カテゴリー別アーカイブ: 災害復興

行政-災害復興

復興特区制度

東日本大震災から10年が近づいてきて、報道機関が特集を始めたり、準備を始めています。私にも、相談やら取材が来ています。先日、河北新報に、復興特区が載りました。

・・・「特区さえあれば何でもできるわけではない」「何をするかを明確にする必要がある」。政府の復興構想会議では、特区そのものの狙いや定義が議論になった。
具体的なテーマに挙がったのは、復興促進のため被災地を区切って各種特例を設ける手法や、医療介護など先進モデルを被災地で実現し、いち早く国内課題に対処する手法だ。
2011年12月に成立した復興特区法は、一定の被害があった北海道から長野県まで11道県227市町村を対象区域に設定。規制緩和や手続きの簡素化、復興交付金などの特例メニューを用意し、県や市町村の申請を認可する形式とした。
元復興庁事務次官の内閣官房参与岡本全勝(65)は「新しいことをするというより、幾つかの行政手法を組み合わせて自治体を支援するのが主な狙いだ」と解説する・・・

大震災で町が流され、復興の過程で、新しい町をつくろうという機運が高まりました。復興特区制度も、そのための手法の一つでした。制度作成の中心になってくれたのは、青木由行参事官(当時。現在、国土交通省不動産・建設経済局長)でした。

「白地に絵を描く」ことで、何でも自由にできると、私も当初は思いました。しかし、進めていくうちに、そんなことはできないと気づきました。
・まず、被災地は、膨大な数の被災者の生活支援で精一杯で、新しい町づくりを考える余裕はありませんでした。
・また、市町村には、新しい町づくりをするだけの経験も能力もなく、職員もいませんでした。
・制度や手法を、ゼロから考えることは理論的に可能ですが、とても時間がかかって、現実的ではありません。しかも、現地での具体的課題を取り上げないと、抽象論では話は進みません。

復興交付金も復興特区制度も、既存の制度を参考に、まず使えるものを集めました。そして、それを使いやすいようにしました。
まず、自治体からの申請を、一つの窓口(復興庁)で受けることにしたのです。そして、現地で課題が出てきたら修正する、穴を埋めることにしました。これまでにないことですから、やってみないと誰もわかりません。走りながら考えたのです。
そしてその際は、市町村にはそれを担う職員がいないので、国や他の自治体から職員を送り込みました。さらに、計画の青写真作りや、申請書の下書きも国の職員が行うことも多かったのです。

渡辺利綱・前大熊町長「中間貯蔵一人腹固めた」

9月22日の福島民友新聞「震災10年証言あの時」に、渡辺利綱・前大熊町長の「中間貯蔵一人腹固めた」が載っています。

・・・「全てを話すことはできないのだが」。前大熊町長の渡辺利綱は言葉を選びながら語り始めた。渡辺は中間貯蔵施設(大熊町、双葉町)の建設受け入れに至るほぼ全ての流れを知る数少ない”証人”の一人だ。東京電力福島第1原発事故後の除染で出た県内の汚染土などを保管する施設の建設は、本県全体の復興に欠かすことができない重大な決断だった。受け入れの背景に何があったのか・・・

・・・原発事故で県内各地に拡散した放射性物質を除染し、その過程で出た土壌などをどこかに集約しないと環境再生は進まない。「理屈は分かっているが、それが大熊なのか」。渡辺には割り切れない気持ちの中で、どうしても頭から離れない考えがあった。「放射線量が高い大熊町の土を、どこか引き受けてくれるところがあるのだろうか」。渡辺は一人、受け入れへと腹を固めていった。
町民への説明の前、町の担当課長が「反対意見が多かったら引き受けられませんね」と言った。渡辺は「反対してどこかに決まるのなら、俺もどこまでも反対する。だが、現実はそうではないだろう」と諭した。渡辺は、復興支援策や賠償基準と複雑に絡み合う政府交渉に心血を注いでいく・・・

・・・「(震災当初の双葉町長だった)井戸川克隆町長は受け入れに反対だったように、双葉郡が一枚岩で施設の受け入れを協議するという雰囲気ではなかった。誰だって首長は自分の町や町民がかわいいわけだから。それを露骨に出したりしたら、とても施設の問題は解決しない。解決しなかったら福島の復興は進まない。そのような状況で、建前と本音を使い分けて話していた」
「自分の場合、大熊町長という立場で『大熊町の汚染された土壌をどこが引き受けてくれるんだ』と考えていた。町政懇談会をやる日程を組んだ時、担当課長から『町長、町政懇談会をやって反対が多かったら引き受けられませんね』と言われたが、『その気持ちは分かる。でも大熊町の土をどこが引き受けてくれるんだ。反対してどこかが受けてくれるなら、俺も最後まで反対してもいいんだ』と言った」
「正直に言えば、反対している方がトップとしては楽だったと思う。『町民が反対だから』と町民を前面に出して。でも、現実問題としてどこまでそれを通せるのか。通していったら、結局は町民が困ることになると思っていた・・・

