カテゴリー別アーカイブ: 連載「公共を創る」

連載「公共を創る」第195回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第195回「政府の役割の再定義ー官僚への信頼を取り戻すには」が、発行されました。

前回、幹部官僚には、必要な能力とともに、「志」と「やりがい」が重要だと説明しました。私が国家公務員になった頃(1978年)には、まだ官僚はエリートだという意識が社会にも官僚にもありました。しかし、1990年代の過剰接待事件を機に、官僚への信頼は地に落ち、戻っていません。また、エリートという言葉は死語になったようです。

かつて、官僚の失敗を聞かれ、私は3つの次元に分けて説明しました(2018年5月23日付け毎日新聞「論点 国家公務員の不祥事」)。
・官僚たちの仕事の仕方の問題
・個人の立ち居振る舞い
・国民の期待に応えているか、です。

1番目の問題と2番目の問題は、あってはならないことですが、いつの世でもどの組織でも起きる問題です。
それに対し3番目の問題は、構造的に取り組まなければなりません。私が考えるに、それは明治以来1世紀半ぶりの大転換です。その問題意識で、この連載を書いています。

連載「公共を創る」第194回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第194回「政府の役割の再定義ー幹部官僚に必要な能力と企業幹部との違い」が、発行されました。今回は、幹部官僚の役割と育成を考えるために、民間企業の幹部養成と比べてみます。

企業幹部は社長と取締役会、幹部公務員は首相と大臣という、組織の最高責任者の下で任務を果たして評価を受けます。組織の「幹部」という点で、共通するのです。共通しているのは、組織の維持とその組織が社会での役割を果たすという目的の下、「政策の立案や商品の開発」と、そのための「組織・職員管理」を任務としていることです。
このうち、後者の組織・職員管理は官と民とで大きな違いはないでしょう。一方、前者の政策立案においては、組織の目的の相違から、異なる部分があると考えられます。幹部官僚は、対象とする業務が公平性や公益性を求められる公共業務であることから、「目指すべき価値」「受ける制約」「必要とされる能力」に違いがあるのです。

「目指すべき価値」は、国民全体の福祉向上を考えること。「受ける制約」は、法律に従い、公平性が求められることなど。「必要とされる能力」は、その政策分野の専門家であること、 政策立案に際して実現可能性と与える影響を考えること、政策実現に際しては、内閣内や与党内での手続きを考えることなどです。
幹部官僚に必要な能力に、もう一つ重要なものがあります。政治的文脈を読むことです。幹部官僚が政策を考える際には、白地で考えるわけではありません。案件が社会で生まれた新しい課題であったり、大臣から下りてきた案件であったとしても、これまでの政府の政策体系や、大臣や内閣の政策選好との整合性を考える必要があります。これが、企業幹部から幹部官僚に転職した際に、最も困難な能力かもしれません。

その上で、それらの底には、「志」と「やりがい」の違いがあるのではないかと思います。

連載「公共を創る」第193回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第193回「政府の役割の再定義ー日本全体の中長期的な課題と対策の検討を」が、発行されました。前回から、幹部官僚に自らの所管範囲を超えて、広く日本の在り方を考えさせる方策を議論しています。

官邸主導によって、省益や局益優先を排除しなければなりません。ただ、長い間「省」という単位で政治と社会が動いてきたこともあって、この思想と慣習は根強いものがあります。そして、官僚が省益を超えた発想を持とうとしたときに、逆にその担当分野に押し込めてしまう仕組みができています。いわゆる政官財の三角形です。各省と利害を一致させていた官僚以外の集団が、官僚の変化の足を引っ張る役割をしてしまうという構造です。これは、官僚機構側の問題というより、政党側の問題です。

