重です。
かつては、モノとサービスを増やすことが、社会でも行政でも大きな目標でした。豊かになる、便利になるという「国家目標」を達成するために、先輩たちはがんばりました。電化製品、自動車、そして道路や学校、病院。そのおかげで、世界でも最高水準の豊かさと便利さを手に入れました。

一通りのモノが行き渡り、サービスの仕組みもできました。すると、モノとサービスを増やすことは、行政の第一の目標ではなくなったのです。
予算があれば、モノとサービスを増やすことができました。よって、予算を増やすことが官僚の身近な目標でした。その要求を査定する、財務省や財政課が権限を持ちました(私も官僚人生の3分の1は、予算や地方交付税を査定し配分することをしていました)。
社会の問題は、お金では解決できないことが多くなりました。

いまだにマスコミが、財務省を「最強の官庁」と呼ぶのも、時代錯誤でしょう。マスコミが、意識改革に遅れているように思えます。
国会でも、予算委員会が花形です。しかし、審議している国政の重要事項は、外交や安全保障、政治のあり方です。「予算委員会」という名称はそろそろやめてはどうでしょうか。いわゆる「党首討論」は、「国家基本政策委員会」という名称です。このような名前の方が、ふさわしいと思います。

御厨先生、公文書を残さない官僚の出発点

2018年6月3日   岡本全勝

5月27日の読売新聞1面コラム「地球を読む」は、御厨貴先生の「公文書文化の大革命期に」でした。
先生が研究を始められた時、明治や大正期の公文書を元に進められました。資料として残っていたのです。しかし、その後は、公文書がきちんと残らなかったのです。

・・・それは、敗戦と占領に由来する。1945年8月の敗戦は公文書にも未曾有の混乱をもたらした。「国家の崩壊」に至るプロセスを明らかにするために必要不可欠な公文書の多くが持ち出され葬り去られた。大蔵省や陸軍省、内務省などの有力官庁は、まさに鬼の来ぬ間に、すなわちまもなく到来する占領軍に押収される事態をなによりも恐れ、阻止せねばと考えた。従って、日本の戦争責任に関連すると覚しき公文書類を、すべて焼却に努めたのである・・・
・・・自らやってきたことをうやむやにし、公文書を軽視する姿勢はここに発した。そればかりか、連合国総司令部(GHQ)支配の下で官僚たちは、証拠を隠滅するくらいならいっそとばかりに、明治以来の公文書作成の伝統に逆らい、なるたけ証拠文献を残さず、あれこれ書かぬ習慣にしてしまった・・・

・・・とまれ現代史を追究する研究者にとって、官庁文書は無い無い尽くしだった。80年代末から私が官僚OBへの「オーラル・ヒストリー」を準備し始めたのも、文書なき世界を彼らの証言で少しでも明らかにするためであった・・・
・・・かくて平成の30年間は、官僚制の緩慢なる弱体化の進行と見合っていた。90年代のバブル経済と相次ぐ官僚制のスキャンダルめいたいくつかの事件が、それを象徴している・・・
・・・されば、ポスト平成期こそ、公文書文化にとって大革命の時代の到来でなくてはなるまい・・・

鋭い、そして厳しい指摘です。
官僚たちに、自らやっている仕事に自信があるなら、記録をきちんと残すはずです。それが成功した場合も、失敗に終わった場合も。政策案を提示し、それを実行する、そして成果について評価を待つ。それが官僚のあるべき姿でしょう。
ぜひ、全文をお読みください。

PKO、国際社会のニーズと日本の法律とのギャップ

2018年5月31日   岡本全勝

5月26日の朝日新聞、岩田清文・元陸上幕僚長のインタビュー「PKO派遣、国民全体で議論を
南スーダンPKOに派遣された陸上自衛隊が撤収してから1年です。陸上幕僚長として舞台を送り出した岩田さんの発言です。原文をお読みください。

・・・「国際社会のニーズと日本の憲法・PKOに関連する法律の枠組みとのギャップは限界に来ている」。2013年8月~16年7月に陸上幕僚長を務めた岩田氏は朝日新聞の取材に、こう指摘した。
PKOは1990年代以降、ソマリアをはじめ任務達成のために積極的に武器を使う「平和執行型」、また文民保護を含む「統合型」が世界の流れだ。一方、自衛隊は92年のカンボジア派遣以来、憲法9条とPKO参加5原則の枠組みのもと、極めて抑制された武器の使用基準を徹底した「伝統型」でやってきた。ここに大きなズレが生じているという認識だ。
「日本が伝統型PKOを前提とした5原則の枠内だけで派遣を考えるなら、今後自衛隊を派遣するのは極めて難しい」と話す・・・

