カテゴリー別アーカイブ: 災害復興

行政-災害復興

産業復興支援の難しさ

3月9日の日経新聞地域面が、「被災前に戻す 難しさ露呈 東日本復興 公的支援に制約」を解説していました。大震災後、公費支援を受けて再開した企業が経営に苦しんだり、場合によっては経営破綻する例があります。記事では、公費支援の制度の限界を指摘しています。

また、これまでの復興予算の使い道が、円グラフで示されています。うち、4割、12兆円がインフラ再建で、産業再生は4兆円、被災者支援は2兆円です。ソフト事業の予算は、少ないのです。

産業再生や被災者支援(特に、孤立防止や、コミュニティ再生などつながりの維持)は、東日本大震災で始めて国が取り組んだものです。
それまでの災害復旧は、主に公共施設の復旧だったのです。それだけでは、町のにぎわいは復興しないことから、産業再生やコミュニティ再生に取り組みました。産業再生は企業主の責任との考えで、国費の補助はありませんでした。低利融資だけです。
今回初めて、国庫補助制度を作りました。
図表「まちのにぎわいの復興に必要な3つの要素」。「簡単版、復興がつくった新しい行政

同じく9日には、朝日新聞オピニオン欄で、東野真和・編集委員が「震災9年、真の復興とは ハード整備着々、産業創造は道半ば」を書いておられました。

今後、これらの政策を、今回の経験を踏まえて改良していくことが、国や自治体の責務です。

総理官邸で復興推進会議

今日3月10日朝、総理官邸で、復興推進会議を開催しました。総理を議長とし、全閣僚が参加します。
節目節目に開催するほか、毎年3月11日前後に、復興の進捗と課題を報告し、今後の取組を確認します。閣僚や国民に報告し、認識を持ってもらう意味があります。このように、定期的に開催することに、意義があります。

他の災害復旧や大きな政策にあって、このような「仕掛け」をしたものは、少ないと思います。政策を継続的に進めるためには、このような仕掛けは重要です。単発で目立つ政策を打ち出したり、行事を開催したりしてもダメなのです。仕掛けの例「国と地方の協議の場

提出する資料も、なるべく簡潔にして、わかりやすくしてあります。より詳しく知りたい人は、復興庁のホームページを見てもらいます。このような工夫も重要です。マスコミに働きかけたり、取材を受けて、報道してもらうことも必要です。
残念ながら、合同開催している「原子力災害対策本部」は、事務局のホームページもなく(会議の記録と連絡先だだけ載っています)、資料集もありません。

総理の福島被災地視察

今日3月7日、総理の原発被災地視察に同行しました。今朝は早いので、昨日夜に、常磐線で富岡に入りました。
今朝は、放射能の影響で不通になっている、JR常磐線の区間を試乗。14日に開通する予定です。
新しくなった双葉駅で降りて、西口開発の状況を見てもらいました。常磐自動車道の双葉インターチェンジも開所し、交通は格段に便利になります。
一部立ち入りを緩和したとは言え、双葉町はまだ人が住むことはできません。人が住むことができるようにすることが、次の目標です。その工事は、進みつつあります。

9年間で、ここまで復旧しました。しかし、住民の帰還はまだまだですし、避難指示が解除できない地域も多いです。一挙に解決する方法はなく、一つずつ解決していくしかありません。
総理には、定期的に現地に足を運んで、実情を見てもらうとともに、現地で頑張っている人たちを激励してもらっています。これもまた、復興に向けて重要なことです。

大震災、9年目の教訓

3月5日の日経新聞オピニオン欄は「震災復興 9年目の教訓」でした。

大山健太郎・仙台経済同友会代表幹事の発言から
・・・仙台市は人が集まっているのでよいが、それ以外は産業構造が急速に縮んでいく。企業は10年先をみる。東北の生産年齢人口は2030年に秋田県は21%減、青森県は19%減、福島県は17%減。山形県と岩手県は15%減だ。10年後に東北の市場は間違いなく2割減る。人がいなければビジネスは成り立たない・・・
・・・政府はなりわい支援でグループ補助金を出したが、水産加工は5割しか戻らない。なりわい支援の目標は元に戻すことで、それでは商圏を奪われた分は戻らないからだ・・・

・・・福島県の沿岸部は避難指示が徐々に解除されているが、人は戻らず、農地が放っておかれている。復興庁に言っているのは、ここで土地を集め大規模農業ができる制度をつくること。作ったものはアイリスが全部買い取る。そうした福島モデルをつくり、成功したらほかに展開していけばよい。ほかにできないことが今の福島にはできる。ピンチをチャンスに変えるときだ・・・

御厨貴・東大先端研客員教授の発言から
・・・驚いたのは、市町村が作る復興計画がどれも人口増加が前提の成長プランだったことだ。首長に「そんなに大きな街をつくっても人は戻らないのでは」と話したら「縮小プランなんて作ったら次の選挙で落ちる」と怒られた。
あとで聞くと「プラン通りにはならないから大丈夫だ」と言っていたが、結局、復興住宅はどんどん作られた。あれは地元負担を求めなかったのがまずかった。ある程度、地域が痛みを感じてやらないと、どうせ作るなら大きい方がよいとなってしまう・・・

・・・復興庁は残ることになったが、今後はこうするという選択肢、モデルを示して、地元に選んでくださいと言えるような組織にする必要がある。ここは仕方ないというところも出てくるだろう。縮小モデルの未来像まで検討する官庁にしなければならない・・・
・・・この堂々巡りを断つには、人口減少を踏まえた日本列島全体のグランドビジョンをあらかじめ作っておく必要がある。自然災害が恒常的に来るとすれば国として平時から復興のあり方を考えるべきだ。それを常に考えているのと、全く考えていないのとでは、いざという時に違う。これは政治家が先導すべきだ・・・

町の復興、つながりの再建

読売新聞は、3月4日から連載「震災9年 新しいつながり」を始めました。
自治体が用意した公営住宅や宅地に住宅が建ちました。津波被災地ではほぼ出来上がりました。しかし、しばしば指摘されているように、新しい町や、新しい住宅でのつながり作りが課題です。国も市町村も、自治会の設立を支援しましたが、全ての住宅でうまく行ったわけではありません。

連載の初回は、「緩やかにコミュニティー」です。
記事では、住民たちが知恵と汗を出して、コミュニティーを作っている例を紹介しています。宮城県塩釜市清水沢の復興住宅と、東松島市のあおい地区が紹介されています。あおい地区は、このホームページでも、何度か取り上げました。
住民たちの熱意には、敬意を表します。また、それをまとめた役員さん、支援した役場もです。補助金では、町内会は作れないのです。