次に、広く日本の在り方を考える組織についてです。各省や各局は、内閣の事務を分担管理するための仕組みです。「分担」や「所管」という観念から、離れることはありません。すると広く日本全体を考えるためには、それら分担管理の上に全体を考える組織と機能が必要になります。
内閣官房には、内政担当と外政担当の2人の内閣官房副長官補が置かれ、内閣の重要政策に関する企画立案や総合調整を行っています。職員は各府省から集められます。そのような場で、職員は所属府省の垣根を越えて課題を与えられ、検討し、その結果に応じて各省を指導します。この経験は、育ってきた府省を超えて、広く日本を考える良い機会になります。ただしこれは、あくまで内閣官房副長官補の下での事務的な調整部局であり、政治家や各省大臣を含めて方針を打ち出す組織ではありません。
内閣官房は、各府省の所管を超えて広く政府の課題を考えますが、その課題は首相から下りてくることが多く、「何が取り組まれていない課題」か「どのような課題を取り上げるべきか」という発案機能は備えていないようです。

会社にあっては、社長の下に企画部門があります。それは、人事・組織管理部門や予算・会計部門と共に戦略を担う重要組織です。組織を動かす基本的要素は、情報、人、資金です。県庁や市役所でも同じで、首長の下に企画、人事、予算があります。ところが中央政府では、予算は大蔵省・財務省があり、組織管理は総務省行政管理局がありましたが、人事についてはかつてはほぼ各省に委ねられていて、近年ようやく内閣人事局がつくられました。しかし企画にあっては、全体を見る部門とそこで働くべき人材は、いまだないのです。

連載「公共を創る」第192回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第192回「政府の役割の再定義ー行政組織のパラドックス」が、発行されました。前回から、幹部官僚に職務を果たさせることを議論しています。まず、自らの所管行政についてです。

制度を所管している、それを運用すればよいという「制度所管思考」から、所管範囲で課題を見つけ取り組むという「課題所管思考」に転換しなければなりませ。その思考を、若いときから植え付ける必要があります。それを指導するのは局長であり課長の役割です。もっとも、それをしたことがない、それに消極的な上司も多いのです。この「社風」を変える必要があります。
もう一つは、外部からの入力です。かつてはほぼ局ごとに審議会があり、有識者を入れて新しい課題と解決方向を議論していました。これは、有用な仕組みです。地域で起きる新しい課題について、研究者、報道機関、非営利団体、そして自治体は官僚より情報を持っていることが多いのです。審議会という形式にこだわらず、彼らの知見を取り入れて新しい課題に取り組むことがよいでしょう。

さて、パラドックスとは、次のようなことです。制度を所管している組織の方が、所管していない人より課題を見つけやすいと考えますが、そうならないことがあるのです。制度を所管していると、それの運用に注力し、課題が発生していても気がつかないことが起きるのです。例えば、その制度に関して補助金を持っていると、補助金配分だけで終わってしまうのです。

連載「公共を創る」第191回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第191回「政府の役割の再定義ー幹部官僚の自覚と教育訓練」が、発行されました。前回から、幹部官僚が役割を果たすべきことを議論しています。経済発展に成功し成熟社会になったのに、その転換に遅れているのです。長引く経済の停滞と社会の不安に対処できていません。

転換に遅れた原因の一つが、行政改革を政策の重点にし続けたことです。第3期の行革(1990年代から2000年代)は、仕組みの改革であり、例えば「官の役割変更」は必要な改革でした。しかし、その後も、「小さな政府」という改革は目標や終期がないままに続けられています。もちろん無駄は省かなければなりませんが、30年もこの運動を続けて、まだそんな大きな無駄があるのでしょうか。単なる「役所批判」になっていないでしょうか。新しい課題が生まれているのに、職員と予算を増やさないことは、政策に十分には取り組んでいないことになります。

職員と予算を増やさないことの弊害は、官僚が新しい政策に取り組むことに消極的にさせ、30年も続くと、新しい政策を考え実現した経験のない官僚を生んでいます。そして、過大な業務量は、職員の働き方にも悪い影響を生んでいます。

後半からは、幹部官僚に仕事をさせる方法を考えます。まず、所管行政について、課題を考え、取り組ませることです。彼らに職務を認識させ、またそのように育てる必要があります。