宮城県被災地視察2

宮城県被災地視察で考えたことです。住宅や道路などの施設は、ほぼめどが立ちました。防潮堤や復興道路(壊れた道路を復旧するのではなく、新しく造る道路)などは、工事が続くものも残るようですが、当面の暮らしには問題ありません。
すると、町のにぎわい回復が大きな課題です。簡単にいうと、働く場と買い物の場、そして人のつながりです。
岩手県視察の際にも書きましたが、各市町村は町の中心部ににぎわいの拠点をつくる設計をしました。駅やBRTのバス停近くに、図書館や公共ホール、商店や飲食店を集めました。これは、かなり成功しているようです。高校生たちが、時間待ちの間、図書館で勉強しているとか。
気仙沼市も内湾地区の施設が建ち始めました。最近の姿

産業復興は、施設設備への補助金や、専門家による支援を行いました。「この支援がなかったら、再建はなかった」とおっしゃる事業主が多いです。もっとも、このような支援だけで事業が続くわけではなく、事業主さんたちの大変なご苦労があって、事業は再建しています。課題は、販路の確保と従業員の確保です。
八葉水産(気仙沼市、塩辛など水産加工品)は、工場が流されましたが、二重ローン機構や結いの場などの戦痕か支援を使って、復活しました。みらい造船(気仙沼市、造船)は、5つの造船所が合併し、新しく工場を作って移転します。最新鋭の設備です。向こう3年間の受注があるとのこと。地方での就職支援をしているマチリクは、気仙沼市で活動してくれています。

デ・リーフデ北上(石巻市、トマトとパプリカの温室栽培)は、津波被害を受けた農地で、オランダ式のハウス栽培を始めました。再生可能エネルギーで化石燃料を削減する取り組みをしています。ここも、約100メートル×200メートル、高さ6メートルの巨大な温室です。注文のすべてを引き受けられない状況です。
それぞれ、たくさんの従業員を雇ってくださっています。産業再建支援に、国が本格的に取り込んだのは、東日本大震災が初めてです。道路や防潮堤などの施設整備に比べると、予算額は数桁小さいですが、その効果は大きいです。

すがとよ酒店(気仙沼市、鹿折)にも、お邪魔しました。大きな町であった鹿折地区は、津波で町全体が流されました。そこで、100年続くお酒屋さんです。菅原文子さんは、津波で夫、両親を亡くされました。仮設店舗を経て、今のお店を再建されました。
店の2階を小さな集会所にして、ご自身の語り部やコンサートなどをしておられます。一人生き残った場面のお話しは生々しく、胸を打たれるものでした。他人にはわからないつらさを超えて頑張っておられる姿には、頭が下がります。

私や行政は、どうしても数として、被害や復興を捉えます。全体の状況を把握するには、数値が一番わかりやすいのです。しかし、数字を相手にしていると、現場の姿を忘れてしまいます。そこには、一人一人の生活、一つひとつの会社の事業があります。それぞれに違ったご苦労をされ、また悲しみを乗り越えてこられました。
視察に行って車窓から見ている、あるいは市役所で説明を聞いているだけではわかりません。訪問先の事業主の方のお時間を取って申し訳ないのですが、やはり、その方々のお話を聞くことは重要です。今回も、お忙しい中、時間を割いていただき、さらにぶしつけな質問に応えていただき、ありがとうございました。