カテゴリーアーカイブ:政治の役割

改革を望まないドイツ国民。良いときには改革はできない

2013年10月27日   岡本全勝

10月20日の日経新聞「日曜に考える。メルケル首相3選、欧州の安定は」、ドイツの新聞ツァイト紙の共同発行人、ヨーゼフ・ヨッフェさんの発言から。
「選挙結果の評価について」
・・現職首相の陣営の得票率が前回より8ポイントも伸びたのは歴史的だ・・議会はかつてなく同質になる。首相会派から左派党まで4政党が左寄りの社会民主主義だ。
強く面倒見のいい国を求める合意が社会に芽ばえ、競争重視で小さな政府や低税率を追うリベラル主義の理念の選択肢が大きく埋没した。現状維持を求め、急激な変化や10年前のような構造改革を望まない国民感情がある・・
「メルケル首相の人気について」
・・まさに有権者が望む存在だからだ。冷静と安定を絵に描いたような女性で冒険も方向転換もしない。ムティー(お母ちゃん)と呼ばれるような人柄だ・・
「ドイツに改革は不要なのか」
・・2020年代を見据えた改革は当然必要だ。生産性上昇が停滞し、輸出に頼る中国のようにいびつな経済構造で、補助金頼みの雇用も多すぎるからだ。債務水準も高すぎる。いまやドイツの大学は世界50位が最高。イノベーションの能力も高くない・・
・・だが次の政権が行動を起こすのは疑わしい。現状維持こそ素晴らしいのだ。ドイツは幸運児。失業率は低く、太平でよく運営されている。良いときに変えようとは思わないのが問題だ。危機意識からしか変化は生まれない・・

日本とドイツ、戦後の近隣諸国との付き合いの違い

2013年10月21日   岡本全勝

10月3日(すみません古くて)の朝日新聞オピニオン欄、駐日ドイツ大使のフォルカー・シュタンツェルさんの「これからのドイツは」から、日本に関する部分を引用します。聞き手は、有田哲文・編集委員です。
「戦後史を振り返ると、ドイツはずっと『経済的には大国だが政治的には小国』と言われてきました」という問に対して。
・・それは、私たちの「自制」という考え方から来るものです。
私たちは侵略者でした。戦後になると、周りの国すべてが私たちの犠牲者でした。もし、もうドイツのことを恐れてほしくない、協力してほしいと思うならば、自分の考えを他国に押し付けるのを控える以外にありません。もちろん、私たちの要求を一切言わなかったわけではありません。しかし、その時には欧州の多国間の枠組みで進めました・・
「日本にも同じような自制の態度が見えますか」という問に対しては。
・・もちろんそうです。日本もひどい戦争を引きおこし、そしてその戦争に負けた後、ドイツと似たような結論を導き出したのだと私は考えています。経済発展に専念し、国家を再建するけれども、決して自分の意思や利益を他国に押し付けることはしない。自制とは、賢い政策です・・
「でも、日本はドイツと違い、いまだに中国や韓国との歴史問題をかかえています」
・・不幸にも日本とドイツでは環境に大きな違いがあります。欧州では私たちだけでなく、フランスなど私たちの犠牲者であった国々も和解を望んでくれました。そして彼らと一緒に、EUをつくるという事業を成し遂げることができたのです。しかし、日本の場合は、アジア連合のような事業はありませんでした。中国は共産主義国家だし、韓国はかつて軍事独裁でした。これらの国は民主的なパートナーにはなりえませんでした。同じ立場に立って多角的な協力を政策として進めることは、私たちよりもずっと難しかったと思います・・

俺たちのつくった首相

2013年10月18日   岡本全勝

10月17日の日経新聞「ニュースな人ひと」は、野田毅・自民党税調会長でした。
・・忘れられない場面がある。1980年代、税調のドンといわれた山中貞則氏が鈴木善幸首相の意向に沿った発言を繰り返した。野田氏が「あなたは首相秘書官か」と反発すると、山中氏は目を見開いて答えた。「お前の言うことは正しい。だがな、これは俺たちのつくった首相の言うことなんだ」。場が静まりかえった。豪快な言動の裏で、山中氏も首相に気を配っていたのだ・・

