カテゴリー別アーカイブ: 災害復興

行政-災害復興

中小企業施設復旧補助金の成果

東北経済産業局が、「グループ補助金(中小企業等グループ施設等復旧整備補助金)交付先アンケート調査」を発表しました。今回で、8回目です。詳細を見ていただくと、東北4県では、次のような特徴がわかります。

雇用は、雇用人数が震災前を上回りました。59%の事業者が、震災前の水準以上まで回復したと回答しています。
売上は、46%が震災前の水準以上まで回復したと回答。業種別に見ると建設業、運送業が良く、水産・食品加工業、旅館・ホテル業などが遅れています。
売上げが回復していない要因は、「既存顧客の喪失」「従業員の不足」などです。回復した要因は、「新商品・新サービス開発等による新規顧客の確保や既存顧客のつなぎ止め」、「復興特需、その他要因による新規顧客の確保」です。

この補助事業の自己負担分については、5,591事業者のうち5,073事業者が終了しています。残る事業者も、52%が調達済み・調達見込み済みです。
経営課題は、半数以上が「従業員の確保・育成」、「販路の確保・開拓」を挙げています。

仙谷由人先生

仙谷由人・元衆議院議員、官房長官がお亡くなりになりました。

2011年3月18日、大震災から1週間後の金曜日に「あす朝、総理官邸に出頭するように」と、私に連絡が来ました。翌19日土曜日朝に官邸に行き、仙谷・官房副長官から「被災者支援の事務方の責任者を務めよ」との指示を受けました。「何をするのですか?」と聞いたら、「それを君が考えるのだ」との答えでした。このことは、日経新聞夕刊コラムにも書きました。

官邸の向かいにある内閣府の建物に事務局を構え、現地への物資などの支援と、現地からの要望に答え、さらに何をしなければならないかを考えつつ、被災者支援本部を動かしました。
毎日、先日お亡くなりになった松本龍・災害担当大臣、仙谷副長官、片山善博・総務大臣、平野達男・担当副大臣らと本部会合を持ち、大きな問題を片付けていきました(なお、私の所管は津波被害と被災者支援です。原発事故については、総理官邸で菅総理が指揮を執られました)。
仙谷副長官を始め皆さんが、私に大きな自由度を与えてくださいました。当時は、緊急時、各地の様子も全体像もわからない状態です。一つ一つ政務職にお伺いを立てて、慎重な検討をしている余裕はありませんでした。

政務職が大きな方向を指示して、官僚に任せてくださる。そして、官僚の行動を支援してくださることで、私たちが存分に力を発揮できました。
仙谷副長官自身も、大震災が発生したことで、急きょ、官房副長官に呼ばれました。官房長官時代は「乱暴長官」と呼ばれたこともあったようですが、その力量は大震災の際に発揮されました。
当時のご指導を感謝しつつ、ご冥福をお祈りします。

福島県の魅力度向上

福島県の魅力度が、昨年の34位から27位に上昇しました。
民間の調査会社が行った、都道府県の魅力度を認知度や地域のイメージなどの項目で順位付けする調査です。「地域ブランド調査 2018」(2018 年10月15日、株式会社ブランド総合研究所)。3万人にインターネットで聞いたものです。
大震災と原発事故から7年余り。その影響が、徐々に薄れているのでしょう。事故がなければ、上位に入る県ですから。

宮城県被災地視察2

宮城県被災地視察で考えたことです。住宅や道路などの施設は、ほぼめどが立ちました。防潮堤や復興道路(壊れた道路を復旧するのではなく、新しく造る道路)などは、工事が続くものも残るようですが、当面の暮らしには問題ありません。
すると、町のにぎわい回復が大きな課題です。簡単にいうと、働く場と買い物の場、そして人のつながりです。
岩手県視察の際にも書きましたが、各市町村は町の中心部ににぎわいの拠点をつくる設計をしました。駅やBRTのバス停近くに、図書館や公共ホール、商店や飲食店を集めました。これは、かなり成功しているようです。高校生たちが、時間待ちの間、図書館で勉強しているとか。
気仙沼市も内湾地区の施設が建ち始めました。最近の姿