渡辺町長には、難しい・苦しい判断を、何度もしていただきました。全町民の避難、遠く離れた会津若松市での暮らしなど。そして、中間貯蔵施設の受け入れ。町長の勇気ある決断で、難しい物事が進みました。
みんなが嫌がる中間貯蔵施設を、誰かが引き受けなければならない。町長の証言には、他の自治体の「無責任な発言」への反発も書かれています。
時間が経つと、この難しい決断とともに、嫌がる施設を大熊町と双葉町が引き受けてくれていること自体が、忘れられます。
それは、第一原発で増え続けている処理水も同じです。「タンクにため続けよ」とか、「先送りしよう」という発言は、この2町がタンクを受け入れていることを忘れています。もし「タンクにため続けよ」と発言するなら、「そのタンクを、私のところで引き受けますから」という発言を合わせてして欲しいです。

町長の証言の最後には、次のような言葉があります。政府関係者は、忘れてはならないことです。
「ただ、大川原地区の整備が進められているものの、町全体から見ればまだまだだ。今でも国の一部には『住民が帰らないところにお金をかける必要があるのか』という考え方があるように感じる。しかし、震災直後から言ってきた通り、帰る帰らないは町民が判断することであって、帰る環境をつくるのは国と東京電力の責任だ。そこは必ず守ってもらうつもりだ」

NHK朝の連続テレビ小説、福島応援

NHK連続テレビ小説「エール」の主人公の題材は、福島出身の古関 裕而さんです。
ところで、NHKでときどき、主題歌『星影のエール』に乗せて、福島県59市町村を紹介する短い映像が流れています。「紹介ビデオ」で見ることができます。5分、うち各地紹介は4分。「目次

・・・東日本大震災を経験した、福島県が持つ“たくましさ”や、困難にも負けず前に進む“姿”を『星影のエール』の曲に乗せ、このプロモーションビデオを通じて、今、困難に立ち向かう全国の方々に“エール”を送ります・・・

各地の美しい花や自然、子供たち、収穫、お祭りなどが出てきます。最後の部分では、津波災害からの復旧過程が定点観測的にも。先日紹介したいわき市豊間地区です。NHKも、よいことをしてくれますね。

福島復興再生協議会

今日8月30日は、福島市で開かれた福島復興再生協議会に行ってきました。
県の代表と国の責任者たちが一堂に会して、原発事故からの復興の進捗を確認し、今後の課題を議論する場です。大臣たちが福島に出かけて、会議を開くことにしています。NHKニュース

事故から9年半近くが経ちました。放射線量の多寡、避難指示解除の時期によって、復興はばらつきがあります。解除されても住民が戻らない地域、まだ避難指示が解除できない地域。まだまだ問題があります。

復興庁、原災本部(経産省)、環境省、農水省から、わかりやすい資料で、説明しました。会議に出した資料は、週明けには復興庁のホームページに載せます。お使いください。

安倍総理在任中の業績、震災復興

8月28日午後、安倍総理が辞意を表明されました。その記者会見の中で、記者からの2つめの質問が、総理在任中に成し遂げたことについてでした。
答えは、東北復興への取り組みでした。経済や外交安全保障より先に、挙げておられます。

(記者)
先ほど総理は、結果を出すことに全身全霊を挙げてきたとおっしゃいましたが、歴代最長となった在任中に成し遂げたことの中で、御自身、これは政権のレガシーだと思われるものがありましたら、挙げていただけないでしょうか・・・

(総理)
まず、レガシーというお尋ねでございますが、正にこれは国民の皆様が御判断いただけるのかなと、また歴史が判断していくのかなと、こう思いますが、7年8か月前、政権が発足した際には、あのときはまず、東北の復興なくして日本の再生なし、東北の復興に全力を挙げるということを申し上げて、取り組んでまいりました・・・

総理には、ほぼ年に4回、被災地を視察いただきました。また、組閣の度、3.11などの節目に、官邸で全閣僚を集めた会議を開きました。
総理にこのように発言いただけるように、大震災からの復興はある程度進みました。関係者の方に、お礼を申し上げます。
もちろん、原発事故からの復興については、まだまだ残されたことも多く、政府として引き続き責任を果たさなければなりません。