歴史の教訓

2013年10月5日   岡本全勝

アーネスト・メイ著『歴史の教訓―アメリカ外交はどう作られたか』(原著1973年、邦訳1977年。私が読んだのは、2004年、岩波現代文庫)を、紹介します。外交の古典とも言うべき本ですから、お読みになった方も多いでしょう。文庫本になって、読みやすくなりました。
この本の主旨は、外交政策形成者は、現在の問題を処理するときに、よく過去の事例からの類推を行う。しかし、その際に、しばしば間違って当てはめることです。第2次大戦、冷戦、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争を取り上げて、具体的に分析しています。それぞれ、アメリカ政府が、その参加(開始)、継続、終結に、決断を迫られました。
「なるほど、そのような別の選択肢もあったのか」と、考えさせられます。「歴史にifは無い」といわれます。たしかに、現時点からさかのぼると、ifはありません。時計の針を戻すことはできません。しかし、現時点で歴史を作っている責任者としては、別の選択肢(たくさんのif)を考えて、1つを選ぶ権限と責任があります。そこに、政治の重さ、政治家の責任(助言者の責任)があります。
詳しくは本を読んでいただくとして、本筋から離れますが、私が考えたことを書いておきます。
朝鮮戦争の場合です。第2次大戦後、南朝鮮を占領したアメリカですが、ソ連との関係で継続を主張する国務省に対して、陸軍は早期撤退を考えていました。シベリアや中国での作戦には、朝鮮半島を迂回し、直接に空爆をかければ、敵が半島を支配していても価値がないという説明です(p85)。
途中の経過を省略しますが、アメリカも同意して、国連で全占領軍の朝鮮からの撤退が採択されます。1949年6月には、アメリカ占領軍は朝鮮から撤退します。1950年5月時点で、ソ連が朝鮮を侵略する可能性があるとしても、アメリカは軍事力を用いないというのが政策でした。
しかし、6月24日に北朝鮮軍が南に侵攻したとき、アメリカは国連の決議を手に入れ(ソ連がたまたま欠席していました)、北朝鮮との戦闘に入ります(p98)。
有名なジョージ・ケナンは後に、国連が「形式的には内戦であったものを(国連の管轄事項として)承認したこと」に驚いています(ちなみに、彼は当時、国務省で3番目に重要な人物だったそうですが、電話のない農場で週末を過ごしていました)。
・・大体アメリカ政府が、国連安全保障理事会の取るべき行動をそこで提案する必要はかならずしもなかった。アメリカはもはや占領統治国ではなったのだから、朝鮮を守る特別の責任など持ってはいなかった・・(p106)
アメリカが事前の方針とは異なり、戦争に入ったことには、国際的に威信を示すことのほか、トルーマン大統領が選挙対策(支持率アップ)のために決断したという説もあります。ここは、本を読んでください。
事前の方針通りに進んだら、かなりの確率で朝鮮半島は北朝鮮の支配下に入ったでしょう。若いときに、先輩が言った言葉を、覚えています。「釜山まで赤旗が立ったら、日本の社会や政治は変わっただろう。戦争の放棄や非武装中立などを、お気楽に言っていられないだろう」。1990年代前半、初めて韓国を訪れたとき、ソウルの金浦空港ロビーに自動小銃を構えた兵士が立っていました。たぶん徴兵された若者でしょう。北と対峙している韓国を実感し、隣国なのに大きく違うことを学びました。
この本は、9月4日に「責任者は何と戦うか、その5。議会と世論」で引用しています。その後、書こうとして放ってありました。もっとも私の本業は公務員なので、この「日記兼副業」の怠慢は許しましょう。飲まなけりゃ、もっと書けるのに。
肝冷斎も、ぶつぶつ言う割には、毎日せっせと書き連ねています。しかも、もう一つページを書き続けているのです。

戦前の日本に戦争を選ばせた条件、現在の日本を戦争に進ませない条件

2013年9月29日   岡本全勝

9月22日の読売新聞「地球を読む」、北岡伸一先生の「安全保障議論。戦前と現代、同一視は不毛」から。
先生は、「昭和の戦前期、日本を戦争への道に進ませた諸条件を考えれば、今の日本に当てはまらないことは自明だからである」として、次の5つを上げておられます。
第1は「地理的膨張が国家の安全と繁栄を保証する」という観念。第2は「相手は弱い」という認識。第3は「国際社会は無力で、制裁する力はない」という判断。第4は「政治の軍に対する統制の弱さ」。第5は「言論の自由の欠如」です。それぞれの条件が、戦前の日本に戦争への道を進ませ、その条件が当てはまらない現在の日本は戦争を選ばないという主張です。説得力があります。
他方で先生は、この5条件が現在の中国に当てはまることも述べておられます。これも納得。原文をお読みください。