・・・「四半世紀が過ぎた日本のPKOの教訓は日報の管理だけではない。国際社会の平和と安定に積極的に関わっていく国を目指すのか、日本は関わらないという立場を貫くのか。部隊派遣が途絶えているこの時期、国民全体で徹底的に議論し、考える機会として欲しい」・・・

中国共産党、歴史問題が国内統治の軸足

2018年5月28日   岡本全勝

5月25日の日経新聞経済教室、江藤名保子・日本貿易振興機構アジア経済研究所研究員の「歴史問題、国内統治の軸足」から。誠実さだけでは国際政治は動かないことが、よくわかります。原文をお読みください。

・・・中国共産党による独裁体制は「共産党が日本の軍事的侵略に対して国民党と協力して抵抗し、『抗日戦争』勝利を導いて国家存亡の危機を救った」という歴史解釈と、「共産党の指導により高度な経済発展を維持してきた」ことを根拠に正当化されている。
つまり共産党の正統性は基本的に(1)歴史(過去の成果)と(2)経済発展(現在の成果)――の2つに依拠している。そしてこうした論理を国内に浸透させるために政府は「管理」(公権力を用いた強制的な言論統制)と「誘導」(教育やメディア、各種の党組織を通じた思想統制)を両輪とする強力な世論コントロールを行ってきた。
中国の対日政策は継続的にこの世論コントロールの影響を受けてきた。だが実のところ、1970年代まで共産党政権にとって主たる敵はソ連や台湾の国民党で、国交正常化以降の日本はむしろ経済協力の担い手として期待と憧憬の対象だった。日本政府が歴史認識を巡り批判されるようになったのは、82年の第1次歴史教科書問題からだ・・・

・・・共産党政権が歴史問題を重視し始めた背景には、70年代末に開始した改革開放政策の下で、どのように一党独裁体制を維持するかというジレンマがあった。開放政策には経済発展という恩恵と同時に、政治改革(民主化)を求める世論を拡大する副作用があった。それはすなわち、共産党が正統性の根拠である経済発展(現在の成果)を求めるほど、一党独裁体制が揺らぐという矛盾の始まりだった。
そしてこの構造的な矛盾の下で、正統性のもう一つの根拠である「歴史」の重要性が高まっていった。それは89年の天安門事件を経て、愛国主義教育キャンペーンが導入され、共産党を支持する歴史教育が強化されたことに象徴的に表れていた。

2000年代、中国の歴史解釈に重要な変化があった。大国化が国家目標となったのに伴い、中国は日本に勝利したことにより世界の平和に貢献し、中華民族の発展の礎をつくったとの解釈が加わった。そして歴史解釈の主要テーマが「被侵略の苦難の歴史」から「戦勝国・大国の歴史」へと移行した結果、侵略者としての日本のイメージがある程度相対化された。
06年の安倍首相訪中時に中国側が日本の「戦後60年余、一貫して平和国家として歩んできた」という主張を積極的に評価したのはその証左だ。
だがそれは必ずしも歴史問題の収束を意味しなかった。13年12月の安倍首相の靖国神社参拝に対し各国駐在の中国大使は、日本は「戦後国際秩序への挑戦者」と従来とは異なる趣旨の批判を展開した。
その背後には、日本という悪役と対照的に位置づけることで、国際社会に貢献する大国・中国という国家イメージを認知させたいとの思惑があったのだろう。日中の歴史問題は単なる歴史解釈や謝罪の問題にとどまらず、より広範な外交問題に波及する段階に入ったといえる・・・

・・・こうした文脈で中国の対日政策を考えるとき、昨年12月の王毅国務委員兼外相による演説が意味深い。中国外交を総括した王氏は、大国関係として米中関係、中ロ関係、中欧関係に言及し、日本は「周辺環境」の一角に位置づけた。
すなわち中国外交で日中関係は大国関係とみなさないというメッセージを発したのである。インドを「大隣国で文明古国」と評しながら「周辺環境」に加えていることから、「中国はアジアの唯一の大国」という独自の情勢認識がにじんだと考えられる。
このような中国の論法は他国からみれば独善的ですらあるが、それは論理形成の過程で国内統治の方法論(管理と誘導)を踏襲しているためだと考えられる。つまり共産党政権が何に世論コントロールの軸足を置くかにより、中国の「大国」としての語りようが定まるのである。
一方、日本を含む「周辺」の国家に対して中国は、中長期的には自国の勢力圏に引き込みたいと考えているだろう。だがそのためには文化や政策で他国をひきつけ、ソフトパワーを高めることが肝要だ。共産党政権が独善的な「話語体系」に固執するならば、実現は難しいだろう・・・