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行政-災害復興

仕事は次の段階へ

昨日、基本方針を決定したので、私たちの仕事は一つの山を越え、次の段階に入ります。
昨日は、本部会合が、与党調整作業によって、20時15分にずれ込みました。ゴーサインが出てから、官邸での会議まで30分。通常なら、2時間は間があるのですが。全大臣への開会のお知らせ、マスコミへの公表、資料の印刷(これもかなりの数になります)、会場での配付、そして会議後の記者会見の設営などです。事前に工程表(誰が何時に何をするか)を作り、各担当が準備をしていたので、間に合わせることができました。
この状況を写真に残してくれた職員がいます本業の様子3

職員のかなりの数は、関係者との調整などで、ここ数日徹夜に近い状態です。よくやってくれました。私たちの組織は臨時新設なので、去年の経験や前例がありません。事前事前に、次の工程を考え、関係者で打ち合わせをして、手探りで進めています。
超特急で、かつ完璧に作業をしてくれた職員に感謝をし、また誇りに思います。
すべてが終わったのが、23時過ぎ。それから職員有志は、打ち上げに行ったようです。「疲れているだろうから、飲み始めて30分以内で意識不明の重体になる(寝てしまう)のじゃないか。電車で寝過ごして、気がついたら小田原とか高尾だった、ということのないようにね」と言ったら、「そんなことのないように、朝まで飲みます」という、元気な声が返ってきました。もっともそんな遅い時間から飲みにいったら、終電には間に合わないわね。若さは、うらやましいですね。
56歳のおじさんは、昨日も食べそびれて、ダイエットに成功しました(笑い)。今日土曜日は、福島県に出張の予定だったのですが、当地が豪雨なので中止しました。被害が出ています、拡大しないことを祈っています。
来週からは8月、いよいよ復興本部の実業が本格化します。被災者支援チームと同様、ホームページででも、取り組んでいる作業の一覧と、政府の復興事業の全体像が、見えるようにしたいと思っています。まずは急いで、復興本部のホームページを作ってもらいました。基本方針全文も、会議終了とほぼ同時に掲載し、記者さんから褒めてもらいました。これから充実していきます。職員には申し訳ありませんが、気分を入れ替えて、新しい仕事に取り組んでもらいましょう。

現場の苦しさと国からの支援

読売新聞が、26日から朝刊1面で、「復興漂流」という企画を、連載しています。避難所や仮設住宅での困難な生活、市町村役場での苦労など。現場でのご苦労が、報告されています。悲しい事案が多いです。
多くの地域で復旧が進んでいますが、その影でまだ十分に行き届いていないこともあり、苦しんでおられる方も多いです。
今回の災害では、国に被災者支援チームをつくり、被災者の支援を行なっています。これは、政府では初めてのことであり、復興本部に被災者支援班を置くことも、初めてのことなのです。しかし、私たち被災者支援チームや復興本部は、東京から、東北3県さらには全国的な被災地や被災者の状況を見ています。どうしても数字でとらえ、類型として把握することになります。もちろん、各地の個別問題も持ち込まれますが、現場の生々しさからは遠くなります。
また、現場で対応に当たるのは多くの場合、市町村職員です。例えば、個別の仮設住宅の立て付けが悪いところを、私たちが修理に行くわけにはいきません。国が行うのは、市町村が被災者支援を行う際に必要な財源や職員の応援を準備し、助言を行うことです。なかなか、被災者を十分に支援できないこと、市町村役場を支援できていないことが、申し訳ないです。

第3回復興本部会合

今日は夕方に、総理官邸で、第3回の復興本部会合を開きました。当面の復旧と復興の事業費を推計し、その財源をどう手当てするかです。他方、基本方針の本文(どのような復興をするか、どのような取組をするか)についても、地方自治体や与党の意見を聞き、各府省と詰めています。
この2つの内容を合わせて、「基本方針」として、今月中に決定する予定で、作業を急いでいます。
各担当の職員が順調に仕事を進めているか、滞っている項目はないか、漏れ落ちている項目はないか、目配りすること。次の段取りはどうするかを考えることが、わたしの仕事です。被災現場から持ち込まれる様々な案件もあり、その対応も忙しいです。なかなか、ゆっくりと考える時間が持てません。いけないことですが。

