今日夕刻、官邸で復興本部会合が開かれ、復興庁が2月10日に開庁することが、決まりました。
事務局ではすでに、開庁に向けて、職員の増強、執務室の拡大、出先機関の強化などの準備を進めています。開庁日や支所の設置場所が決まったことで、さらに準備を加速させます。一つの省を作るのですから、内部規則など準備しなければならないことは、山のようにあります。出先を含め、常勤職員は250人程度になる予定です。
復興庁が取り組まなければならない仕事(任務)は、既に復興本部事務局として取り組んでいます。大きな変更はありません。ただし、昨年6月末に復興本部事務局ができて、約7か月。3月に被災者支援本部ができてからは、約11か月が経ちます。日々の記録は、それぞれのホームページ(復興本部の記録、被災者支援本部の記録)に残してあります。その時々の成果と課題も載せてあります。今日の会合でも、現在抱えている大きな課題を5つ報告しました。
ここで一区切りですから、これまでの成果と課題を、整理する必要がありますね。それも、「××をした」「制度をつくった」ではなく、「現地ではこのような成果があった」「復旧がこれだけ進んだ」という、現地での成果指向の評価が必要でしょう。
もちろん、国や復興本部の努力だけでは、現地の復興は進みません。自治体、さらには民間の方の協力を得て、かなり事業が進み、いろんな課題を解決してきたつもりです。まだまだ「遅い」とか「問題がある」とのご指摘があることは、承知しています。これからも、着実に解決していきましょう。
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行政-災害復興
衆議院調査局論文誌、鎌田先生の論文
衆議院調査局の論文誌「RESEARCH BUREAU 論究」2011年12月号が、大震災を特集しています。鎌田浩毅京大教授の論文も載っています。先生の文章を、一部引用します。
・・東日本大震災は、我が国にとって戦後最大の試練と言われている。地球科学的に見ると、実は戦後の復興期は地震も少なかった時期という幸運に恵まれていたのである。こうした地震の少ない恵まれた時代が終わったのが、1995 年の阪神・淡路大震災なのである。
日本の復興期と高度経済成長期に地震がなかったのは、ラッキー以外の何ものでもない。言わば、パクス・ロマーナ、パクス・アメリカーナに続くパクス・ジャポニカだったと言えるかもしれない。
それが20 世紀末の1995 年で終了し、その後の世界はアメリカの「9.11」から21 世紀の動乱が始まった。奇しくも「9.11」が世界を変えたのと同様に、「3.11」も日本とアジアを根本から変えると思われる。日本人はこれからどうやって生きていくべきかについて、もう一度考え直すきっかけを、大きな犠牲と共に与えられたのである・・
また、大震災関連の立法一覧も載っています。
生活支援情報
「税制支援ハンドブック」の改訂版が、発行されました。また、各自治体も、いろんな支援情報をまとめて提供しています。例えば、宮城県も「生活支援ハンドブック」を作っておられます。政府で作ると、どうしても全国一律の情報になります。地域独自の制度や情報は、やはり自治体が一番詳しいです。
全国避難者数調査
1月12日時点の、全国避難者数調査がまとまりました。それによると、避難所におられる人は、2県で約600人。旅館などにおられる人は、8県約150人です。仮設住宅などにおられる人は、約32万人。総計33万8千人の人が避難しておられます。
復興本部・たくさんのお知らせ
様々な事業が進みつつあるので、復興本部からのお知らせも、増えています。ホームページの表紙も、構成を変更しました。
昨日も、支援制度の検索システムを紹介しましたが。インターネットは便利ですね。これが文書による通知だと、見ることができる人は限られています。また、どこに何があるか、わからないです。所在を見つけたとしても、電話をかけたり手紙で、「コピーを送ってください」というのも、面倒なことです。