産業復興は、施設設備への補助金や、専門家による支援を行いました。「この支援がなかったら、再建はなかった」とおっしゃる事業主が多いです。もっとも、このような支援だけで事業が続くわけではなく、事業主さんたちの大変なご苦労があって、事業は再建しています。課題は、販路の確保と従業員の確保です。
八葉水産(気仙沼市、塩辛など水産加工品)は、工場が流されましたが、二重ローン機構や結いの場などの戦痕か支援を使って、復活しました。みらい造船(気仙沼市、造船)は、5つの造船所が合併し、新しく工場を作って移転します。最新鋭の設備です。向こう3年間の受注があるとのこと。地方での就職支援をしているマチリクは、気仙沼市で活動してくれています。

デ・リーフデ北上(石巻市、トマトとパプリカの温室栽培)は、津波被害を受けた農地で、オランダ式のハウス栽培を始めました。再生可能エネルギーで化石燃料を削減する取り組みをしています。ここも、約100メートル×200メートル、高さ6メートルの巨大な温室です。注文のすべてを引き受けられない状況です。
それぞれ、たくさんの従業員を雇ってくださっています。産業再建支援に、国が本格的に取り込んだのは、東日本大震災が初めてです。道路や防潮堤などの施設整備に比べると、予算額は数桁小さいですが、その効果は大きいです。

すがとよ酒店(気仙沼市、鹿折)にも、お邪魔しました。大きな町であった鹿折地区は、津波で町全体が流されました。そこで、100年続くお酒屋さんです。菅原文子さんは、津波で夫、両親を亡くされました。仮設店舗を経て、今のお店を再建されました。
店の2階を小さな集会所にして、ご自身の語り部やコンサートなどをしておられます。一人生き残った場面のお話しは生々しく、胸を打たれるものでした。他人にはわからないつらさを超えて頑張っておられる姿には、頭が下がります。

私や行政は、どうしても数として、被害や復興を捉えます。全体の状況を把握するには、数値が一番わかりやすいのです。しかし、数字を相手にしていると、現場の姿を忘れてしまいます。そこには、一人一人の生活、一つひとつの会社の事業があります。それぞれに違ったご苦労をされ、また悲しみを乗り越えてこられました。
視察に行って車窓から見ている、あるいは市役所で説明を聞いているだけではわかりません。訪問先の事業主の方のお時間を取って申し訳ないのですが、やはり、その方々のお話を聞くことは重要です。今回も、お忙しい中、時間を割いていただき、さらにぶしつけな質問に応えていただき、ありがとうございました。

宮城県被災地視察

10日11日と、宮城県の被災地視察に行ってきました。先月の岩手県被災地視察に続き、宮城県です。今回は、産業復興を中心に見てきました。
住宅再建は予想以上に進み、来年には仮設住宅を解消できそうです。最も被害の大きかった石巻市も、いくつかの市町村より早く完成しそうです。市長や副市長と、そんな話をしました。
当初は、一番数の多い仮設住宅の運営や、100か所になる高台移転計画など、どうしたらよいかみんなで頭を抱えました。総務省から派遣された笹野副市長が、大活躍をしてくれました。たくさんの被災者のお世話をしながら、住民の意向を聞き計画を立てるのです。高台移転は約60か所に縮小しましたが、すべて完成しました。これは、当時を振り返ると、奇跡に近いでしょう。

住宅ができ、公共インフラ復旧のめどが立ったら、次は町のにぎわい回復です。そのためには、働く場と、人のつながり回復が必要です。
各市町村長も、自信に満ちた顔です。村井知事とも、そのような話をしました。
各市町で考えたことは、次回書きましょう
火曜日に福島に行き、そのまま水曜木曜と宮城県内を車で移動しました。朝から晩まで車に乗っていると、結構疲れるのです。