宮城・福島視察

昨日(土曜日)と今日(日曜日)にかけて、平野大臣のお供をして、宮城県と福島県に行ってきました。仙台港・塩釜港の被災と復旧状況、亘理町と山元町の堤防と農地の被害と復旧状況、相馬市と南相馬市の被害と仮設住宅などです。4月23日24日に視察した時に比べ、がれきがほとんど片付いていました。港湾も、順次再開しつつあります。なんといっても、経済が再生しないと、地域と住民の復興はありません。
市長町長さんたちは、自ら被災しながら、休みなしで指揮を執っておられます。お疲れがでませんように。
これで、今月8回目の東北新幹線でした。20時に東京に戻り、大臣に職場に登庁してもらって、明日以降の打ち合わせをしました。復興本部も、たくさん仕事があります。

被災者支援チーム4か月

被災者支援チームは、5月20日に、「当面の取組方針」を公表しました。そのころには、課題の道筋が見えたので、全体像を明らかにしたのです。1か月後に進捗状況を報告しましたが、今回、2か月後の状況を取りまとめました。地域によって差はありますが、避難所の解消、仮設住宅の建設、がれきの除去、インフラの復旧など、おおむね順調に進んでいます。もちろん、いくつか問題も抱えています。懸命に努力をしていただいている関係者に、感謝します。

このように、被災者支援の仕事は、それぞれの担当である各省・県庁・市町村役場などで、軌道に乗っています。被災者支援チームとして取り組む作業は全体のとりまとめなどで、かなり減りました。そこで、残っている業務を持って、数人の職員が復興本部と内閣府防災担当に移り、支援チームのこれまでの事務所は閉鎖することにしました。チーム自体は、存続します。私をはじめ数人が、仕事を持って場所を移るということです。残りの職員10人ほどは、各省に戻ってもらいます。元もと併任発令で来てもらっていたので、併任解除です。
これまでに支援チームで働いてもらった職員は、約600人にもなります。霞ヶ関には、約4万人の職員がいます。そこから、600人の職員に来てもらったのです。苦労をかけた職員に、感謝します。それぞれの職場に戻られ、活躍されることを、期待しています。

3月20日に支援本部を立ち上げてから、約4か月です。大変なこともあったのですが、過ぎてしまうと、あっという間でした。職員の多くは「大変だったけど、やりがいがあった」と言ってくれます。被災地の状況や被災者の境遇を見て、私たちも必死でした。仕事を始めた当初は、何から取り組んだらよいか分からない、誰に何を指示したら問題が解決するか分からない、といった状態でした。政務の方から次々と降りてくる指示をどうこなすかも。
なるべく職員に無駄なことをさせないように、心がけました。また、明るく仕事ができるようにです。毎日、政務職と事務職が集まって開く運営会議(連絡会議)が、効果的でした。「大変な仕事を、素早く楽しくこなす術を勉強しました」とか「全勝さん流の仕事を学びました」と言ってくれる職員もいます。ありがたいことです(チームの仕事の仕方については、6月20日の記事参照)。
私がしたのは、政務の方の指示であっても、できそうにないことには、「ここまでは努力しますが、そこから先は難しいです」と言うことや、指示が出たその場で「では、このような表を作りますが、それでよろしいですか」「その件は、××省に指示し、○○日までに返事をもらいます」というように、取り組む作業の道筋を整理することです。
懐かしい写真は、「被災者支援チームとは」のページの下にあります。

仕事の概要は整理して、できる限りホームページで公開しました(上の記述でリンクを張ったページなどです)。それが、そのまま記録になるようにです。そのほかに、仕事の途中で気がついたことを、書き留めました。それを文章にするべく整理を始めていたのですが、今度は復興本部に異動し、自分の時間を持てない生活をおくっています。文章が完成するのは、いつのことやら。そのうちに忘れてしまうのでしょうね(反省)。明日明後日も、被災地への出張です。